愛を知らなかった僕と

私には少しだけ歳の離れた姉がいる。姉は子供の頃から優しく、母親の代わりに面倒を見てくれる機会も多かった。簡単なご飯を作ったり、お風呂に入れてくれたり、勉強を見てくれたり。田舎にありがちなよそ者排除ムーブだって一回もしたことない、なんなら人の悪口なんて言ったところ見たことがない善性の塊みたいな人。沙織ちゃんの一件でわんわん泣いてた私を宥めて「いつか大人になったら沙織ちゃんに会いに行こう」と言ってくれた。
祖母から呪術師としての指導を一緒に受けて、高校入学の年になると、姉は一悶着あったけれど私をクソ田舎に置いて強い術師になるため東京に行ってしまった。あのクソ田舎で良心だった姉がいなくなって、沙織ちゃんがいなくなった時以上の喪失感を私は受けた。東京都立呪術高等専門学校ー、入学できる歳になったら私も必ず姉を追ってこんなクソ田舎とはオサラバして東京に行くー、釘崎野薔薇の決意は固かった。


久しぶりに会えた姉は昔とちっとも変わらなかった。聖母みたいに優しくて、包容力があって。任務で疲れた顔をして帰るとまるで渋谷で食べられるふわっふわのパンケーキを作ってくれたり、一年二年生関係なく全員巻き込んでタコパ開いてくれたり、最近流行ってるチーズタッカルビをホットプレートで作ってくれたりしてそれとなく癒してくれる。私は姉が大好きで、多分姉も私のことが大好き。
そんな姉に悪いムシがついているなんて思ってもみなくてどうやって撃退すれば良いのか目下悩み中である。なぜならその悪いムシが虫除けスプレーやら殺虫剤やら振ったぐらいでは効き目のない最強の害虫だからだ。



「なまえ〜〜〜会いたかった!ハイ、これお土産ね」
「わ、五条先生お疲れ様です。また買ってきてくださったんですか?先生とても忙しいのに…」
「ふふん、僕ってば最強だからね!可愛いなまえのために任務の後お土産選ぶなんて余裕余裕」
「ふふ、相変わらずですね。尊敬しちゃいます」
「あはは、もっと褒めて褒めて〜」


そう、その害虫とは我らが担任の五条悟である。おい!なんで受け持ちの生徒にお土産なくてお姉ちゃんにだけあるんだよ!!下心見え見えなんだよ!!ていうか気安くお姉ちゃんに話しかけんじゃねーよ!!お前なんかが話していい相手じゃねーんだよ!!!!
ていうか!お姉ちゃんも!!何笑ってるの!!!こいつクズだよ?私の制服着るような倫理観もクソもない男だよ?無視して!視界に入れないで!!お姉ちゃんが腐る!!!


「ちょっと!五条先生!」
「お、野薔薇〜今日もプリプリしてどうしたの?」
「お姉ちゃんに近づかないでって言ってるでしょ!」
「ん?なまえのいるところに僕あり、でしょ?」
「ふざっけんな!」
「ははは。なまえが僕に取られて悔しいんだね?義妹よ」
「私のことを!!義妹と!!呼ぶんじゃねえ!」
「まあまあ、野薔薇ちゃん、先生にそんな口の利き方しちゃだめよ」
「!お姉ちゃん!!」
「先生は女の子が大好きだからね、一つ一つの行動に意味なんてないのよ。だから笑顔で受け取ればいいの

「お、お姉ちゃん…」
「なまえってばまァたそんなこと言ってー!照れ隠し??僕としてはそろそろ次の段階に進みたいんだけど!」
「ふふ、五条先生こそまた女の子誑かすようなこと言って。私だから気にしませんけど他の女生徒にしちゃだめですよ?セクハラで訴えられます」


メッなんて言って五条先生クズを窘めるお姉ちゃんの姿に思わず頭を抱える。五条先生条例違反野郎はそんな姉の対応に慣れているのかめげずになおも食い下がる。さっさとこの場を離れようと姉を引っ張って女子寮に誘導しようとしたところでスマホがけたたましく鳴り響いた。ディスプレイを確認すれば伏黒の名前。こんな時になんだよ、とイラつきながら出れば任務があったことを忘れていた。早くしろという伏黒にサァと顔を青くして二人を見れば方やニヤニヤと笑う男、方や心配そうに私を見つめる聖母。どっちが先生かわかったもんじゃないわね!
姉と五条先生淫交教師を二人にするのは嫌だったがほらさっさと行った行った!という先生に押されるがまま、後ろ髪引かれる思いでその場を後にした。すぐに戻ってくるから無事でいてねお姉ちゃん!!



「相変わらずうっかりさんなんだから…」

野薔薇が駆けて行った方を心配そうに見つめるなまえの様子に早くこっちを見てほしいとばかりにお土産の袋を持っていない方の手を掬い上げればようやく優しげな愛しい顔がこちらを向いて満足する。


「先生、今回の任務でも怪我はなかったですか?」
「もっちろん!僕最強だよ?最後に怪我したのいつかも覚えてないね!」
「ふふ、それならよかったです」


呪術界で僕の安否や怪我について心配するのなんて、きっと彼女くらいだ。任務の都度都度心配してくれるなまえにじーんと心が温かくなるのを感じる。

彼女が入学してきて生徒として受け持ったとき、こんなに心優しい人間が呪術師なんて務まるのだろうかと心配したものだが、それは杞憂だった。任務になった途端、淡々と冷静に呪霊を祓う様は十分呪術師の才能を備えていた。逆に普段との生活にギャップがありすぎて、同一人物か疑うレベル。そういう点では彼女もイカれていると言っても過言ではない。

同期が怪我をすれば甲斐甲斐しく看病し、周囲への気配りを欠かさない。僕が珍しく気分が向いて生徒たちにお土産を買って帰って当時の一年にそれを配ったらお礼にといって他の一年と一緒に彼女の作ったお菓子パーティが開催されたのは記憶に新しい。生徒とはいえ、他人の作るお菓子(特に女の子)に抵抗のあった僕はニコニコそれを眺めてるだけだったけど、美味しい美味しい、先生も食べてみなよと幸せそうな一年たちの顔に絆されてそれを口にしてしまったが最後、胃袋が陥落した。自慢じゃないけどうまいお菓子なんて限定ものから高価なものまで食い尽くしてるはずの僕に電撃が走った。これ絶対素人の作った出来じゃない。漏れ出た僕のうまいという言葉に、彼女は花を綻ばせたような笑顔を浮かべながら「五条先生へのお礼のために作ったので、喜んでもらえてよかったです」なんて善意以外何もないみたいな顔でそんなこと言われた時には背後に雷が落ちた。このクソみたいな呪術界の中に両手両足突っ込んでるのに、何の穢れも、闇も、恨みつらみもなにも知らないような顔で生きている真っ白な彼女に完全に落ちた。毎日呪いに相対してるっていうのにその清廉さ保てるってもはやサイコパスの域だよ。
気づいたら任務帰りに彼女を探して、お土産を渡して話しかける。嬉しそうに笑う彼女を見て癒されて、任務に出てると聞けば少し残念に思うし、無事に帰ってくるか心配してしまう。彼女の笑顔を楽しみに高専に戻っていることに気づいた僕は愕然とした。

もしかして、僕彼女のこと好きになってない?
まさか僕が生徒を、いや人を好きになるなんて。『好き』なんていう感情の伴った関係なんて面倒以外の何者でもない、そんな感情面倒で、向けられた瞬間に相手への関心を失うほどに自分にとって無価値のものだった。そんな僕が他人に、生徒にその感情を向けてしまう日が来るなんて思いもしなかった。ほとんど天変地異みたいなものだ。自分で言うのはなんだけど。
一度その感情に気付いてしまったら、手に入れたくて仕方がなくなるわけで。その笑顔を僕にだけ向けて欲しくなるわけで。今年に入ってから彼女の中の優先順位が僕から野薔薇に移ってしまっていることにもヤキモキしていた。


僕は周りが引く勢いで彼女を公然と口説きにかかっているわけだけど、これがまた強敵だった。あまりの相手のされなささに当初硝子に「いいザマだな」とタバコの煙を吐きかけられたが、諦めない僕を見てスマホを耳に当て出した時はさすがに焦ったね。慌てて通話画面を見たら110番だったおかしくない?こちとら純愛なんだけど。
それに、別に無理矢理こと進めているわけではない。彼女は自分がまだ生徒なことに引け目を感じているだけだと思ってる。だってこんなGLGで最強の僕に言い寄られて何も感じない女の子なんてこの世にいるわけないもんね!彼女今年で最終学年だし、そろそろお付き合いの準備が始まってもいい頃だよね!そうだよね!よし、そうと決まれば今日こそ口説き落とそう!



「今日は僕も任務終わったし、デートでも行っちゃう?!」
「何言ってるんですか、先生。彼女が悲しみますよ」
「?!何言ってんのはこっちのセリフだよ?!彼女って何!」
「??よくわかりませんが…あまり軽率な行動を取られると悲しまれますよ…?」
「……彼女なんていないって。何回も言ってるでしょ?なまえ、いつになったら僕を受け入れてくれるの?僕そろそろ悲しい…」
「…えっ?」
「どれだけ僕が君のこと好きだって言ったって、君は本気にしてくれないんだね酷いよ、大人を弄ぶなんてさ」
「…も、弄ぶ?えっと…だって五条先生、彼女さん方いらっしゃるじゃないですか?」
「いないよ!どこ情報なのそれは!ていうか方ってなに!彼女は一人でしょうが!!」
「…えぇ?」
「なんでそこで素っ頓狂な顔すんの?嘘でしょ?この期に及んでまだ僕が不特定多数の女の子と遊んでると思ってるの?」
「はい」


曇りなき眼で僕を見上げるなまえの視線に、思わず膝から崩れ落ちそうになった。たしかに君と出会う前の僕はひどいもんだったと思う!街で君とすれ違う度に違う女の子を連れてたことも否定しない!だけど、最近は一度たりともそんなことしていないし暇があれば君を構ってる僕にそんな時間があると思う?!心外にも程があるよ。
めそめそと泣いたふりをすれば心配そうに、申し訳なさそうに顔を青くする彼女にしめしめと見えないように笑う。お人好しにも程があるよ、なまえ。そういう点では君は妹の野薔薇を見習ったほうがいいね。



「五条先生、本気なんですか…」
「………ずっとそう言ってるじゃん…君のことが好きだって。君以外の女の子と会うのもやめたし、最近は時間ができれば君に会いに来てるよ。お土産買って帰るのもなまえに会って話したいからだし。最近は野薔薇のことばっか構って僕にお菓子作ってくれなくなったし…僕寂しいな」
「ご、ごめんなさい…!そんなつもりはなくって、先生は大人だから、私みたいな子供のこと本気で好きなはずないって、思い込もうとしてました…あと野薔薇ちゃんはずっと会えてなくて心配だったし…よく無茶もするから目が離せなくて…」

今までのような言葉が右から左に抜けていっているような手応えのなさじゃなくて、ワタワタし始めるなまえの姿に内心ほくそ笑む。


「うん、僕傷ついたなあ…君が一年の頃から本気で好意を告げてるっていう人間をコロコロ転がすなんて…ひどい仕打ちだよね」
「ぅっ…本当にごめんなさい。だって、先生みたいな素敵な人、本気になったら傷つくだけだって、そう、思って……」


だんだんと尻すぼみになってしゅんとするなまえ。垂れ目がちな大きな瞳を長い睫毛が覆い、その目元はうるうるとうるみ始める。…天然でこれやってんだから怖いよね、この子本当に。


「それってさ、心のどっかでは僕のこと気にしてくれてたってこと?」
「………先生がよく女の人と出かけてたところも見たことがあったし、とてもモテる人だから、きっと私の他にも先生が気にかけてる女の子はいるはずだって、思って…その…自惚れないようにしてました…」
「そんなのいないよ。ていうか本気で思ってない生徒にこんなことしないよ。リスク高すぎるでしょ」
「………どうしてそんなに、」
「僕他人から心配されたことないんだよね、最強だから」
「……え?」
「君はいつも僕を心配してくれるよね、今日は怪我ないですか?なんともないですか?って律儀に。」
「五条先生は私なんかじゃ絶対祓えない呪霊ばっかり担当されるじゃないですか。いくら先生が強くても、絶対無事なんて保証ー、」
「うん、だからそういうところ。そういう思考回路、普通の呪術師にはないんだよね。みんな僕なら大丈夫ってどっかで思ってるでしょ。別にそれはいいんだけど、実際怪我なんてしないし。
でも任務が終わった後に君から心配されて、お疲れ様でしたって可愛い笑顔で言われて、たまにおいしいお菓子作ってくれて。そういうのが癖になっちゃった。もうそれがない頃には戻りたくないくらいに。僕をこんなにしちゃった責任とってよなまえ」
「せき、にん」
「君だけにしかこんなこと言ったことないし思ったことないよ。なまえがトクベツ。僕のこともなまえのトクベツにしてくれない?片方だけなんて不公平でしょ?」
「不公平?…たしかに……不公平、です、かね?」

目をぐるぐるさせながら混乱しているなまえは徐々に僕の話に同調し始めて、なんだ案外ちょろいなと思うと同時にこのままで本当に大丈夫なんだろうかと心配になるくらいの純粋さだ。


「五条先生が私のこと特別って、思ってくれてるの嬉しいです。私、まだ二級だし、強くないです。本当に私なんかが先生のこと、特別に思って良いんですか?」
「いいよ、なまえはいつも通り可愛い笑顔で僕に笑いかけて。好きだよ」


ハイ、と顔を真っ赤にさせながら、潤む瞳をこちらに向けるなまえの可愛さは言葉に表しようがない。ああ、やっとだ。やっとこの愛しい女の子を手に入れた。勢い余ってなまえを抱きしめればおずおずと背中にまわる自分よりも随分細い腕がいじらしい。こんな姿をあの元気な妹が見ればなんて言うだろうか。ああ、今日はなんていい日なんだろう。







櫻様、この度は企画へのご参加ありがとうございました。リクエスト頂いてから、すぐに移転等することとなってしまい、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
野薔薇姉の設定ということで、先生×生徒の話を書くのが初めてだったので難しかった反面とても楽しかったです!詳しい設定を考えてくださっていたのですが活かしきれていたのかは正直自信がありません!!笑
今回は素敵なリクエストありがとうございました!!



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