推しが大好きな僕の話

「暑い………」


ジリジリ肌を刺す太陽、不快感を増すムワッとする湿度。夜になると肌を焦がさんとする太陽はいなくなるが、日中熱されたコンクリや建物の外壁たちが纏う熱気は夜になってもなかなかそれを放熱しきれず蒸し暑さは変わらない。ー確かに暑い。一日中暑い。通り雨が降っても気温は下がるかもしれないが湿気がさらに増し、不快指数が上がる。暑くないタイミングがない。今年は記録的な猛暑です、と毎朝お天気キャスターが眩しい日差しの中でそう告げているが、それ毎年言ってない?と思わなくはない。

いつもパリッと働いているなまえちゃんが、高専内で珍しく屍に成り果てていた。どうやら東京の暑さが身体に合わないらしい。そして特に僕たちが住んでいるエリア、都心部はヒートアイランド現象のせいか緑の多い高専より確かに蒸し暑く感じる。仕事終わりに帰宅をごねる回数が格段に増えていた。今も机に突っ伏して僕の存在を見ないふりしている。ーこれは由々しき事態である。


「なまえちゃん」
「………あつい……」
「アイス食べにいこ」
「……………しょくよくない…」


アイスは魅力的なのか、無視することはやめて顔を上げたなまえちゃんは暫し考えた後に再び机に突っ伏した。どうやら夏バテも併発しているらしい。
覇気のないなまえちゃんが珍しい。ダラダラしてるなまえちゃんがかわいい。どんなにだらしない姿をしていてもポジティブな感想しか出てこない。ふいになまえちゃんを愛でる僕に硝子が「病気だな。誰にも治せやしない」と言ったことを思い出した。こんな治らなくてもいい病気世の中にあるんだなー、と茹だる暑さの中でそんなことを考えていた。


「悟」
「んー?」
「今日はプール付きのホテル泊まろう」


今ナイトプールとか流行ってるんでしょ?おもむろに起き上がったと思えばそんなことを言うなまえちゃんの言葉に息を呑んだ。

「なまえちゃん、天才?」
「やった〜!今から探すね!」
「ーだめ。僕が探す」
「え?なんで」
「貸し切れるとこにするから」
「ーえ?なんで」
「は???なまえちゃんの水着姿見ていいの僕だけに決まってるからだよ。なんで初めてなまえちゃんが水着着るとこ他人と共有しなきゃなんないの?僕がなまえちゃんの同担拒否ガチ恋勢だって説明もうしたよね?なまえちゃんの水着姿なんて見たら全人類がなまえちゃんのこと好きになるに決まってるから老若男女誰であろうとなまえちゃんの水着姿見せるわけにはいかないの。わかる???」
「わかりません…………」

なんでわかんないの??

 






「じゃああとでね」

ホテルのロッカールームの前でなまえちゃんに渡された水着を苦笑しながら受け取る。なまえちゃんはこの世界にびっくりするほど馴染んでいる。養われるのが嫌なようで高専の給料以外にもどこでお金を殖やしているのかいつの間にか自分の買い物は自分のお金でやるようになってしまった。…詐欺からは足を洗っているはずだし、犯罪は犯していないと信じたい。

記憶にあるホテルの中からプールがありそうな場所を思い出して、スマホで確認して、貸切可能か電話して、という行為をしている間になまえちゃんは水着を買いに早々に街まで出掛けていってしまった。そういうとこスーパードライだよね。キンッキンに冷えてるやつ。まあ僕は呑まないからよくわかんないんだけど。
今までホテルに行ってプールなんて入ろうと思ったこともなかったからプールに行くなんて考えつかなかった。あれだけ無気力になっていたなまえちゃんがプールごときで気力を取り戻してくれるなら万々歳。たまには自宅以外の場所で泊まるのも悪くない。

男の着替えなんて一瞬で終わるもので。なまえちゃんが選んでくれたんだ水着を見ながら家宝にしよなんてニヤニヤしながらプールサイドで待っていたらなまえちゃんの気配に振り返っ……………


「わぁ、ほんとに貸切だ。夜景まで見れるのすごいね」
「………」
「推しの水着どう?可愛い?」
「…………」
「……なんで無反応?」


……んんんんんん゛…合掌…生きててよかった………言葉に…ならない………語彙が消滅していく…………


「…………かわいく、ない?」
「んなっ!わけ!!!ないッ!!!!」
「声でか」

はああああ…尊………なに………形容できる言葉が、ない………
動くたびに揺れるおっぱいにしか目がいかない。いや、腰もお尻もめちゃくちゃセクシーで可愛いんだけど水着で寄せられた谷間が奇跡空間すぎて顔埋めたい。ハッこんなこと思ってるってなまえちゃんにバレたらまた変態って詰られる!


「………ねぇ、全部声に出てるから」
「……嘘でしょ?」
「別に埋めてもいいよ?」
「ブッッッッッッ!!!」
「アハハハ!悟からかい甲斐あるなあ〜」



寄せられたおっぱいをさらに寄せたなまえちゃんからの爆弾発言に慌てて鼻を押さえた。僕を見ながらお腹を抱えて笑うなまえちゃん酷すぎない?なんなの?もうやだなまえちゃんが小悪魔すぎて辛い。


「ね、一緒に入ろ?」


両手で鼻を押さえる僕の手を掻っ攫っていったなまえちゃんに手を引かれるがままついていく。プールサイドに座って滑らかな脚を水につけるなまえちゃんは楽しそうだ。

「冷たくて気持ちいい」
「ほんとだね」


暗い照明がプールの水に反射して、なまえちゃんが脚を跳ねさせる度にそれが波紋を呼んで揺らめく。


「海に行った記憶はあるけどプールなんていつぶりかなあ、悟は?」
「僕も海は…そうだな、十年くらい前だね」


何度振り返っても複雑な感情が迫り上がるあの任務を思い出した。人生初めての失敗。そして新たな次元へ覚醒した切欠。僕のかけがえのない青い春。あまりの懐かしさにふ、と笑みが漏れる。


「………ずっと聞こうと思ってたんだけどさ」
「?」
「悟って忘れられない人でもいるの?」


お尻をつけているプールサイドで、プールの中から引き上げた両膝を華奢な腕で引き寄せて、三角座りのような姿勢でこちらを向くなまえちゃんはどこか不安そうな表情を浮かべていた。ー忘れられない人?自慢じゃないが今までなまえちゃんのような恋人らしい恋人はできたことがない。思い当たる節がなくて思わず怪訝な表情を浮かべてしまう。僕の表情を見て少し不満そうにしたなまえちゃんが言葉を続ける。

「私がここにきたばかりの頃、お買い物に出かけたでしょう?あの時、なんだったかなあ、私の服の話して」
「ああ、なまえちゃんが自分で買い物しないって話ね」
「……なんかそれだと私が買い物もろくにできない人間に聞こえない?」
「あはは。それで?」
「悟がすごい何か懐かしむみたいな、慈しむみたいな顔をしたの、今でも覚えてる。さっき、その時の顔してた」


なまえちゃんは僕の方を見ずに立てた膝の上に腕を組み、その中に顔の半分を埋めて揺らぐプールの水面を見ていた。なまえちゃんの瞳はゆらゆらと揺らめいていた。それが暗い照明と、東京の夜景を反射するキラキラした水面を受けてなのか、それともなまえちゃんの不安を受けてなのかはわからなかったが、とりあえず僕に心当たりがなさすぎて何を言ってあげればいいのかわからなかった。


「ー、まって、ごめん。マジで心当たりないんだけど。忘れられない人なんていないし」
「…私が確か悟にアロハシャツとか似合いそうだよって言って、『僕は着たことない』みたいなこと言ってたからアロハシャツの似合う彼女でもいたのかな?って」


……あー…ハイハイハイ。成程。確かに思い浮かべてた人間は同じだろう。アロハシャツの似合う『彼女』ね。あいつが聞いたら白目剥きそうだな。僕も今久しぶりに『オ゛ッエ゛ー』ってしそうになったわ。


「……あの時私のことあれだけ好き好き言うくせに私が一番じゃないんだ、って思った」
「え…?!待ってあんなときからそんなふうに思ってくれてたの?!」
「………むう、まあ、悟にも悟の人生があっただろうから仕方ないけどね」


むくれたようにそっぽを向いてしまったなまえちゃん、僕の好き好き攻撃にいつも圧倒されててまさか嫉妬してくれることがあるなんて思ってもみなかった。…相手男だけど。


「なまえちゃん、こっちむいてよ」
「…んー、」
「僕が好きなの、なまえちゃんだけだよ」
「またそんなこと言っー…きゃ!」


つん、と釣り上がった眦をこちらに寄越したなまえちゃんに隙あり、と手を引っ張ってプールに二人で飛び込む。水の中で柔らかい身体を抱き寄せ、ぎゅ、と瞼を閉じているなまえちゃんにも無限を纏わせれば、プールの水と僕ら二人の間に数センチの隙間ができた。

「目開けて」
「へ…?!えッ…なにこれ…!」


触れていたはずの水が無くなった違和感と少し反響して聞こえる声になまえちゃんは僕の顔を凝視して必死に状況を把握しようとしていた。
「これが無下限呪術だよ」
と言ってやれば手を伸ばして水に触れようとするー、触れないけれど。プールの中にいるのに、水に触れない。プールの底に足がついていないのに、浮いている。きっと全てが不思議な感覚だろうと思う。僕にとっては君が目の前にいることこそが不思議で奇跡だ。
僕たち二人だけの無限の中で残った空気を分け合うようにキスをした。一瞬驚いた顔をしたなまえちゃんの眉毛がさらに釣り上がった気がして、ちゅ、とわざとらしく音を立てて離れれば不満げな表情を隠しもしないなまえちゃんに苦笑を漏らす。プールの底に足をつけて水面から顔を出して無限を解けば体に纏わりつくひんやりした水温になまえちゃんは目を白黒とさせながら不思議そうに両手で水を掬っていた。ふふ、とそんななまえちゃんに笑いを漏らせば、さっきよりもさらに鋭い視線をこちらに送りつけ、掬った水を僕に向かってぶっかけてきた。


「びっくり体験で誤魔化そうって?……って水かかってない…なんかムカつく」
「わぁお、相当ご機嫌斜めだ」
「ーいいよ、別に。過去のことでしょう、過去は変えられないから」


そうは言いつつ顔は不満そうだけど。
そうだね、と笑う僕になまえちゃんは「どんな人だった?」と尋ねてくる。僕のことを知りたがってくれるのは嬉しい。でももしこれが本当に僕の忘れられない女の子だったりしたら聞いた後気にしたりしないのかな?僕はなまえちゃんの元彼のことなんてぜーんぜん気にしてないけど。君の分までなまえちゃん幸せにするから安心してねとまで思ってるよ。我ながらいい男だよね。


「そうだなあ、僕と唯一肩を並べて歩いてくれたんだ。そんな人間、生まれて初めて出会ったんだよね」
「………へえ」


ほらあ。笑って聞いてるつもりかもしれないけど顔引き攣ってるよ。


「僕と一緒に最強やってくれてたの。僕の青春そのもの」
「……素敵な人だったんだね」
「うん。僕の唯一の親友」
「へえ、しんゆ…親友?」
「ふふ、残念ながらアロハシャツ似合う『彼女』はいなかったよ。アロハシャツ似合う野郎な親友はいたけどね」
「ーいた?」
「昔喧嘩しちゃってさ、今は会えないんだ」
「ー、そう、なの…」
「君が僕の昔のことまで知りたがってくれてるの、知らなかったな」
「知りたいよ。だって悟は私のこと全部知ってるのに、私は今の悟のことしか知らないもの」


私も、好きな人のことはなんでも知りたいタイプらしいの、少し照れながらそんな可愛いことを言うなまえちゃんにたまらなくなってお尻に腕を回して抱き上げた。ざぶん、とプールに小さな波が立つ。自然となまえちゃんの腕が首に回され、人を見下ろすことの多い僕がなまえちゃんから見下ろされた、…ちょっと、問題発生。


「さっきから急に持ち上げられるとびっくりするんだけど」
「……自分でやっといてなんなんだけどさ、目の前におっぱいあって目に毒なんだけど」
「ふふ、埋めていいよ?」
「……じゃあ、お言葉に甘えて、ん〜〜〜幸せ〜〜塩素の匂いしかしないのが残念」
「あはは、ていうか、悟の身長でプール入ると子供用のプールみたいだね。お臍見えてるし」
「んん〜〜〜〜」


あ、やばい。マシュマロみたいなおっぱいに挟まれるの幸せすぎて抜けられない。戦意も思考も削がれる。やばい。なまえちゃんが呪霊だったら瞬殺されてる気がする僕。


「はあ、好き〜〜〜」
「おっぱいが?」
「わかってくるくせに。なまえちゃんが好きなの」


名残惜しくほわほわなおっぱいから顔を上げれば優しげにこちらを見つめるなまえちゃんと目があった。
「私も悟のこと好きよ」と困った顔で微笑むなまえちゃんは濡れた手で乾いた僕の髪を撫でつける。僕はなまえちゃんのことを全てわかったつもりでいるけれど、なまえちゃんは僕のこと、今の僕を形成したこれまでのことを何も知らないということを今更気付かされた。もしかして不安にさせただろうか。なまえちゃんが知りたいと思ってくれるなら、知って欲しい。僕のことを、誰よりも深く理解して欲しいとそう思う。



「…今夜は、僕のこといっぱい知って。聞いてほしいことがいっぱいあるんだ。眠くなるまで、いろんな話をしよう」

少しだけ目を見開いて驚いた様子を見せたなまえちゃんはいつもみたいに僕の大好きな笑顔で幸せそうに笑った。

「うん、聞きたい。今日は夜更かししようね」

寝落ちするまでにベッドでくっつき合って、いろんな話をした。穏やかな表情で頭を撫でながら僕の話を聞いてくれた今日は、体を重ね合わせた日よりも深く、そして近くになまえちゃんの存在を感じる気がした。





もちごめ様、今回はリク企画にご参加くださり、ありがとうございました。
お祝いのコメントもありがとうございます!
僕の推しの話でプールか海に行って推しの水着姿にワタワタする五条のお話ということで、本編で入れられなかったお話を絡めて書かせていただきました。先日完結したお話の続編を早速書けて、かつまた壊れた彼を書いていて個人的にとても楽しかったです。楽しんでいただけると幸いです。素敵なリクエストありがとうございました。


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