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 ◇◇◇


「はい、カット」
 お決まりのさらっとした声が、現場に響く。
 今日は、公園でのロケだ。
 俺は緊張しながら、撮影スタッフの後方で撮影の様子を見ていた。

 今、憧れの先輩と映画を作ってる――まだその実感は持ててないけど、でも、この心踊る感じがたまらない。

「あー……こっちのアングル変えたい」
 受賞賞金でレンタルしたという立派なカメラのモニターをカメラマンの生徒と覗き込みながら、真剣なやりとりをしている先輩の横顔は、真剣で、相変わらずかっこよかった。
 ぼんやり見とれてたら、ふいをついたように可愛い声が聞こえる。
「前原くんー、後ろのリボン直してー?」
 主役の京子先輩だ。慌てて走り寄る。
「あ……すいません、たて結びになってました」
 今のカットは、アップのシーンだから腰までは映ってないはずだ。急いでスカートの背中側のリボンを結び直す。
「前原くんさあ、雰囲気変わったねー」
 俺の、前髪を留めたピンをコツンとはじきながら、京子さんが続ける。「最初誰かわからなかったあ。部室の隅でくらーい感じに座ってた子だって知った時は、変わり様に感激したよー」
「そんな、大げさですよ……」
「ほんとほんと。垢抜けたっていうか、そんな可愛い顔してると思わなかったなー」
 京子さんは、何の遠慮もなく俺をまじまじと見つめてくる。
 照れくさくて、俯きながら言った。
「全部、羽島先輩のおかげなんです」
「羽島くんの?」
「先輩って、すごく褒め上手じゃないですか。だから俺、調子に乗っていろいろやってみただけで」
 先輩の一言は化学変化を起こすから、俺が変わってしまうんだ。
「でもそのピンとか、自分でやってるんでしょ?」
「あ、はい」
「女の子だって、なかなかそこまで上手にできないなー」
 京子さんが、華やかな声で言ってくれる。「羽島くん、人を見抜く能力ハンパないから。自信持ったらいいよー」

 そう、なのかな。だったら嬉しいけど。

 思いながら、ついでに、どうしてもたるみの出てしまうリボンの脇の部分が気になって、頭のピンを1本使って見えないように服に留める作業をする。
「うちの班に来たのも、羽島くんに引き抜かれたんでしょ?」
「引き抜かれたなんて……そんな大げさな」
 俺が肩を竦めると、京子さんが言った。
「前原くん、監督のタイプじゃなさそうなんだけどなー……」
「え?」
 ぼそりとした声に見上げると、京子さんと目が合う。
 京子さんは、綺麗な唇を不敵に微笑ませて、言った。

「羽島くんと、もう寝た?」

 ん?
 と思って、黙ったまま京子さんを見上げる。

「その様子じゃ、まだかー……まあそうだよね。前原くん見るからに初々しいもんね。ごめんね、忘れてー」
「いや、あの、なんの話、ですか?」
 焦って訊き返す。
 京子さんが、まだカメラマンと話し込んでいる先輩をちらっと見た後、俺に視線を戻しながら言った。
「かわいい後輩くんの夢壊して悪いけどねー、羽島くん、相当遊んでるよー」
 一瞬、耳を通り抜けて流れていきそうになった言葉を慌てて追いかけて、捕まえる。
「え? 遊んで、る?」
「見るからにモテそうでしょ? そのまんまな私生活なのだよ、羽島く・ん・は」
 俺は、絶句したまま京子さんを見上げていた。
「知らなかった? まあ……まだ羽島くんと関係もってないなら、傷つく前に教えた方がいいかなって」
「いや、あの、傷つく? 関係、って……」
「前原くん、羽島くんのこと好きでしょ?」
 直球が投げ込まれた。

 好き?
 俺が、羽島先輩を?

 答えようがなくて、考えがまとまらないまま暫く目をうろうろさせて、思い浮かんだことを口にした。
「せ、先輩は憧れの人で……! 理想の人、ですけど――」
「顔真っ赤だよ〜かわいいー」
「いや、あの」
「本気なんでしょ? じゃあいろいろ教えてあげちゃおっかな」
 京子さんは、テンションが急に上がって、俺の顔の前に人差し指を突き出しながら言った。
「羽島くん、美人タイプが好きだよ。モデルみたいな子ね。この間まではあ……ほら、近所の女子校でcamcamの読者モデルやってる子いるでしょ? 名前何て言ったっけ……あの子とー、君と同じ学年の俳優養成所入ってる子。仲良くしてたみたいだけど、もう別れたのかなー」
 俺は、その綺麗な形の唇を呆然と見上げながら、衣装をピンで留める作業を終えた。……我ながら、上の空だったわりにうまく留められた、と思う。
「前原くん、素直で純粋そうだからさー、羽島くんに本気になっちゃったら気の毒。自分の身は自分で守ってね?」
「ま、待って下さい。その話って、ホントなんですか? それに俺、男だし……ありえないですよ」
 頭の中がとっ散らかったまま言うと、京子さんは当たり前のような顔をして言った。
「男の子とか関係ないよ。彼、バイだし」
 頭を殴られるような衝撃が襲って、目の前が白黒に点滅する。
「ば、ば……?」
「バイ、ね。バイセクシュアル。女も男もどっちもOKってこと。男の好みも、きれいな子多いかなあ」
「そ、それって……有名な話なんですか」
「ううん。知ってるのは、一部。関係持つのは、割り切ってる子ばっかりみたいだし……お互い様だからね。話は外にはそんなに拡がらないよね」
 前原くんが知らなくても無理はないか、と京子さんが演技よろしく、人差し指を顎先に当てて続ける。「羽島くん、トラブルは避けてるからね。本気になられちゃいそうな子には絶……っ対!食指伸ばさないの。前原くんは見るからに純タイプだし……羽島くんの地雷のはずなんだけど。宗旨替えしたのかなー」
 ――頭がぼおっとして、耳鳴りがする。
 現実味のない話が、俺の頭の周りをぐるぐる回っていた。
 前につき合ってた子はねえ……と、まだまだ続きそうな京子さんの話を断ち切るように羽島先輩の声が響く。
「長野。さっきのカットもっぺん」
「えー! セリフうまくいったのにぃ」
 京子さんが、口を尖らせる。
「あ、の、リボン。できました……」
「ありがとー」
 京子さんが、にこっと笑う。
 俺は、アイドルも顔負けのその笑顔に、へらっと返した。引きつってたのが、自分でもわかる。
 急いで撮影クルーの後方に逃げて、再開した撮影を見る。
 腕を組んで演技を見守っている、羽島先輩の広い背中。その様子は真剣で、遊びとか、そんなことは眼中にないような硬派な印象をまとってるように見えるのに。
 京子さんの言葉が、耳の奥で響く。

 ――羽島くんと、もう寝た?
 ――羽島くん、相当遊んでるよー。
 ――彼、バイだし。

 思いっきり、頭を振った。
 ……ただの噂話に決まってる。絶対。
 確かに先輩はモテそうだけど。
 でも、羽島先輩が……あんな綺麗な映画を撮る先輩が。ありえない。
 俺の理想の人が、そんな人なわけ……ない。

 噂が本当かどうかなんて、詮索したくなかった。なにより、信じたくなかった。
 たちの悪い噂話なんだったら、先輩のためにも忘れたほうがいい。
 何より自分のために、その話を忘れようと思った。




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