◇◇◇
「前原」
羽島先輩がため息をする。「スカート、膝上じゃなくて、膝下。これじゃ、主人公の性格に合わないだろ」
「す、すいません!」
今日は、今回の撮影の中でも一番大事な告白のシーン撮りだ。
……なのに、俺は、間違った風に衣装を裾上げしてしまうという大失敗をしてしまった。
先輩が、少し苛立ったように髪を掻き上げて、クルーを振り返る。
「今日は、他のカットに変更な」
「羽島ー、どのカット」
風で、ざわざわ鳴る草っぱら。
先輩の背中が、かすむ。
撮影クルーの生徒たちの声が、どこか遠い。
広がる青空と対照的に、俺の頭の中は暗雲がたれこめていた。
京子さんから、『例の話』を聞いてしまってから1週間。
俺は凡ミス続きで、下手するとこのまま先輩のチームから追い出されるんじゃないかって心配までするようになった。
あれから、どうしても先輩の周りに目がいってしまう。
でも、女の子に囲まれて、鼻の下を伸ばしてるような先輩は一度も見たことがない。
第一、そんなことしてたら当然男子から反感買うはずだ。
男からだって一目置かれる人気があるんだから、羽島先輩が女たらしのはずがない。……と、思いたい。
それに、俺は、いつも遠くから先輩を見てきたんだから。本当にそうだったら、わかるはずだ。
ただの噂だって、そう思い込もうとした。
なのに、足が地につかない不快感が、いつまで経っても全身を包んでいる。
先輩が、女の子を抱き寄せて、キスして――勝手に作り上げたシーンが頭に浮かんで、胸が苦しい。
いやそれよりも。
「きれいな、男、って――」
男でもいいんだって、京子さんは言ってた。
女の子を引き寄せているところも見たくないけど、それ以上に、男は……――。
『好きになっちゃダメだよ』
また、脳裏に先輩のあのセリフが蘇る。
あれって、どういう意味だったんだ。どういうつもりで言ったんだろう。
ロケが終わって学校に戻ってくる間も、そんなことばかり考えて、我ながら暗かった。
少し前の暗い自分に戻ったみたいな、そんな感じだった。
◇◇◇
ワイワイと機材を持って部室に戻ってきた部員がみんな帰ってしまうまで、俺は、部室の隅の椅子に座って、顔も上げられずにいた。
(……今日、撮影で迷惑かけたこと……先輩に謝らないと)
先輩のカバンが、まだ机の上に残ってる。まだ、部室の隣の資材置き場に行ったままみたいだ。
俺は、部室に鞄を置いて、深呼吸して立ち上がった。
資材置き場の部屋のドアは、開け放してあった。
ごくり、と生唾を飲んで部屋の入り口に立つ。
中を覗きこむと、資材置場の一角で、先輩は、何か資材を探しているようだった。
俺は、2,3歩部屋に踏み込んで、音を立てないように慎重に扉を閉めると、思い切って頭を下げた。
「すいませんでした……!」
俺を振り返った、先輩の気配がする。
「なに、前原。びっくりした」
どしたの、って呆気にとられたような声に促されて、俺は続けた。
「何度も迷惑かけて……あの……クビにして下さい……!」
そうして、頭を下げたままの時間がすごく長く感じる。
先輩の静かなため息が聞こえて、胸がキリキリした。
「……こら、顔上げろ」
言われても、ただただ頭を下げ続ける。
「……上げろって」
いつの間にか目の前に立っていた先輩に、顎を持たれて、くい、と強制的に顔を上げられる。
心臓がバクバクする。
「丁度いい。前原と少し話そうと思ってたんだ」
先輩はすごく冷静な表情だった。ほんの少し怒っているようにも見えて、今度は胃がキリキリしてくる。
「……ほんとに、すみません」
先輩は、俺から手を離すと背を向け、部屋の奥に引き返した。そして、備品が詰め込まれたダンボールの脇の作業机にどかりと浅く座る。
「前原、最近上の空だよな」
その窺うような視線に、うろたえた。
「すみません」
「もしかして、変な話でも聞いた?」
「っ」
俺の顔色を見て、羽島先輩が眉を寄せる。
「長野辺りか……あいつ噂話が好きだから。どうせ俺が遊び人だとか言ったんじゃない」
俺が言葉に詰まってると、先輩がため息して続けた。
「そんな噂、聞き飽きてるよ」
「……噂、なんですか?」
「うん。遊んでるって言われるのは、心外だな」
肩の力が抜ける。
……そっか……そうだよな。やっぱりただの噂だったんだ。
ほうっと、体の強張りが溶けていくようだった。
羽島先輩が、遊んでるなんて嘘だったんだ。第一、こんなに忙しそうでいつ遊んでるっていうんだろう。
羽島先輩みたいに有名人だったら、変な噂の1つや2つくらいあるだろうし、いわれのない噂は誰でも嫌なはずだ。……鵜呑みにしてたことが恥ずかしい。
「すみません。変な話を真に受けたりして」
心から謝ると、先輩が慣れた口調で滑らかに話を続けた。
「うん。遊びじゃなくて、割り切ってるから」
……?
話が見えなくて、顔を上げた。
「持論を言うとさ。セックスも感性を高める為の手段なんだよ。割り切った関係だったら問題もないでしょ」
「……え?」
今、すごいセリフを聞いた気が、する。
「いろんな子と寝てみてるのは、本当。ただ、遊びではない」
え? なに、言ってんの……?
「だって……だって先輩――」
あんな綺麗な映画を撮る人が。何を――。
「冗談……ですよね」
「冗談? どこからどこまでが?」
「こ、恋人でもない複数の人と関係持ってるってことですよね」
「まあ、そうなるかな」
「……そんな……先輩は、そんな人じゃ――」
俺が言いかけると、先輩は、明らかに不愉快そうな表情を浮かべて言った。
「俺がどんな目的で誰と寝ようと勝手じゃない? 前原に何の関係があるわけ?」
耳がしびれて、頭の奥で言葉が震える。
……確かにそうだ。俺には何の関係もない。
「……すみません。そう、ですよね」
呆然とした声って、こんな頼りない声なんだ。
膝が震えてる。
ショックだ。俺、ショックを受けてる。
「……なんで泣くの」
そう、俺は泣いていた。涙止めなきゃ。うざいって思われる。
「す、すみま……っ」
「俺、なにか言い過ぎた? 泣かせるつもりはなかったんだけど」
慌てて涙を拭った。唇を噛み締めて、この場を離れることも何か言うこともできないでいると、先輩は、きれいな指を組んで膝の上で遊ばせながら言った。
「いいよ。前原の話聞くよ。何か思ったことあるんでしょ。言ってみな?」
怒ってるようじゃなかった。いつもと変わらない、どっちかというと宥めるような言い方で。
俺は、ごく、と唾液を呑み込んで息を整えながら言った。