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「お兄様に、渡してくれないかしら」

 さらさらの髪を風になびかせて、とんでもなく綺麗な女の子が包みを差し出してる。
 品が良さそうな膝丈の巻きスカートの制服が、目に眩しい。
「す、すみません、俺、そういうのは断ってくれって言われてて――」
「渡してくれるだけでいいの」
 必死な顔で言われて、焦る。
 俺の兄さんは、すごくモテるんだ。
 なんで直接本人に行かないんだよって思うけど……確かに、兄さん相手だったら緊張するよな。
 この子の気持ちはわかる。
 だから……また、包みを受け取ってしまった。




弟の気持ち




 今度は、俺が緊張する番だ。
 朝食のパンを頬張りながら、廊下の気配に耳を澄ます。
 板張りの上をやってくる、微かな足音がした。
「……おはよ」
 静かに部屋に入ってきた人に、恐る恐る声をかける。
「おはよう」
 俺をちらっと見て言ったその人は、広いテーブルの向こうに用意された朝食の前に座った。
 ブルーのタイのブレザーが、よく似合っている。
 話を切り出すタイミングを窺って、深呼吸した。
「章宏(あきひろ)兄さん」
 兄さんが、こっちを見る。
 綺麗すぎる顔は、黙って見られるだけで射抜かれるように冷たく感じる。
 う。ひるむな。
「あのさ、昨日、その――」
 膝の上にある包みをぎゅっと握る。
 兄さんが、じっとこっちを見てる。
 ……なんで俺が緊張しないといけないんだよ。
 ごくん、と唾を飲んで、口を開きかけると、兄さんが、小さくため息をした。
「晴哉(はるや)」
「え」
「出せよ。預かったんだろ」
 手を差し出した兄さんに、慌てて包みを差し出した。
 警察犬かっていうぐらい、兄さんは、いつも俺が何を隠しているのかわかってしまう。
 考えてることが顔に出やすいって誰かに言われたことがあるけど、でも、兄さんは勘が一際鋭いんだ。
 兄さんは、包みを受け取ると、添えつけられた花柄のカードにちらっと目をやった。
「……もう、頼まれて来るなよ」
 お決まりのセリフを言われて、ごめん、って項垂れる。
「サチさん」
 お手伝いさんが呼ばれて、兄さんの傍にくる。
「申し訳ないけど、これ、返しておいてくれますか」
「に、兄さん」
 サチさんが、わかりました、と包みを受け取って廊下に出る。
「いちいち受け取っていたらキリがない」
「でも、その子、すごく必死で」
「弟に渡させるなんて卑怯だろ」
「そんな」
「おまえだって、引き受けた荷物をいつもこんな風に扱われて、嫌な想いするだろが」
「別に、俺はいいんだけど――」
 俺は、ちくちくする胸を掴んだ。
 確かに兄さんの言う通りではあるけど、女の子の気持ちもわかるよ。
「おまえが優しいのを言い事に、面倒を押しつけるような人間は気に食わない」
 兄さんは、そう冷たく言い放って、何事もなかったように朝食に手をつける。
 俺は、呆気にとられて、涼し気な兄さんを見つめていた。
 兄さんは、掴みどころがなくて、冷たそうで。
 でも、血の繋がった弟じゃない俺を気遣う素振りを見せてくれる。
 いつも、恥ずかしいような嬉しいような面映ゆい気持ちになるんだ。
「晴哉さん。学校に遅れますよ」
「あ、うん」
 サチさんに声をかけられて、慌てて立ち上がった。




「おーい」
 クラスメートの谷中が、にやにやっとして近づいてくる。
 机に、ばさっと、雑誌が開いて置かれた。
「……『下町の貴公子』? ……えっ!?」
「『西村章宏、都内の高校に通う17歳。老舗呉服屋で微笑む美少年』……だってよ。これ、おまえの兄貴だろ?」
 驚きすぎて、瞬きを忘れていた。
 着物姿で静かな微笑を浮かべた兄さんが写ってたんだ。
「親父が持ってた業界の専門誌だよ。珍しくミーハーな特集組んでると思って見たらさあ」
「これ、くれない!?」
 とっさに口に出て、今度は、谷中が驚いてる。
「持ってないのか?」
「うん。こんなのいつの間に取材してたんだろ……」
 3ページの特集記事。
 兄さんの、いろんな写真が載っている。
 店先や店内で撮られた写真や、稽古先の教室や高校の教室で撮った学生服の写真もある。
 どれも、兄さんの生活を切り取ったような自然な写真だ。
 特に、街中で撮られた写真が目を惹いた。
 どこかを憂い顔で見つめる横顔。切なそうな何か言いたそうな表情で、胸が苦しくなった。
 それが、ため息が出るほど綺麗で、かっこいい。
「こんなできた兄貴がいたら、嫌だよなあ」
「……見せて回りたいぐらいだけど」
「変な弟」
「かっこいいんだから、しょうがないじゃん」
「おまえ、すっげーブラコンだな」
 でも、兄さんを見て、大したことないよなんて言う方がひねくれてる。
 谷中にだって、章宏兄さんの弟をやってみればわかる。
 圧倒的な人を前にすると、こうなるしかないんだよ。
 だから俺も、だいぶ前にいろいろ諦めてる。
「俺も弟いるけど、おまえみたいじゃないぞ。何かって言うとつっかかってきて、なんでも比べて勝ちたがる」
 谷中が、はあ、と重くため息を吐いて続けた。「……おまえみたいに素直な弟なら、もうちょっと可愛がるんだけどな」
「……だったら、兄さんももうちょっと俺のこと可愛がってくれてもいいのになー」
「この、腐れブラコン」
 谷中が、付き合いきれねえって顔をしたら丁度、チャイムが鳴った。
「やるよ」
「いいの?」
 俺が持っててもしょうがないし、って、雑誌を置いていってくれた。
 兄さんの写真を見ながら思う。
 もしも本当に血が繋がってたら、俺も、兄さんと張り合おうとしてみたりするんだろうか。
 絶対勝てそうにないのに。
「……なんか、そういう次元じゃないんだよな」
 小さくため息をしながら、横顔の写真を見つめていた。


 ***


 家に帰って来ると、高校から帰って来た兄さんと玄関ではちあわせした。
 雑誌の話をしたら、あっさり認めた。
「……業界紙の取材で、あんな風に特集されるとは思わなかった」
「でも、すごくいい写真ばっかりだったよ」
 そう言うと、ふと、兄さんの表情が曇ったように見えた。
 困ったような、そんな感じだ。
 でもすぐに、いつもの涼しい顔に戻ってため息する。
「見たのか」
「うん。記事も、兄さんのこと良く書いてあったけど」
 老舗呉服屋西村の若き跡取りが、どんなに忙しい毎日を送って努力しているかっていうことが伝わってくる記事だった。
「……今度から、女性ライターの取材には用心する」
 兄さんが、そうぼやいて、学生カバン片手に廊下を歩いて行く。
 俺は、その背中を見送りながら口を尖らせていた。
 周りが盛り上がってても、本人はいつも落ち着いてるんだ。
 俺も何度かプレゼントの配達させられてるぐらいだし、高校ですごくモテるんじゃないかって思うけど。
 ……まあでも、これで兄さんが遊びまくってても、嫌だな。
 思って、頭を掻く。
 兄さんは今日はこの後すぐ茶道の稽古だ。きっと遊んでる暇もない。
 俺は、部屋に戻ってジーンズとカットソーに着替えた。パーカーを羽織って、財布を持つ。
 ふと、投げ出していた学生カバンを持って、今日もらった雑誌を取り出した。
 めくって、あの記事を見る。
 兄さんの横顔の写真を見て、ため息が出た。
 何度見ても、見てるこっちが切なくなる。どんな気持ちでこんな顔してるんだろ。
『コンコン』
 ノックがして、慌てて雑誌を隠した。
 手を強か机にぶつけて悲鳴をあげる。
 ……別にエロ雑誌見てるわけじゃないんだから、こんな焦らなくてもいいよな。
「サチです。晴哉さん、今日はいつも買われている漫画雑誌の――」
「買いに行って来る」
「私が行きましょうか?」
「いいよ、自分で行く」
 この、おぼっちゃま扱いは、未だに慣れなくて、いつも気恥ずかしい。
 雑誌を本棚にしまってから、部屋を出た。




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