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 コンビニから散歩して帰って来ると、女の人が家の前をうろうろしていた。
 上下の柔らかい色のピンクのスーツを着てて、社会人って感じだ。携帯片手に、右往左往してる。
 怪しい。
 少し警戒しながら、近づいた。
「……うちに、なにか用ですか?」
「きゃっ!」
 女の人が、驚いて飛び上がる。
 振り返って俺を見て、目を丸くした。
「あ! 君、弟の――」
 ……なんで俺のこと知ってんだろ。兄さんの知り合いかな。
 とりあえず挨拶をして、頭を下げた。
「晴哉です」
「こんにちは。お兄様は?」
「稽古に行ってますけど……どうしたんですか?」
「相変わらず忙しいのね〜。約束があったわけじゃないんだけど、近くまで来たから」
 言いながら、黒いカバンを探っている。
「この間の取材の写真、渡しておこうと思って」
「取材……? もしかして、業界誌の?」
「あ、見てくれたの?」
 ぱっ、と笑顔になって、先に名刺が出てきた。
「私、フリーライターの岡元と申します」
「あ、はあ」
 次に、雑誌とCD-ROMが出てきた。
「これ、お兄さんに渡しておいてくれる?」
 ふと、いつものプレゼントのことが頭を過ぎって苦笑いした。
 さすがに今回は、怒られない……よな。
 俺は、差し出されたCD-ROMと、谷中に見せてもらったのと同じ雑誌を受け取った。
「ファイルの中に君の写真も入ってると思うから」
「え?」
「覚えてないかな。私、あなた達の2ショット撮らせてもらったんだけど」
 ……あ。
 そういえば、思い出した。
 確か、2ヶ月前くらいだ。中学の帰りに本屋に寄った時だ。
 商店街を歩いてたら、兄さんを見つけて声をかけた。
 その時一緒にいたのこの人か――1枚いいですかって言われて、撮ってもらった覚えがある。
「弟さんの写真も載せたいって言ったんだけど、お兄さんにダメって言われちゃって」
「え?」
「弟さんは、家業と関係ないし、学業に支障が出ると嫌だからって。……大事にされてるのね」
「そう、だったんだ」
 家業と関係ない、かーーなんとなく落ち込んでると、お姉さんが雑誌を持った。
「確か――」
 ペラペラっとめくって、一枚の写真を俺に指差す。「この後ね。君が走ってきて、お兄さんに声をかけたの」

 声が出なかった。
 岡元さんが指さしてるのは、あの、兄さんの横顔の写真だった。

「いい写真でしょ? 学校生活の取材させてもらった帰りにね、お兄さんが何かに気づいて見てたの。その顔がすごく良くて思わず撮っちゃったのよー」
 心臓がとくとく速く鳴り出す。
「この後すぐにかわいい弟くんが走って来て、私も舞い上がっちゃって」
 お姉さんが、楽しそうに話してくれる。
 ぎゅうっと胸が締め付けられて、奥歯を噛み締めた。
 兄さんは、こんな綺麗な目で、俺を見つけてくれてたんだ――。
 急に泣きたくなって、慌てた。
「……ありがとうございます。渡しておきます」
「晴哉」
 透き通るような低音が耳に届く。
 顔を上げると、すっと伸びた背筋で見事に藍色の着物を着こなした兄さんが、警戒するように岡元さんの背中を見ていた。
「あ! 章宏くん」
「……岡元さんか」
 振り向いた岡元さんを見て、兄さんが、ふっと息を抜く。「どうしたんですか、急に」
「おうちの前で困ってたら、弟くんに助けられたの」
 ふふっと笑って、岡元さんが俺にウインクする。
 どきまぎしてると、兄さんが歩いて来て、俺の腰に自然に手を添えた。
「あんまりこいつをからかわないで下さい」
「……ブラコンなのね、お兄さん」
 こそっ、と言われて、目を見開いた。
 兄さんが?
 そんなこと、全然ないですけど。
 いつも素っ気ないし。俺のことなんかアウトオブ眼中でーー。
「君のことガードされちゃって、私すごく困ってるんだから」
 兄さんが、呆れたようにため息する。「……聞こえてますよ」
 じっとりと冷たい視線に気づいて、岡元さんが慌てて話題を変える。
「あの記事、すごく反響があったのよ。続編はどうかって話になってるんだけど」
「父に相談してみます」
「勿論、お父様にはお話ししてあるわ。でも、あなたの気持ちも聞いておきたくて」
「父が、いいと言うなら」
 そう言った兄さんの顔を盗み見た。
 ふと、寂しそうな諦めているような目に見えた。
 その腕を掴みたい気持ちになるのを誤魔化して、手を握り締める。
「そう……じゃあ、お父様のお返事を待つわね」
「そうしてください」
「それと、弟くんのことだけど」
 兄さんの目に、力が戻った。意志のある強い目だった。
「弟は、記事には出させませんから」
「わかってるって。そこは、お父様よりも、あなたの意志を尊重する」
 お姉さんが、困ったように笑う。「私が言いたかったのは、別のことよ。弟くん覚えてたの。ほら、写真撮らせてもらった時のこと」
 兄さんが、あ、という顔になった。
 俺をちらっと見て、目が合う。
 でも、すぐに目を逸らされてしまった。
 少し耳が赤いような……俺までどきどきしてきて、困った。
「弟さんがもう少し大きくなったら、本人に了解もらいに来るわ」
「させませんから」
「はいはい」
 兄さんの釘をさすような言葉に、岡元さんが笑いながら手を振った。
 その姿を見送る。
 兄さんに促されて家に入ってから、訊いた。
「取材を引き受けたのは、父さんなの?」
「俺は、未成年だからな」
 そっか。
 改めて言われてみれば、兄さんは、まだ高校生なんだ。大人っぽいから、つい忘れてしまう。
「兄さんは、取材嫌だった?」
「……店のことをお客様に知ってもらういい機会にはなる」
「嫌じゃないんだ」
「どうとも思わない」
 そう言って、羽織りを脱いでいる
 出てきたサチさんがそれを受け取って、着付け部屋に入っていった。
 兄さんが、大きく吐息しながら髪をかき上げる。
 その背中が、ひどく疲れてるように見えた。
 だんだん逞しくなってきたその肩に、いろんな事情がしがみついているように見えて、たまらなくなった。
「俺、兄さんのこと尊敬してるから」
「……なんだ、急に」
 振り返って、兄さんが俺を見た。驚いたような困ったような顔だ。
「兄さんのこと、すごいと思ってる」
 だから、そんな諦めた目をしないでほしい。
「自分でわかってないだろうけど、兄さんはすごいんだよ。文句も言わないで毎日稽古に行って」
 西村の跡継ぎの看板を背負わされて大変なはずなのに、俺の心配ばかりしてくれてる。
 8歳の時にこの家にもらわれてきた、本当の弟でもない俺のことを。
「……俺、兄さんのこと好きだから」
 兄さんが、驚いたように目を見開いていた。
 改めて言うのは恥ずかしいけど、でも、すごく言いたかった。
 兄さんが俺を大事にしてくれてるみたいに、俺も大事に思ってるってわかってほしい。
 血は繋がってなくても、誰よりも大切に思ってるって。
 西村の家の犠牲にならないでほしい。兄さんは、一人の、意志を持った人間なんだから。
 だから、俺がここに居るから……そんなに寂しい顔しないで。
「本当は、兄さんにいろいろ話してほしい。でも、俺じゃ頼りにならないってのもわかるし……けど……」
 俺を凝視していた兄さんが、しどろもどろの俺を見て、何かわかったように、ふう、と息を吐き出す。
 音もなく歩み寄って来て、腕を掴まれて引き寄せられた。
「わ」
 ぎゅっと音がしそうなほど強く抱きしめられて、心臓がドキドキする。
 藍の着物からお香の香りがする。いい匂い。
「……晴哉」
 苦しそうに呟いた兄さんの腕に、一瞬力がこもって離れていった。
 移りかけていた体温が行き場を失って、指の先から抜けていく。
 あの、憂いがかった目が俺を見た。
「やっぱり違うよ、俺とおまえは」
 そう言われて、胸を掴まれたみたいに苦しくなる。
 兄さんは、俺の手から、岡元さんから預かったファイルをするりと取り上げて、着付け部屋に消えていった。
 ――……違う?
 俺と、兄さんが。
 兄さんのあの、苦しそうな顔。
 写真の中の横顔を綺麗だなんて思った自分が無性に恥ずかしくなった。
 ……あんな顔、もうさせたくない。
 でも俺は、何をしたらいいんだろう。
 部屋に戻って扉を閉めると、涙が滲んだ。
 それが不思議で、自分のことがわからなくて。
 早く大人になりたいって、そう思った。


 2011/03/10
 終


 >>あとがき
 キリ番.6666HIT名無し様リクエストで「甘やかされる晴哉(『罪人は〜』)」1話でお話がわかるようにしたつもりですが、うまくいってるかわかりません。長編の少し前のお話ということで。高校生時代の章宏を書くのがえらく楽しかったです。……長編も高校生時代くらいから書き始めてもよかったかなあ、って。これを機に長編も読んでもらえると嬉しいです。素敵なリクエストをありがとうございました!

 久賀




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