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 青野がスラックスのボタンを外し、前立てを開ける。アルマーニの下着を親指で引っ掛けて下ろすと、なんの躊躇いもなく己の性器を晒す。
「……っ」歩は、とっさに目を背けた。
 それは、他人の性器を見る教育など受けていない当然の反応だった。
「知りたいんでしょう。よく見てください」
 青野の低音には強制力がある。
 歩は、恐る恐る視線を青野の下半身へ戻した。
 処理されているのか、無毛だ。そして、そこにまでも鬱血が広がっている。歩は、その痛々しい色にきつく眉を寄せた。
 青野が自分の性器をひと撫でして持ち上げて見せる。2、3度、機械的に擦るとわずかに反応をみせて、歩はカッと耳が熱くなった。
「な、にを……」
「わかりませんか」
 歩は、手の中で示された大人の性器に目を細めた。自分のものより大きく、重量感がある。その形をとらえようと湯けむりの中で目をこらすと、陰茎に直径1センチほどの丸い突起が規則的に並んでいるのがわかった。
 歩の目は、今はもう青野のそれにひたすら釘付けになっている。
「根元に向かって3つ、並んでいるのが見えますか」青野が無感情に突起を撫でてみせる。
 歩は思わず伸ばした指先で、青野が支えている性器の突起のひとつに触れた。
 一瞬、青野が押し黙る。
「……あっ、ごめ、なさ――」
 引っ込めようとした歩の手を、青野が掴んだ。そのまま自身の裏筋に触れさせる。
 上面と同じように並んだ突起が、コリっとした固さで歩の手にはっきりと触れた。驚いて思わずパッと手を引く。
「なに、これ――」
「シリコンです。昔は真珠なんて呼ばれていたようですが」
「……透真さんが入れたの?」
「ええ。しかるべき場所で処置を受けました」
「なんで、これ、何のために」
「仕事で必要だったので」
 また、『仕事』だ――。
 歩は混乱して言葉を失った。
 青野は既に萎えた性器を、濡れて色の変わった下着にしまった。
 ぴったりとした布越しに彼の形がありありとわかって、歩は恥ずかしさで目をそらす。
 頭の中で、ぐるぐると思考が回っていた。
 どういう事情があるのか確かめたい。でも、怖くて訊けない。でも――。
(ここまで来たんだ、今更なにを躊躇することがあるんだよ)
 そう思い直して、歩は青野を見上げた。
「透真さんは……どうして、こんなことしてるんですか」
 青野が、歩を見下ろして目を細める。
「あなたのお父様の重要な取引先の、ご要望に沿うためですよ」
 歩が、青野を見上げたまま固まった。
 混迷していた思考が、急速にひとつの答えに収束する。
「性、接待……」
「ええ。そういう類のものです」
 歩は、さっと血の気が引いた。「……まさか、父が透真さんにさせてるの」
「その表現は正確ではないですね」青野の表情が一層、機械じみる。「お言いつけ通りにホテルへ向かうと先方が裸で待っている、それだけのことです。言葉で指示を受けたことはありません。形式上は私が勝手にやっていることです」
 プログラムされた台詞を話すように、無感情な声がバスルームに垂れ流される。いくら無機質な声音でも、歩には青野の昏い感情が感じられた。
「そんなバカな話……」歩は、呆然としながら続けた。「いつから」
「あなたにお会いする前からです」
 ――知らなかった。
 青野が無下に扱われ、性器の形まで変えさせられていたことになぜ今まで気づかなかったのか。
 歩は、唇を白くなるほど噛みしめた。
 歩がのんきにも青野との会話に一喜一憂している間、彼は地獄を生きていたのに。
「男も女も相手をしてきました。両手の数では足りません。取引先の秘書にシモの世話をさせるような連中です、立派なご趣味を持つ変態ばかりですよ」
 青野の胸元に貼り付いた痣が、歩の感情を揺さぶる。「……ひどい」
「ひどい? あなたにはそう見えるんですか」
「誰だってそう思うよ! ひどすぎる、こんな……っ」
 声が情けなく裏返る。歩は、手で自分の口をふさいだ。
(さっきまでは、この人に殺されるんじゃないかと思っていたのに)
 青野の存在が、急に希薄に思えた。
 この暴虐がどこに向かうのか想像して血の気が引く。
 ――透真さんを、失ってしまう。
 ぶるっと、歩の背筋に震えが走った。
「……逃げなきゃ」
 歩の震えた声に、青野が一瞬目を細める。
「父から逃げないと」
「どこに逃げろと言うのです」
「まず、まずは警察に――」
「あなたのお父様も、変態趣味をもつ金持ちの皆様も、警察にコネクションのある人物ばかりですよ」
 目を細めた青野に冷たく言い放たれて、歩は言葉が詰まった。
「それに私は、口にできないような手伝いもしてきました。署に駆け込んだところで、所詮、トカゲの尻尾です」
「……なら、だったら、俺が助けます」
「どうやって?」
 冷静な口調で問われて、歩は胸が苦しくなった。気持ちばかり先走って、思考が一向にまとまらない。
 この人を父の目の届かないところへ隠したい。でも、どうやって――。
「あなたがいくら考えても時間の無駄でしょうね」
「だからって……だからって、このままじゃ……!」歩は、反論しかけた唇を閉じた。
 青野の人差し指が、震える歩の唇の上に乗せられたからだ。
「あなたは、なにか勘違いをしているようだ」
 青野の冷えた声に、歩が眉を寄せる。
「倒錯した金持ちどもの醜態は本当に嘲笑えたものですよ。耳障りにわめいて、私の足を舐めるような者さえいるんです。私はそれを楽しんでさえいる」
 困惑する歩に、青野が昏く哂った。
 それは、地獄の底から這い出た悪魔の笑みを思わせた。
「人形、男娼、猿、奴隷――そうそう、玩具などとも呼ばれましたか。使い古しの罵りばかりでセンスの欠片もない……そう思いませんか?」
 動揺で瞳を揺らす歩の顔を、青野が表情のない目で撫でている。
 羞恥と絶望が代わる代わるやってきて、歩は今、自分の体が熱いのか冷たいのかわからなくなった。
「しかし……どうにも我慢がならないことがひとつ。醜悪な金持ちどもを、腰を振って悦ばせなければならないことだけは耐え難い」
 冷え切った青野の目が、歩を見据える。
「関わった者を全員、今すぐにでも殺せればよいのですが」
「……っ」
 歩は、慄然とした。
 青野から向けられる殺気の理由がやっとわかった。
 彼が言う、"関わった者"には当然、歩も含まれているはずだ。
 青野の全身から、殺気が迸って見える。
 歩は、なぜ自分が未だに殺されずにいるのか不思議でたまらなくなった。
『あなたはその気になれば、私をどうとでも扱うことができる』
 あの言葉は、歪んだ欲望のはけ口になってきた青野の、究極の皮肉だ。やっとそれがわかった。
「俺に、何かできることはないんですか……っ」
「ありません」間髪を入れずに機械的な声が歩に告げる。
 その言葉が、ずしりと歩の肩に乗った。
 青野の指先が、歩の顎をついと上げさせる。「まるで他人事のように、私を助けるなどとおっしゃっていますが――」
 体の芯まで凍えさせる青野の声に、歩の息が震えた。
「私をこんな目に遭わせているのは……歩様。あなたですよ」




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