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 ささやかな幸せを求める内、全部が欲しいと思い始めた。
 そして、後悔して、泣いて、心を否定した。
 いっそ出会わなければよかったのに、って、運命を呪いはじめた。
 ……望みは、ただ。
 美しいあなたを見ていたいだけなのに。

 



罪人は、それでも幸せを願う
第8話





 蝉の声で目が覚めるようになると、高校が休みに入った。
 久留米と通う予備校の夏期講習も本格化して、どさくさ紛れに個人塾をやめた。
 兄さんに言われた通りに、というわけじゃなくて……だって俺には、"先生"がいるから。


「おかえり」
「ああ」
 夜8時。
 兄さんが、薄青の涼し気な夏の着物で凛と帰ってきた。俺を一瞬見て、着付け部屋へ着物をさばいて歩きながら、後ろ手に慣れたように帯を解いている。
「サチは。何か言ってたか」
「もう帰ったよ。夕食、冷蔵庫に用意してありますって」
「わかった」
 簡潔に言って、部屋に消えていく背中。
 勉強をみてくれる、とは言ってたけど……店で疲れてるだろうし。本当に頼んでいいのか迷う。
 着付け部屋の前に行って、障子越しに声をかける。
「兄さん、ごはん温める?」
「いいよ、自分でやる」
 部屋の中から、兄さんの着物が畳に擦れる音が聞こえて、ドキっとした。
「俺もこれから食べるから……ついでだし、一緒に温めておくけど」
 足音がしたかと思うと、おもむろに障子が開いて驚いた。「わ」
 着物のはだけた兄さんが、顔を覗かせて俺を見下ろしている。
 綺麗に筋肉がのった胸元が見えて、思わず声が詰まった。
「夕食、待ってたのか」
「え……と」
 だって、一緒に食べたかったし――バカ正直に言うのも気が引けて、曖昧に頷く。
「俺の帰る時間なんかわかんねえし、待たなくていいんだからな」兄さんが、そう呆れ気味に言う。
「で、でも、待ってたかったから」
 思わず言ってから、しまったと恥ずかしくなった。
 ……本当の弟だったら、こんなこと言わないかもしれない。普通、が、いちいちわからない。
 兄さんは、少しの間俺を見つめた。
「……じゃあ一緒に温めといて。シャワーすぐ済ませる。先食べてていいから」
「や、ゆっくりしてよ」
「勉強は飯食った後でいいか」
「うん」
 障子が静かに閉まるのを見守る。
 約束、覚えててくれた。
「……はあ」
 顔が熱い。
 ほんのささいなことで、胸が苦しくなる。






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