こひとうつしよ 10
人の気配のない深夜の風呂場で、一日店を走り回った体を清める。
今日に限って、柏木兄さんは女客二人と朝までの座敷に入った。
その背中を見送るのが、たまらなく苦しくて。
……櫂兄さんに落語の一席を聞いてしまってから、頭の中がぐしゃぐしゃだ。
「ああもう……」
柏木兄さん、なんで俺にあんなことを言ったんだろう。
間もなく水揚げという、こんな時期に。御酒が入っていたにしたって、どうして――。
心が掻き乱される。兄さんのきれいな手が、俺の胸の中をまさぐって掻きむしってぐちゃぐちゃにしてるみたいだ。
風呂の縁に額を持たせて、大きく息をする。
『……そうじゃないと、俺にさばかれて骨を抜かれちまうよ』
間近に聞いた、熱っぽくて切ない声。
あの言葉にそんな狂気めいた熱が潜んでいたなんて知らなかった。
「……っ」
訓練をしろ、と言われた。無体な言葉だ。こんなに兄さんが恋しいのに、他の男に抱かれる練習をしろだなんて。
右手につけられた柏木兄さんの歯型も、もう消えかかっている。
どうにも治まらない熱っぽい体のまま、湯から上がった。
洗い場に跪いて、部屋から持ってきた小瓶を手に取る。初めての『教育』の後、自分でしな、と柏木兄さんから渡された香油だ。なんとなく躊躇って、今まで使えなかった。
恐る恐る開けて、指先に垂らした途端に鼻先をかすめた香りに戦慄する。
廊下をすれ違う時に、兄さんの首筋から胸元から香り立つ清涼な……大陸を思わせるあの香の香りが。
「……兄さんが、香油に……混ぜて……?」
目の奥がじりっとする。勝手に体が熱くなって、息が上がって、たまらなくなる。
小瓶を傾けてとろりと手に出すと、兄さんの香りが俺を包む。
じれったく、尻の間に指を滑らした。
(……ひどい。ひどい人だ)
柏木兄さんは、こうやって俺の心を体をいとも容易く追い詰めていく。
今頃、柏木兄さんは女客をどんな風に抱いてるんだろうなんて、詮もないことを俺に想像させる。
「ぅ……」
指に吸い付くようにそこが動いて驚いた。ひくひく蠢いていやらしい。ここが、こんな風になってしまうのを……兄さんには知られてしまっているのかもしれなくて。
兄さんの手やお口が。俺の性器を擦って、含んで、器用な舌で可愛がってくれて。柔らかくて熱い唇と粘膜が、弱く強く――。
この、毒のような記憶。
指先をひくついているそこへ潜り込ませた。
疼いてくすぐったいばかりで、気持ちの悦いところがわからない。
『……おまえのいいところだよ、覚えな』
そう言われて、あのきれいな指が擦って穿った場所は、どこだっただろう。
俺の手じゃ、よくわからない。
「あにさ……、わからなぃ……」
いっそ、言葉通りにこの骨を抜いてぐずぐずにしてほしい。
あの声で。手で。長い髪の先をこの肌に滑らせてほしい。
艶噺の色男が青年を欲した狂おしさで。俺のすべてをさばいて、食らって。
「か……しわぎ、あにさ……っ」
胸が散り散りに千切れて、燃えそう。
兄さんの言葉に一喜一憂していたい。艶やかな気配に虜になっていたい。
指を含ませたまま昂ぶった熱を擦ると、びくりと腰が震えた。疼いていたせいで、呆気なく果ててしまう。
「うまく……できない……」
あなたがしてくれないと、上手に悦くなれない。
どうしても抱いてほしい。陸に上がってしまう前に。
一度だけでも。
朝陽を浴びて死んだ魚のように、あなたの狂おしい熱の中で、果ててしまいたいのに。