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「おーい待ちな」
 柏木兄さんの一声がかかって、にじり下がろうとした手を止める。
「このえさんのご所望だよ。おまえも座敷遊びにつきあいな」
「あ……はい」
 このお嬢さんは、このえさん、という御名前みたいだ。
 もう客がひけるような時分にお座敷遊びとは珍しい。大体はほろ酔いの頃にはじまって、何人も呼ばれてわいわい遊ぶものなんだけれど。
 俺は、にじり寄って「なにをいたしましょうか」と、このえさんにうかがった。
「ええと……私、こういう場所ははじめてなもので」
 ろれつの回っていない鈴の鳴るような声が可愛らしい。
「なら、兎あそびはどう」
 柏木兄さんが、決めつけるでもなく呟く。
 え、と俺が思わず漏らしてしまった口を覆うのに気づかないで、このえさんは、ぱっと顔を輝かせて言った。
「うさぎあそび? どうやってするの?」
「夕凪」
 兄さんに目配せされて、俺は、初心者相手に玄人の遊びをするんだなと不審に思いながら、お膳を脇へ寄せた。
 咳払いしてから、耳に見立てた両手を頭の上へぴょんと立ててみせる。
「兎追いをするお遊びです」
 俺の声で、柏木兄さんも両手を頭の上へ掲げてみせる。
「あら、かわいい」
「このえさん、握りこぶしを」
 俺の声に合わせて、このえさんがこぶしを握ってみせる。
「はじめの人は、石つぶてを握っています。好きな兎に向かって、おひとつ、と言いながら手を振ってください」
「ええと……おひとつ?」
 そう言って、柏木兄さんに向かってこのえさんが石を投げる真似をする。酔っているせいかふらふらと危なっかしい。
 すると兄さんが、兎の真似をやめてこのえさんから石を受け取った身振りをした。
「このえさん。石を投げ終わったらあなたも頭に手をかかげてください」
「こう?」
 少し頬を染めながら、このえさんが耳を作った。
「おふたつ」
 言いながら、柏木兄さんが俺に向かって石を投げる。
 今度は俺が、兎の真似をやめて石を受け取ったフリをしてから言った。
「もちつき」
 柏木兄さんが、さっと両手を器のようにして胸の前に構える。
「このえさんも、臼をつくってください」
「え、え」
 このえさんが戸惑ったような嬉しそうな声をあげながら、臼に見立てて手を構える。
「俺は、このえさんと柏木兄さん……好きな方に杵(きね)を打つことができます」このえさんが、こくこくと頷くのを見届けて俺は、「ぺったん」と言いながら、握った拳をこのえさんの白い手の臼の上に置いた。
「……捕まえた、と言いながら、夕凪の手を握って?」
 横から柏木兄さんの声が援護する。
「つ、つかまえたっ」
 このえさんが、臼にした手の上に置いた俺の手を握った。
「この時、俺がこぶしを捕まえられてしまったら俺の負けです。盃いっぱい、お酒をいただきます。捕まえられなかったら、臼を作っていた人全員がお酒を飲みます」
「え。大変!」
 このえさんが、楽しそうに笑う。
「やってみる?」
 微笑している柏木兄さんに向かって、このえさんがこくこくと頷いてみせた。
「では、このえさんから」
「おひとつ!」
 そう言って、石を俺に投げる。
「おふたつ」
 俺は、石を柏木兄さんに投げた。
 今度は、兄さんが俺に向かって石を投げ返す。
「みっつ」
「え?」
 このえさんが驚いて言った。「みっつ以上、石を投げてもいいの?」
「いくつでも構いませんよ。誰がもちつきと言い出すかわからない緊張感も楽しみます。よっつ」
 言いながら、このえさんに投げる。
「もちつき!」
 このえさんが、目を輝かせて叫んだ。
 俺と兄さんとが、臼をつくる。
「ぺったん!」
 このえさんが、柏木兄さんの手に手を乗せて、すぐに引こうとする。
「つかまえた」
 それよりも一瞬早く、柏木兄さんの男らしいきれいな手が、このえさんの細い手を掴んだ。
「ああっ、つかまっちゃったぁ……」
 頬を染めながらこのえさんが笑う。
 俺は、それを横目に、盃にほんの一口お酒を注いだ。ここまで酔っている女客をいじめてはかわいそうだからだ。代わりに、兄さんや傍付きが負けた時、盃になみなみ飲み干す。
 何度か続けて要領を得てきたのか、このえさんが勝ちだす。
 いや、なるべくこのえさんに勝ってもらって、俺たちがお酒を飲む。そうした方がお酒のあがりが出るからだ。




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