[]





こひとうつしよ   7








「楓の間、締めまでです」
「え? 柏木はもう締めが入ってるだろ」
「俺、です」
「……え?」
 わけがわからない、という風に、番台が眉をひそめる。
「あの……間に合わせで締めが入った場合って、自分で布団敷くんですか」
 こういう状況は、初めての経験なのでわからない。
 番台は、あんぐりと口を開けて、俺をしばらく見つめてから、我に返ったように言った。
「いや……じゃあ、誰か寄越すから。おまえはてめえの仕度をしな」



 ろくに女人の相手をしたことのない俺は、その夜、ほとんどが雪さんの手ほどきで事を成した。
 女の人の体は柔らかくて優しくて、包まれると涙が出るほど安心した。
 そんな俺を雪さんはかわいいかわいいと言って抱きしめてくれて。
 本当だったらそれは、俺が言わなければいけないのにすっかり言葉を取り上げられてしまった。
 2人で汗に塗れたまま布団に埋まっていると、ぽつりと雪さんが言った。
「私ね、お嫁に行くの」
「え……」
「この年まで一人で居たから、もう一生独りと思っていたけどね。私に惚れたって言ってくれる人がいて」
「……その人のところへ?」
 雪さんが、小さく笑う。
「ここへ来るのも今日で最後にしよう、って。最後に柏木さんに抱かれたいなあって思ってたんだけど……」
 俺は、布団に飛び起きた。
「そんな……そんな、大事な日に俺――」
 血相を変えた俺を見て、雪さんが盛大に笑い始めた。
 ……わけがわからない。
 俺が混乱してると、雪さんが笑いすぎた涙目で言った。
「最後があなたで良かった」
「どうして……?」
「私のこと抱きながら涙を流してくれるなんて、あなたくらいよ」
 思い出しても、恥ずかしい。
 雪さんの中に入った時、あまりに包まれて心地が良くて、涙が溢れてしまった。
「……それに、自信なさそうにしてるけど夕凪くん。あなたとっても美丈夫で優しくて魅力的だわ。座敷に出たらすぐ人気になるわよ」
「まさかそんな」
「言ったでしょ、私。本当は嘘が嫌い、って」
 いたずらそうに言われて、黙る。
「でもやっぱり、こんな大事な日に女の人に触るのも初めてな俺が相手で……満足させられたのかどうか――」
 雪さんが、目をまん丸にした。
「私、あなたの初めてだったの?」
「は、はい……」
「すごい、私、何度か気をやったのよ? あなたは夢中で必死で気がついてなかったみたいだけど……」
「え、え」
 今度は俺が、あんまり驚いて目を瞠ってしまう。
「実を言うとね、一度もイけたことなかったの」
 まさか、そんな。
 柏木兄さんが、お相手をしてるのに。
「女の体って、複雑なのよ? 上客と言っても柏木さんとシたのは2度だけだし……あの人相手だと気持ちいいんだけど緊張しすぎちゃって。だらしない顔とか見せたくないとか余計なことばっかり考えちゃったものだから」
「ああ、俺相手なら大丈夫ですもんね」
 そう笑って言うと、雪さんが気の毒そうな顔をした。
「本当にいい子ね、夕凪くんは」
 眉をハの字にして、また頬をつついてくる。「一生懸命抱いてくれてるのが伝わってきて、気持ちよくなっちゃった」
 優しい優しい菩薩のような笑顔で言われて、俺は、胸がいっぱいになってしまった。
「苦界って、皆、心を殺してしまうのね。あなたみたいにまっすぐな気持ちでお客に接してくれる人なんて、私が知る限りは一人もいないんだから」
 みんなどこかで、嘘を吐いている。
 本音を殺して、いい顔をして。お客の感情と体を悦ばせている。
「すごく満たされちゃった。ありがとう」
 これで、安心してお嫁に行ける――。
 雪さんはそう言って、白い頬に涙を零す。
 俺は自然と唇を寄せて、お神酒を頂くように雪さんの涙を飲んだ。


 雪さんをできる精一杯丁寧に送り出した俺は、ひとつ、腑に落ちた想いだった。
 俺のこの誤魔化しが苦手な性格は、商売の邪魔にしかならないと思っていたけど。
 雪さんみたいに、誰かが満たされたと言ってくれるなら。
 それはそれで、俺の生き方なのかもしれない。




[]







- ナノ -