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「おまえんちでパーティやらね?」
 大学の廊下で急に声をかけられた章宏は、同級生を凝視した。どう反応すればいいのかわからなかったからだ。
「……誰の誕生日だっけ」
「ちげえよ〜。12月と言えばー……だろ?」
 なるほど、もう1年が経ってしまったのだ。12月に入ると、海外から輸入された習慣とともに街が浮ついてくる。
「悪いけど、できないな」
「えっ」
 呆気なく踵を返す章宏に級友は、髪をぐしゃりと掻き乱して追いすがった。
「待って、待て待て! 誘った奴がそれぞれ勝手に声かけて人数が膨れ上がったんだ。今からじゃ大人数で店の予約とれねえし……おまえんち広いじゃん、頼む!」
 顔の前でパンと音を立てて拝まれても、神様ではない章宏は困ったように眉を寄せることしかできない。
「無理なんだよ」
「なんで!」
「俺の家には、クリスマスの習慣がない」





 20と17





「晴哉」
 思ってもみなかった声に呼ばれて、高校から帰ってきたばかりの晴哉はびくりと体を震わせた。
「え……あれ? 章宏兄さん――どして? 空手は?」
 晴哉が高校から帰ってくる夕方の時間帯に章宏が家にいることは、滅多にない。今日も帰りは18時を過ぎるはずだ。
 晴哉の疑問には答えずに、章宏は少し迷いのある口調で言った。
「23日に用事あるか」
「祝日? 特には……ないけど」
「クリスマス前の祝日に、友達と出かけたりしないのか」
 章宏にさらりと言われて、晴哉は言葉に詰まった。思わず眉をひそめる。
「……なんでそんなこときくの?」
 晴哉の拗ねた声音に虚を突かれた表情になった章宏は、への字口をした晴哉の頬をつまんで言った。
「ただの確認だろ……ふくれるなよ」
 目に苦笑の色を浮かべた章宏に見下ろされて、胸が苦しくなる。
 義兄を好きになってしまったかもしれない罪悪感と現在進行形で戦っているこの高校2年生は、今まさにその罪の意識と向き合いながら憧憬の義兄を見上げる幸せを噛み締めている。
 章宏は、じっと見上げてくるだけの晴哉に片眉を上げると、呆れたように言った。
「……おい、機嫌直ったか。話続けていいのか」
「うん直った」
「扱いやすい奴だな……」
「なんの確認? なにかあるの?」
 首を傾げる晴哉に、章宏はひとつため息をすると気だるそうに口を開く。
「23日の夕方、うちに人が来る。21人」
「21人!?」
 目を丸くしている晴哉に、章宏が腕組みしながら続けた。
「大学の奴らだよ。酒飲んで朝までいる可能性が高い」
「あー……別に大丈夫だよ? 俺、部屋にいればいいんでしょ」
「おまえに気を遣わせるのが嫌なんだよ。酔っ払った大学生に遠慮してリビングに降りて来ないのが想像できる。自分の家なのに、休みの日に他人に気を遣って部屋にこもるなんて、俺なら御免だ」
 ――自分の家。
 晴哉は、その言葉に違和感を覚えた。
 未だに心の底からこの家を自分の家だと思えていない。居候している気分だ。
 ……章宏のことは、本当の兄だと思っている。いや、そう思いたい。
 でも、そう割り切れないのは、単に義理の兄弟だという理由とは別にあることにも気がついていた。
「兄さんがどんな友達連れて来るのか興味あるなあ……。それはそれで、楽しみがいがあるというか」
「なんだよそれ」
 呆れたように軽く握った拳でこつん、と額を小突かれたが、ちっとも痛くなかった。
「……わかった。どこか店に行くことにする」
「そ、そんなのいいよ! 第一、クリスマス前に今から予約なんてとれないでしょ」
「ツテはある。おまえがどうしたいかだ」
 そんなことを言ったら……章宏と過ごしたいに決まっている。
 でも、20人以上も大学の友達が来るのではおちおち貴重な時間を堪能しているわけにもいかないだろうし。一日中、義弟が気を遣ってるんじゃないかと章宏に気を遣わせるのも申し訳ない気がした。
「じゃあ……俺、どこか出かけよっかな」
「どこに?」
「んー……渋谷とか? 映画観てもいいし、買い物できるところとか」
 章宏が腕組みして、プランを立てている晴哉を見ながら何か考えている。
 じっと見つめられて、そわそわした。
 義兄の考えていることはなんとなくわかる。クリスマスイブ前夜に繁華街を義弟一人でうろつかせるのはどうかと思っているのだ。
「だ、大丈夫だよ? 友達誘うし――」
 しどろもどろの晴哉に、章宏がひとつため息をした。
「……わかった。こうしよう」




「かわいーねー? いくつだっけぇ?」
 ほろ酔いで目をとろりとさせた女子大生が、晴哉の目の前でゆらゆらと体を揺らしながら話している。
 12月23日。
 時間は間もなく20時をまわるところだ。
 晴哉を含め、ジュースでパーティをしている男子高校生5人と女子高生3人。
 その輪の中に、頬を上気させた女子大生が乱入している。
 結局、章宏の提案はこうだった。
 集まる大学生たちの高校生の弟妹たちや友人も招いてクリスマス会を行うこと。
 アルコールOKの集団と、ジュースで盛り上がる集団と。広い洋室と繋がっている畳部屋にローテーブルを設置し、クッションや座布団やローソファを置いて各々盛り上がっている。
 晴哉たち高校生の会は初対面ばかりだったが、3時間も超えるといい加減打ち解けてお互いの学校の話や、兄姉の愚痴大会になっていた。
 そこに乗り込んできたほろ酔いの女子大生が、晴哉に詰め寄っているのだ。
「君のお兄さん、すっ……ごいモテるんだよぉ〜?」
「し、知ってます」
「あーそ〜? かしこいねえ〜うちの弟とは大違い――」
「ねーちゃん、酒癖悪すぎ」
 晴哉の隣に座った、パーカーを着た青年が女子大生の頭を小突く。
「いったぁ……しょーじ! ねえちゃんの頭を叩くとはなにさまよー!」
「からむなっつってんだよ、戻れよあっちの部屋に!」
 しょーじ、と呼ばれた青年――正司は、畳の部屋からフローリング敷きの部屋を指さしてめんどくさそうに言った。
 晴哉が、その指を辿って仕切り戸が開け放たれている向こうに目を向ける。
 男女ほぼ同数の大人数でワイワイ盛り上がっている大学生の中に、章宏の姿がある。
 涼しい顔で皆の世話を焼きながら、時々傾けるグラスの中身は、お酒ではなさそうだ。
(兄さんって、ああいう時でもなんか一歩引いて見てるんだよな……)
 場に干渉するわけではなく、ごく自然に冷静に振舞っているのだ。育ってきた環境の中で、身についてしまったんだろう。だから大人びて見えるのだとも思うが、そんな義兄の姿は、晴哉にとってたまらなく好きなところでもあるし、寂しさを感じさせるところでもあった。
 義兄は、どんなことなら心から楽しめるんだろうか、と。
「よっしーずるーい! 高校生と話してる〜」
 晴哉が、はっとして視線を章宏から離す。
 もう一人、気分良くなった女子大生がふらふらとやってきたのだ。
「ねえねえ、はるやくーん。お兄ちゃんは、おうちでどんな感じ?」
「おふろとか、いっしょに入ったりするの〜?」
 女子大生二人に迫られながら、なかなか際どい質問がくる。晴哉は答えられずに苦笑いした。
 二人が、机の上に広げられたお菓子やポテトフライや唐揚げに手を伸ばして座り込む。長居する気配に、正司が舌打ちした。
「おーいー……酔っぱらいのお姉さんたち、邪魔すんなって」
 痺れを切らした正司が、姉の腕を掴んで洋部屋へ引きずっていく。
「ちょーっと! ばか弟っ、はーなしなさいよ〜!」
 晴哉がそれをハラハラしながら見送っていると、同じタイミングで章宏がこっちを見た。目が合って、どきっとする。
 章宏は、やれやれといった表情を隠さずに立ち上がると、こっちの畳部屋に歩いてくる。
「こら。高校生組に絡まない」
「えー」
 章宏が、座り込んでいたもう一人の女の子に声をかけた。
「晴哉。そっち大丈夫か」
「う、うん。あ……飲み物がそろそろ」
「わかった。30分後に買い出しな」
 涼しい顔でそう告げた義兄の姿をぼーっと見上げていると、自分と同じように女子高生3人もぽーっとなった顔で章宏を見上げているのが目に入った。……彼女たちと同じような表情で見上げてしまっていたかもしれない。嫌な汗をかく。
「章宏くんが迎えに来てくれた〜……」
 女子大生が、ふらふらと怪しい手元で章宏の腰に抱きつく様子に、晴哉が息を呑む。
 同じタイミングで、女子高生3人も、きゃっ、と声を上げた。
「はいはい……どうぞ話続けて」
 章宏は女の子をなだめながら、大学生たちの輪の中に連れて戻った。
 それを気が気じゃない心境で見ている晴哉を知ってか知らずか、女子高生たちが机に乗り出しキラキラした目で言う。
「ねえ、晴哉くん! お兄さん、かっこいいね」
 小さい頃から聞き慣れた台詞だ。それでいて、どう答えたものか難しい話題。
 苦笑で答える晴哉を、他の男子高校生たちはどこか気の毒そうに見ている。
「はー……重いんだよあいつ」
 姉を強制送還し、晴哉の隣に戻ってきた正司はそう言ってため息をついた。
 正司は、晴哉のひとつ年上の高3だ。口数は少ないが、家にやって来た時に章宏と晴哉に「今日はよろしくお願いします」と礼儀正しく挨拶をしてくれた。バスケ部だというので、先輩後輩の礼儀正しさを叩きこまれているのかもしれない。
 サバサバしたもの言いは話しやすく、晴哉はすぐに打ち解けた。
「なんかさあ、愚痴とかないの。あの兄貴の」
 正司が、章宏を指さして言う。
「ぐち……」
 ぽつり、と言ったきり、晴哉は天井を見たまま考えこんでしまった。
 そんな様子を見て、その場の男子高生がみんなため息をする。
「……おまえ、いい弟だな……」
「え。いや、思いつかないんだ。完璧だから」
 みんなが、えっ、と眉を寄せる。
「勉強も兄さんに教えてもらって高校合格できたし……愚痴は……ないなあ」
「横暴とか」
「……ううん?」
「足くせーとかさ!」
「ない」
 飛んでくる男子高生の質問を都度きっぱりと否定する晴哉を見て、一同が重ねてため息をした。女子高生たちはみんな、頬に手を当てて、ちらちらと章宏を見ながら目を細めている。
「……理想のお兄ちゃんなんだ〜いいな〜……」
「ケンカとかしないのかよ」
 正司の質問に、晴哉が首を振る。
 それを見て、全員がザワついた。
「えっ、あり得ねえんだけど。マジで言ってんの?」
 晴哉が頷くと、正司が晴哉の肩を組んで言った。
「おまえ、いい子だな」
「いや、単に兄さんが大人だからケンカにならなくて――」
「絶対、兄貴の悪口を言わないんだな。俺もこんな弟が欲しかったわー」
「大げさな……」
 晴哉がそう笑うと、正司が言った。
「わりと本気で。うちに来ない?」
 そう言った正司は、大学生の輪の中に入った時に酒を飲んだのか、少し目元が赤くなっている。
「あ……もしかしてお酒飲んじゃいました?」
 晴哉がこそっと言うと正司は一瞬黙ってから無表情のまま、飲んでない、と首を振った。
「ほんと? 耳とか赤いけど」
 憮然と嘘をついている正司の赤い耳朶にほんの一瞬触れた。ぎくりと正司の肩が揺れる。「ダメだよ、兄さんに怒られちゃいますよ」
 困り顔の晴哉に、正司が一瞬逡巡して口を開く。
「……おまえさ、かわいいって言われない?」
「ん?」
 一瞬、晴哉の頭に疑問符が浮かんだ。「かわいい、は言われないなー……かっこいいはもっと言われないけど」
 そう肩を落とした晴哉が、唐揚げを頬張る。その、ぽこりと出た頬を乾いた親指で撫でて、正司が言った。
「色白いよなー。スポーツとかしねえの」
「中学までは水泳のスクール行ってましたよ?」
 もぐもぐと口を動かす晴哉が、唐揚げの油で濡れた唇を舌でぺろりと舐めた。
 そんな様子を横目で見ながら、正司が続ける。
「インドアか。だから焼けてねえんだ」
「正司くんだってインドアじゃん」
 つっこんで笑うと、正司がつられて少し笑った。八重歯が覗いて可愛げがある。
「あのさー。LINE交換しない?」
 正司に言われて、晴哉は、口をもぐもぐさせながら携帯を出した。
「QRコードでいいですか?」
「んー」
 晴哉が画面にコードを表示させて、正司がそれを携帯で読み込む。
「……いった?」
「まだ」
 画面を睨んだままの正司が口早に言った。読み込みがうまくいかずに、何回かミスをしている。
「どうかなー……いきました?」
「まだ。ちょっと止まって。揺らすなよ」
 二人でもたもたしていると、晴哉の逆隣に座っていた青年――進一(しんいち)が、晴哉の腰を抱きながら肩越しに画面を覗きこんできた。
「わっ」
 晴哉が驚いた拍子に、正司のスマホがコードを読み込んだ音が鳴る。
「あ。やっといった!」
「あーきたきた。俺の、反応鈍いなー……なんでだ」
「おまえら、なにやらしい話してんの」
「ばっか、してねーよ」
 正司が、晴哉の腰を抱いている進一を白けた顔で見る。
 進一は、晴哉と同い年だ。晴哉の腰を両腕で抱きながら声を上げる。
「……腰ほっせー!」
「は、はあ? 細くないよ、普通だよ」
 晴哉が耳を赤くして反論した。
「しかも、なんかいい匂いしない? 何の匂いこれ」
 後ろから腰を抱かれたまま背中をくんくんと嗅がれて、晴哉は、え、と考えた。
「……柔軟剤の匂いかな」
「柔軟剤!」
 手伝いのサチがいない日は自分で洗濯をする。サチが買ってある柔軟剤を使うのだが、控えめだけれどいい匂いで、いつもついつい多めに使ってしまうのだ。
 少し量を減らそう、と反省する晴哉の腰から手を離さないまま、進一が言う。
「なーんかさあ、晴哉ってちょっかい出したくなるキャラだな」
「やだよそんな変なキャラ……」
 晴哉がわざと渋い顔をしていると、正司が言った。
「わかる」
「わからないでよ!」
「別に、悪い意味で言うんじゃねえよ? 女子っぽいんだよなんか」
「は?」
「そうそう。男くささがない」
「全然うれしくないんだけど」
「「俺達はうれしいよ」」
 声を揃えて言われて、晴哉は肩を落とした。
 男っぽくないというのは晴哉の強いコンプレックスなのだ。普段から章宏を見て過ごしているだけに、同じ人間でなぜにこうも違うのかという悩みは、人一倍強い。
 すっかり気落ちした晴哉に、正司が言う。
「……ごめんごめん、からかいすぎたわ。しょげるなよ」
「しょげてない……」
「おまえ考えてることが素直に顔に出てんだもん、おもしれー」
 慰めついでにぽんと頭を撫でると、晴哉は不本意ながら謝意を受け取るようにはにかんだ。
 その様子に、正司の手が一瞬止まる。
「なあ、俺ともLINE交換してー」
 進一が、わざと駄々をこねるように晴哉に言った。抱きついたまま晴哉の肩に顎を乗せている進一の額を正司がデコピンする。
「いって!」
「おまえベタつき過ぎ」
「いいじゃん、男同士だし」
 そんな二人の様子を気にもせずに、晴哉がスマホを操作してQRコードの画面を立ち上げた。
「進一くん、俺のを読み込むのでいい?」
「えー……俺が晴哉に入れたいなー……」
 妙な低音で言った進一に、正司が今度はかなりの強さで頭をはたいた。
「いっ!」
「はーいー、おまえの名前はシモネッター」
「うわ、やめて?」
 晴哉は、自分の背後と前とで軽妙に会話している二人に思わず笑いながら、ふと視線を上げた。




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