「柏木よお。この男娼抱け」
指を差されて言われて、俺は言葉を失った。
こんな展開、さすがに考えてなかった。横目で窺うと、兄さんは無表情に男を見ている。
「やり方教えてくれんだろ? 実際にやって見せろや。ケツに突っ込む趣味なんかねえからわからねーんだよなあ」
ドクン、ドクン、と心臓が鳴る。
「ちょーど布団もひかれてることだし……余興だ。猿回し見るのと変わらねえだろ」
男の憎まれ口なんて、どうでも良かった。それよりも、兄さんの氷のような無表情が何を物語っているのか、そればかり気になって。
「おら、さっさとヤれって!」
すぐに手が出る奴だ。感情を昂(たかぶ)らせちゃまずい。
とにかく何か行動を起こさないと――と、俺が動く前に、柏木兄さんがすっと立って俺の前まで歩いてきた。
手で張られたのか、首の痣とは別に、左の頬に赤い指形が浮かんでいる。
それを見たら、じわと視界が曇った。
……ひどい。悔しい。
唇を噛んで俺も立ち上がる。
赤くなったそこを今すぐ冷やしてさし上げたかった。
一瞬目に憂いを浮かべた兄さんに、肩を引き寄せられる。
「……なんで来た」
答えられないでいると兄さんは、小さな声で。「バカだね、おまえは」
そう言って。
唇を重ねる。
柔らかく押し当てられた唇が、冷たい。その温度は、柏木兄さんが受けた暴力の名残を思わせて、背筋が凍るようだった。
……こんなの。こんなのって。
ドキドキなんて、しない。好きな人が相手だけど。
俺の中に恐怖がある。必死で押し殺してこの座敷にやって来たけど、兄さんの冷たい唇に触れて、急に恐れが意識に上がってきた。
――非道い、こんなの。
気持ちに反して俺を抱かなきゃいけない柏木兄さんに、申し訳なくて仕方ない。
……柏木兄さんは、こんなことさせられる人じゃないんだ。
それはそれは、高貴な人ばかりを――品のある才女ばかり相手にしてきた人なんだ。
なのに、こんな男の命令で俺なんかを……見世物のように抱かなきゃいけないなんて。
「……兄さん、御免なさい」
男に聞こえないように、唇を合わせたまま謝る。
兄さんの空気が、一瞬止まった。
けど、すぐに大きな手に首の後ろを包まれて、角度を変えて口づけられる。
その唇から、少し温かみを感じた。俺の体温が移ったのかもしれない。
薄っすらと目を開けた兄さんが、俺の眼の奥を窺うように見つめる。
ぎゅっと兄さんの着物の胸元を掴むと、男っぽい手が俺の手を優しく包んでくれた。
「おい。いつまで突っ立ってんだ、早く始めろや」
乱暴な言葉が投げつけられて、兄さんが唇を離す。
「……犬に噛まれたと思え」
兄さんがぼそりと言った言葉に息を呑んでいるうちに、手を引かれて奥の間の布団に座らせられた。
兄さんが小気味いい音を立てて自分の帯を解き、おざなりに落とす。
俺は、その様子を緊張しながら見上げていた。
……感じなかったらどうしよう。勃たなかったらどうしよう。
そんな心配ばかり浮かんでは消える。
壁にもたれかかって徳利から直接酒を啜っている男が、ひどく楽しそうに嗤っているのが視界に入る。
「都一の男娼はあ、どうやって男を抱くんだろーなあ」
下品な声に、胸が掻き乱される。
だめだ――行為に集中しなきゃ。
兄さんに恥をかかせるわけにはいかない。
行灯の明かりにぼんやりと照らされてる柏木兄さんは、相変わらず綺麗で。肌蹴た前合わせの奥に腹筋の影が浮かんでいて、こんな状況でも見惚れてしまう。
俺は、布団に居ずまいを正すように正座して、その姿を見上げていた。
酒乱の男が、にやにやしながら言う。
「お二人さん、こっちに見えるように頼むぜ。余興なんだからな」
「……おいで」
布団に膝をついた兄さんに言われて、膝でにじり寄る。
背中を優しく抱き寄せられて、また口づけられた。
「ひゅーっ」
下世話な口笛が飛ぶ。
兄さんは、俺に口づけしたまま、俺の着物の帯を解いた。
「ん、ン……」
唇、柔らかい。
……気持ちいい。
気を抜くと、状況を忘れて意識を持っていかれそうになる。
酒乱男の前で、優しく引き倒されて布団に二人転がった。
「ちんたらしてんなよ。さっさと突っ込んであひあひ言わせろよ、柏木さんー」
無粋な冷やかしの言葉が絶え間なく飛んでくるけど、暴れられるよりマシ――そう思いながら俺は、ガチガチに緊張している自分に何度も言い聞かせる。
――演じなきゃ。
俺も、じきに座敷に上がるようになる。玄人になるんだから。
これが初めてなんて思わせないように、この暴漢を目で楽しませて早く帰さないと――。
そう心に決めて、柏木兄さんの首に腕を回す。
覆い被さられると、やっぱり俺が下なんだな、とか、行為に集中できるようなことをひたすら考える。
指先が震えて、緊張で奥歯が鳴った。
「……由宇」
不意に耳元で柏木兄さんが囁いて、ぞくって背中が震える。