◇ ◇ ◇
「へ? カットモデル?」
「うん。だめ?」
「……俺でいいの?」
「いいから頼んでるの」
紘くんが高3になって――色っぽい顔で私を見るようになった頃、カットモデルを頼んだ。
あくまでお客様として。
でも、この子をこの手から逃がすことは考えてなかった。モデルを頼んで繋ぎ止めようとしたことを言い訳はしない。
手練手管どころかひどい束縛の仕方でかわいそうだとも思う。
逃げてほしい気持ちと、絶対逃さないって野性が心の中で戦っていた。
……野性なんてものが自分の中に在ったことも、驚きだけど。
「紘くんの髪、私の手とすごく相性いいんだもん」
「そ、そう……?」
「ぴったり吸いついてきて、動かしても……ほら。離さないでーって言ってるみたい」
「……笠井さんやらしー」
「どこがやらしいの?」
う、と紘くんが頬を染めて視線だけ逃げる。
そのぞくぞくするような表情を見たいから、ピロートークの真似事をするようになった。
「笠井さんって、女の子にもそんな風に話すの?」
「まさか。紘くんだけ」
「そうやって、君だけだよーって女の子にも言ってるんだろ」
シャキシャキとハサミの音を立てて、ふてくされてる紘くんの髪を愛でる。
「ふふ、妬いちゃう?」
「……もっかい、紘だけ、って言って」
はた、と手が止まって思わず鏡の中の彼を窺う。
紘くんは、少し上目遣いに私を見てから、からかうようににっと微笑んだ。
「あ。笠井さんが焦った」
「ちょ……大人をからかうのよしなさい」
驚いた。
紘くんは、会話の方も順調に成長してるみたいで、私の微妙な言葉のニュアンスがわかるようになってきてる。
悪友たちとお年頃の話はしてるんだろうけれど、紘くんも、わかって色っぽいことも言うようになってきた。これに関しては、どちらかというと私の教育の賜物な気がする。
この探り合いの快感は心地良い。
私もさすがに、紘くんをただ可愛がってるわけじゃない自覚がある。
愛しい気持ちを乗せて指で触れると、紘くんは狙い通りに表情に快感を滲ませる。それを、もっと激しく可愛がりたくてたまらない焦れた気持ちで見ていた。
ふと、紘くんが、何気なく長袖を捲くる。
「暑い?」
「あ、ううん。袖引っかかって邪魔だから」
念のため空調の温度を下げてもらって視線を戻すと、一瞬固まってしまった。
青痣が、白い腕に貼りついていた。
体育ででもやってしまったのか。
痛そうね、と言ったら、はっとした表情を浮かべてから、大丈夫、と苦笑いした。
その時の紘くんの表情が、引っかかった。
その2週間後、今度は手首に。掴まれたような痕だった。
特に何も言わずに送り出したものの、不安と焦りが襲った。
それからは、マメにメールをするようにした。
返事がくると、その元気そうな文面にほっとした。
運動部じゃないはずだから、個人的な理由でつけられたんだろうけど。
いじめ?
いや、そんな素振りはないし。
彼女……でなければ彼氏……いや、まさか――いろんなケースが頭を駆け巡る。
次の来店の時に新しい痣があったら本人にそれとなく確認しようと、そう決めた。
そして、次の来店。
シャンプーの時、未踏のその肌に似つかわしくないものを見つけて、頭の奥が冷えた。
首の後ろ。ドキリとするような場所にそれはあった。
歯形くっきりの、内出血。
――キスマーク、とはね……。
動揺が顔に出そうになって引っ込める。
恋人がいるのかどうかも聞けないまま、大人のフリをするのも限界だった。
翌日も、頭から離れない。
開店前の店内で、イライラと上着を脱ぐ。
紘くんの首すじにアレを見た時は、全身に火が巡ったようだった。
あの初々しさに似つかわしくない、生々しい痕。
相手、誰だ?
ったく、どんな乱暴者だよ。
少し腫れて痣になっているような乱暴なキスマークだった。つけられたときは痛かっただろう。
あの体に作ってくる痣、みんな同じ奴がやったのだろうか。
「おいおい、流行りのデートDVじゃねえだろうな……」
思わず男言葉を吐いて、口をつぐむ。
スタッフは思い思いに開店の準備をしていて、聞いていなかったようだった。
この、腹の底が煮えつくような感覚はなんだろう。
……嫉妬?
これが噂の、嫉妬ってやつ?
淡白な自分に突如訪れた感情に愕然と、いや、感動すら覚える。
今になって、あの、女性客の気持ちがわかった気がした。
嫉妬は、恐ろしい。こんなに心を掻き乱す。
……冷静になれ。相手は常連の、しかも男の子なんだから。
確かに、あの子がふらりと線を越えて来ないものかと……我ながら、ずるい手管を使ってきた自覚はあった。
今さらだけど、渡したくない。誰にも。
ましてや、あんな乱暴なキスマークをつけるような奴には絶対に。