[]




 ◇


「校了直後に打ち合わせって、すんごい特別扱いだなあ」
 俺の目の前で目を丸くしてるのは、桧田理都(ひのきだ・りつ)。担当は違うけど、同じ雑誌の新人小説家だ。
 新宿の飲み屋はサラリーマンと学生でごった返していて、その中で二人、狭い席でツマミをつつき合う。
「特別扱い……ではないと思うけど」
 無理矢理喉にビールを流し込むと、すぐに身体が熱くなる。うー、やっぱり美味しくない。
 酒に弱いくせに、小説の直しもそっちのけで理都を誘って飲みに来ているのは……あれからさっぱり書けないからだ。
「瑛太はどれぐらいのペースで打ち合わせしてんの?」
「……今年に入ってからは2週に一回かな……連絡はほぼ毎日――」
「連載作家かよ!」
 爆笑しながら、理都がグラスビールに喉を鳴らす。「瑛太の創作ペースが早いにしたってさ、よくそれだけ時間割いてくれるよな。だってあの伊東さんだろ? 作家の扱いきっちり分けてるって聞いてるし、担当してる新人の数たるや他の編集者の3倍だって話だよ」
「うわあ……俺、よく見放されないなー……」
 頭を抱えると、理都が言った。
「瑛太の受賞作読んだけど、あれだけのもん書けるならそりゃ期待してるんじゃない」
「理都は優しいよな。嬉しいよお世辞でも――」
「おまえはほんと……謙虚が行き過ぎて卑屈だよなあ」
 理都の苦笑混じりの言葉を聞きながら2杯目を飲んでいると、早々に頭がクラクラしてきた。
「俺……今、書けないんだ」
「スランプ? まあ、ノらない時もあるって」
「違うんだ、なんか……火が消えたみたいで――」
 ……思い当たることはある。
 伊東さんのことだ。それと……香住先生のこと。
 書こうとすると伊東さんの顔がちらつく。香住先生と伊東さんがキスしたり……抱き合ってるのが目に浮かんじゃうんだ。
 ハッピーエンドに向かって書かなきゃいけないのに、どうしても手が止まってしまう。
「……あと2日でやらなきゃいけないのに……」
「追い詰めたらダメだって! 今日は、全部忘れて飲め飲め!」
 理都に肩を叩かれて、レモンサワーを飲み干す。
 ……お酒ってこんなに美味しかったっけ。
 ビールのおかわりを頼む理都を横目に、俺は、伊東さんとのタクシーでの会話を反芻して天国と地獄を行ったり来たりしていた。


「伊東のばかやろー……!」
「ははっ。ばかやろー!」
 繁華街の夜、二人、肩を組んでフラフラ蛇行しながらくだをまく。
「もっと褒めろよ、このやろーっ」
「もっと褒めてやれー!」
「雑草だってなあー……水があれば花が咲くんだー……」
「うまいこと言うなー……そうだー!」
 あはは、と笑い合いながら雪崩をうって、車止めに抱きつく。
「……水をやらないとなー……枯れちまうんだぞー……」
「そうだー……、あ……?」
 酔っぱらってたはずの理都が固まる。「おい、瑛太……? なに泣いてんだよー……」
「ひでーよほんと……自分の作家に手ぇ出すなってんだ……っ」
 え、え、と理都が目を白黒させた。
「な……まさか、伊東に何かされたのか……!」
「ちげえっ、伊東と……香住先生ができてんだよ……っ」
 えーっ!
 ――と、夜の繁華街に理都の絶叫が響く。
「なんだよそれ、作家に手ぇ出したのか!? マジかよ……あのムッツリ野郎め……」
 理都が右往左往しながら、嗚咽を上げ始めた俺の背中を撫でる。「瑛太もしかして……香住先生のこと好きだったのか?」
「ちが……っ」
「違う?」
「違うよ……あの、ばか担当……っ」
 一瞬、理都が固まる。
「おいおい……冗談だろ――」
「うう……っ」
「そ……そういうこと……? ほんとにそうなのか? 瑛太……」
「ちくしょー……悔しい、あんな……奴、あんな鬼……のこと――」
 そうだよ。
 きっついダメ出しで、いつも俺の苦労を一瞬で泡にしてくれるし。
 煮詰まったって泣きつけば……すぐに送ってこい見てやる、って言ってくれるし。
 打ち合わせしてほしいって言えば、土日でも会社に来れば見てやるって言ってくれるし。
 忙しいのに、参考資料探して送ってくれたり――そんな、真面目で努力家の編集者の鏡を。

 迂闊にも、好きになるなんて。

「俺……自分が情けない……っ」

 この夜のことは、全部が霧の向こうの記憶で定かじゃない。
 ただひとつ確かなのは、朝、目が覚めたら、渋い顔の伊東さんに見下ろされていたってことだけだ。







[]







- ナノ -