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甘い毒



「ここ、いい?」
 言われて、慌てて椅子に置いていた荷物をどけた。
 大学の広い広い階段講義室は、まだ席も空いてるし、わざわざ並んで座らなくてもいいのに――。
 荷物を反対側の席に置きながら、ふと、そんなことを思う。
「サンキュ」
 そう言って、そいつが隣に座った。
 軽そうな奴って、なんとなくわかるだろ?
 長めの茶髪。日に焼けた肌。
 女子にモテそうな甘い顔。
 スタイルが良くないと履けない細身のジーンズ。
 耳には3つぐらいピアスもついてる。
 ホストクラブでバイトとかやってそうだ。というか、間違いない。
 香水の香りや、隙がない感じとか。どこをどう見ても玄人だ。
 話すのは、これが最初で最後。この先、未来永劫、関わるようなタイプじゃない。
 俺は、下がってくる重い眼鏡のフレームを指で押し上げた。
「前回のこの講義のプリント持ってる?」
「へ?」
 未来永劫関わらないはずの奴にまた話しかけられて、眼鏡がずれた。
「授業の後で、コピーさせてくれない?」
 嫌とも言えず、渋々、いいけどって答えたら。
「お礼に昼飯おごるからさ」
 白い歯が、まぶしい。
 別にいいのに。めんどくさそうなことになってしまった。



 約2時間後、俺は、食堂で茶髪に飯をおごられていた。
 向かい合って、奴はカツ丼、俺はカレーを食べている。
「なんだ、1年か」
 話を聞いてみたら、茶髪は、俺の1年後輩だった。
 そして、医学部。俺は、看護学部だ。
 普段、医学部と看護学部は、接点がないけど、今日は、1,2年対象の合同講義だったんだ。
「へええ、先輩かよ。見えねー」
 茶髪が、カツ丼を頬張りながら屈託なく笑う。
 いきなりタメ口……。
 こいつ、このまま医者になるのかな。ちょっと心配だ。
「看護なら、ハーレムだろ?」
「そんな風に思ったことない」
 見た目の軽さを裏切らない発言に、むっとする。
 俺は、おまえみたいな不純な動機で看護に来たわけじゃないんだっ。
「はあ、真面目だねー……春日部望(かすかべのぞむ)っていうんだ」
「!?」
 奴は、いつの間にか俺の学生証を持っていた。慌てて奪い返す。油断ならない奴だ。
「俺、嶋沢恵一(しまざわけいいち)っての」
「聞いてないよ」
「でっけー眼鏡〜って思ったけど、あんた、顔ちっせーのな」
 感心したように言われて、なんて反応したらいいのかわからない。
「あ、褒められるの苦手?顔赤いよ」
「うるさいな」
 調子が狂うよ。今まで、こういうタイプと話したことがないから、本当に困る。
 誤魔化すように水を飲むと、嶋沢は、頬杖つきながら突然言った。
「メガネかえなよ。つきあうから」
「は?まだ使えるのに、なんで買いかえないといけないんだよ」
「もしかして、中学から同じメガネってパターン?」
 半分笑って言ってくるから、図星をさされた俺は、口ごもって眼鏡を押し上げるしかなかった。
「ははっ、当たり?なあ、そうしようぜ。きれーな顔してんのに勿体ないよ」
 さらりと言われて、やっぱり反応に困った。
「……女子じゃないんだから、男にキレイもクソもあるか」
「あるよ、俺、結構タイプ」
 ?
 頭の中がぐるっ、とした。
 こいつ、今、なんて言った?
「ははは、かあわいいねー、そのきょとん顔」
 軽そうな嶋沢が、軽く笑う。
 そして、一呼吸置いて言った。
「俺、バイなの。あんたみたいな耐性なさそうな奴、超タイプ」
 甘い目で。
 そう言ったんだ。


***


「望〜」
 嶋沢は、あの日から、構内で会うと必ず声をかけてくる。
 いつでも人の輪の中にいて、いつも一人の俺とは大違いで。この軽薄男が来ると、俺も人の視線に晒される。それも嫌で、俺は、逃げまくっていた。
「なーあ、無視すんなって」
「……」
「今日は、メガネ買いに行こ」
 俺は、ぴた、と足を止めて、ぎりっと向き直った。
「俺は、おまえの先輩! 呼び捨てにすんなよっ」
「たった1コ違いじゃん」
「うるさい!それに、どういうつもりで俺につきまとうのか知らないけど――」
 騙されるつもりはない。
 こいつは、冴えない俺をからかって遊んでるんだ。そう思ったら、腹の底からふつふつと怒りが湧いてくる。
「困るんだよ!」
「困らなくていいよ。褒めてるだけだし」
「俺は……普通に女子が好きなんだよ……!」
 一応小声にした。怒りながらも気は遣ったんだ。
「なら聞くけど、普通ってなに?」
「……へ?」
 切り替えされて、間抜けた声が出た。
「俺は男も女も好きになれるけど、女しか好きになれないのって不自由じゃないの?」
「へ、屁理屈言うな」
「じゃあ、望の好きな女の子って、どんな子」
「それは――」
 急に言われたって、そんなの、今は、好きな子いないし。
「いなくてもいいよ、どんな子がタイプ?」
「そんなの……好きになった子がタイプだろ」
「その幅、ちょっと広げてくれたらいいだけじゃん」
「は?」
「俺、あんたに運命感じてんだけど」
 はあ!?
 俺が、そう言いかけると、つ、と長い人差し指を立てて、俺の下がったメガネを押し上げてくる。
「ちょ……っ」
 そのまま指先が降りて、俺の唇に触った。
「絶対、相性いいと思うんだ。俺たち」
 まただ。この甘い目。
 ……騙されないぞ。
 いくら恋愛に免疫がないからって、いかにも遊んでそうな奴(しかも男)に騙されるほど世間知らずじゃないんだ。
 でも、俺は、嶋沢の迫力、というか。雰囲気、というか。そういう、全身から発している甘い毒のようなものに、会った時から翻弄されっぱなしな気がする。
「次の講義終わったら、テラスで待ってるから」
「い、行かないからな!」
「待ってる」
 念を押すように、もう一度。
 そんな真っ直ぐ見て言われても。
「困るよ……」
 俺は、廊下を歩いていく、嶋沢の黒いシャツの背中を遠い目で見送った。


***


 翌日。
「ねえ、春日部くん。嶋沢と知り合いなの?」
 教室移動の準備をしていたら、突然、4人の女の子に囲まれた。
 同じクラスの子たちだ。女子大生らしい、ピンクやオリーブ色の華やかな色で着飾っていて、巻き髪が可愛い。
 俺とは遠い存在で、今まで一度も話したことがなかっただけに、驚いた。
「し、知り合い……って程でもないけど」
 俺は、新しくなった濃いブルーのメガネを押し上げながら言った。
 ご想像の通り。
 昨日、嶋沢に、なかば強引にショップに連れて行かれて、メガネを新調させられたのだ。
「あのさ、嶋沢くんたち――医学部と食事会とかできないかなあ?」
 それって、合コン、ってやつだろうか。
「どう……かな、そんなに親しいわけじゃないし」
「うそだあ、仲良くないのに、一緒に買い物する?」
「え」
「似合ってるよ〜メガネ! 垢抜けたよね」
「うん、春日部くん、かわいいねーって、みんなで話してたの」
 全然嬉しくない。
 男がかわいいとか言われても、全然全く。
 俺は凹みながら、この子たちに昨日目撃されてたんだ、ってことがわかった。
「ねえ、ちょっとごはん食べるだけだし」
「ダメ?」
 長いまつげをパチパチされたら、断れるわけもないし。
「……わかった、訊いてみるよ」
 やった〜っ、と軽やかな声が上がる。
 ここ最近の慣れない出来事についていけない。たまった疲れをため息で吐き出した。




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