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「……俺、先輩のこと好きです」

 当たり前のように、口から滑り出た。
 俺が先輩のことを好きだなんて事実、言ったってどうでも良くなるぐらい、事態は俺にとって残酷な状況だったからだ。
「それで……?」
「だから……ショックだったんです。すみません。だから、先輩のチームやめさせてください……俺、もう続けられません」
 そこまで言い切って、それ以上、俺には何も言う権限はなくなった。だから、黙った。
「知ってるよ。前原が、俺のこと好きだってこと。でも、チームやめるのは許さない」
 先輩が、さらりと言ってのけた。これも、当たり前のように。
 俺は、一瞬呆けて、でも強く拳を握って言った。
「知ってるなら……なら、チームやめさせてください……俺、これから何週間も冷静に撮影に参加する自信ありません……!」
「やだ」
 即答されて、俺は目を丸くした。反射で、ぼろっと涙が頬を転がる。
「やだ、って……そんな……」
「俺は、前原を離すつもりはないし、どこにもやらない。俺、おまえに惚れてるから。前原は俺のものだ」
 それは、聞けば体の芯が痺れるような言葉だったけど、あくまで先輩の映画にとっての話だ。そのぐらいのことは、この数週間の付き合いでもわかる。
 息が震えてしまって、うまく口が回らない。
「ひどいです。俺、先輩が好きなんですから……っ」
「うん、だからそれは知ってるよ」

 ……さっきから俺、なにやってるんだろう。
 自分で胸にナイフを刺して、ぐりぐりしてるみたいだ。頭も痛い。

「……俺、もう先輩と一緒にいるの辛いんです……班もやめさせてください。部活ももう来ません」
 先輩が、ゆったりとした調子で立ち上がる。
 目の前に立った先輩が、俺の頬に手を当てた。
 ギク、と体が強張る。
 顔を上げさせられて、涙まみれの顔をじっと見つめられた。

「前原。好きだよ」

「……へ?」
 なに?
 ……なんなんだ、これ。
「俺にも人並みに好き嫌いはあるよ。けど……前原は特別。愛してる」
 それは、俺の知ってる『愛してる』とは、違う。きっと、全然違う。
「……先輩は、俺のこと好きじゃないです。絶対。俺が先輩を好きって言ってる意味とは違うん――」
 続きは言えなかった。
 先輩に、キスされていたから。
 初めてのキスだった。
 驚いて緩んだままの唇の隙間に舌先が滑り込んできて、舌の表面を撫でられる。
 やんわりと唇を食まれると、体が痺れるような感覚が走り抜けて……でも、心がついて行かない。
 キスは、もっと甘いものだと思っていたのに。
 あっさりと、官能的にもたらされたそれは、あまりにも手馴れていて、哀しさの方が強かった。
「ふ……っ」
 胸を押し返そうとすると、頭を大きな手で包み込まれて、逃げられなくさせられた。
 角度を変えて何度も食まれると、ぼうっとした頭の中を引っ掻き回される。
 俺は、震える手の力を振り絞って、先輩の肩を突き飛ばした。
 部屋のドアへ飛びつくと、先輩に腕を掴まれて引き留められる。
「は、離……」
「確かに俺は、好きな人が大勢いるよ」
 先輩が、なんの悪びれもなくきれいに笑って言う。無邪気な子どもみたいに。
「でも、前原のことは……抱きたいくらい好き」
「わかんない……先輩が何言ってんのか、俺――」
「前原が、うちの部に入ってきた時から、かわいいなって思ってた」
「な……」
「びしびし視線送ってくるくせに俺を遠巻きに見てて……いつ傍に来るのかって、ずっと思ってた」
 恥ずかしくて、体が熱い。
 先輩は、ずっとわかってたんだ。
 涼しい顔しながら、俺の心の中のこと全部知ってたんだ。
「前原みたいなタイプ、抱きたいと思ったのはじめてなんだよ」
「……もうやめてください……離して……」
 先輩の、腕を掴んでいない方の手が、俺の頬を滑った。
「ほんとに離していいの?」
 俺は、え、と小さく呟いた。
「前原、目が誘ってる。自覚ない?」
 カッと頬が熱くなる。
「離してほしくない、って顔してる。……違う?」
 真っ直ぐ見つめてくる目。艶やかで甘くて、俺の心をバラバラにする目だった。
「前原見てると撮りたくなる。切なそうなイイ表情してて……素直なのにいつも逃げて。力づくで奪ってほしそうなのに、いつも怯えてるだろ」
 そんなの、俺は知らない。声が出なくて、頭を振ることしかできない。
「前原」
 先輩が、声をひそめる。
 俺の耳元に唇を寄せて、呟くように。

「……俺と、寝てみない?」

 まるで、悪魔のささやきだった。
 頭が真っ白になって、先輩の腕を振りほどく。
 ドアを開けて人気のない廊下に飛び出す。
 でも、俺のダメな所が出た。足がもつれて派手に転んだんだ。膝を打って、抱えてうめく。
 ゆっくりとやってきた先輩を涙目で見上げる。

 ……どうして。なんで。
 よりによって、なんで羽島先輩が、好きな人が――こんな人なんだ。
 現実が、残酷すぎる。

「怪我ない?」
 本気で心配してる目。差し出された手。
 掴んじゃだめだ。きっと何人も抱いてきた手なんだ。この理解不能な人に触れちゃダメなんだ。
 この手をとったら、俺は、バラバラになってしまう。
「何もしないよ」
「え……?」
「とって食ったりしないから」
 ――本当に?
 バカな俺は、柔和な声に操られるように、おずおずと手を伸ばした。
 一瞬のことだった。力強く引き上げられながら、腰に回った先輩の手に引き寄せられる。
「せ、先輩、何もしないって――!」
「前原が望まないなら、何もしない」
 その胸にすがったまま、羽島先輩を見上げて動けない。
 部室の前の廊下で。誰かが来るかもしれない廊下で。きれいに微笑んだ顔から、目が離せない。
 先輩が顔を近づけてくる。
 逃げろって頭では思うのに、動けなかった。実際は、足が震えて立っているのが精一杯だった。
 耳の下に吸いつかれて、じくりとした痛みにゾクッとする。
「……っ」
 そのまま柔らかく耳朶を噛まれて、縋った胸のシャツをぎゅっと掴んでしまう。
「せ……っん、ぱい、っ」
 キスをされるより、いやらしいと思った。
 先輩の唇の動きが。舌の先が。
 俺が震えてどうしようもなくなっていると、先輩は、顔を上げた。
「……シたい。前原、かわいい」
 ぼそりと囁かれて、背筋が総毛立つような快感が走る。
 膝が崩れそうになって、先輩が「おっと」と俺を支えた。
「前原、震えてるよ」
 心臓が、ずっと速く打ってて頭の中が散らかっている。
 何て言ったらいい? どんな顔したらいい?
 震える唇を持て余していると、先輩が首を傾げて言った。
「俺と、つき合ってみようよ」
 なんて軽い、つき合おう、なんだろう。
「……もう、やめてください。……俺なんかにそんなこと言わないで……」
 混乱した俺の声は、上擦って涙声になっていた。
「また、なんか、って言った」
「だって――!」
 先輩に似合いの人なら、他にたくさんいるじゃないか。
 その、読者モデルだとかいう子だって。俳優志望の子だって。
 なにも……俺に構わなくたっていいのに。惨めになるのに。
 俺のこと、好きでもないくせに。俺には、何にもないのに……!

 先輩の手が、俺のタイを撫でる。その指先が俺を誘っていた。
 拒否しないと。先輩の本性を知った以上、距離をとって巻き込まれないようにしないと絶対ダメなんだ。
「俺、先輩のこと好きです。けど、こんなのは違――」
「興味があるんだよ」
 先輩が、ぽつりと言った。
 わからないって顔をしたら、一瞬、先輩の目が曇ったような気がした。
「俺に、1人だけを愛せる能力があるのか知りたい」
「……え?」
「主人公の気持ちに踏み込んだ映画にしたいんだ」
 ……今、先輩が撮ってるのは、京子先輩が演じる女の子に、狂おしいほど恋焦がれてしまう男の話だ。
「純愛を撮る人間が純愛がわからないんじゃ、話にならない」
 愕然とする。この人は、頭の先から足先まで……映画で染まっている。
「……先輩は、映画の為に俺と……?」
「前原とならわかるかもしれないって、少し期待してる」
「ど、して――」
 首を傾げた先輩は、大人っぽいのに無邪気に見えた。
「だって、前原は俺のことすごく好きだろ」
 探るように先輩を見つめる俺に、言葉が降ってくる。「俺のことが好きって全身で言ってる。けど、駆け引きしようとしたり俺の気を引こうとしたりしない。不器用なわけじゃないんだろ。計算がなくて……ただ俺の手を待ってる」
「そ、そんな――」
「抱いたら、どんな表情(かお)するのか見てみたいんだ。本当に好きな男に抱かれる時って、どんな反応する? 前原、どんなこと言うの? 俺に夢中なこと、体で教えてほしい。そうしたら俺が……俺でも、前原に夢中になれるかもしれない」
 足から力が抜ける。支えてくれている先輩にすがった手まで震えてる。
「……好きになっちゃダメだよって……先輩、言ったじゃないですか」
 俺の掠れた声に、先輩が苦笑した。
「前原のことボロボロにしたら嫌だなって。一応は、そう思ってた」
「だったら……だったら――混乱させないで下さい……っ」
 広い胸を叩いた。「先輩は、俺と先輩が全然違う世界の人間だってわかってたからあんなこと言ったんですよね!? だったら……もう俺を巻き込まないで……っ」
 胸を押し返すと、腰を捕まえられて余計に引き寄せられた。
 そのまま後ろ向きに壁に押しつけられて、先輩の吐息が項をくすぐる。ぞくぞくして、壁に爪を立てた。
「今は違うこと考えてるよ」
「な、に」
「ボロボロにしたい」
 信じられない言葉に、目を見開いた。
「前原を泣かせて縋りつかせて……俺もボロボロになってみたい。純愛って、そういうものなんだろ」

 俺は、先輩を好きかもしれなくて……いや、ほんとは好きで。すごく好きで。
 だから、もうこんなに傷ついてる。
 先輩は、最低で、最悪で、俺の理想とはかけ離れていた。
 だから、俺は、これから先輩を嫌いにならないと。

「……どうする……?」
「や」
「前原、教えて? 俺と一緒に、ボロボロになってくれないの」
「っ」
 甘い声が、じわじわと締め上げるように俺を追い詰めていく。
「前原、愛してる。抱かせて」
 ゆっくりと、刺し込まれるような悪魔の囁きだった。甘く絡み付く蜘蛛の糸みたいで。
「先輩……っ」
「……なに」
「好き、です――」

 なんで。

「ずっと好きだったんです……だから、もう俺のこと許してください……っ」
 嗚咽が混じった。
「”許す”?」
「もう、俺のこと傷つけないで……っ」

 なんで俺は、この人を好きになってしまったんだろう。

「前原――」
 向き直させられて、噛み付くようにキスされる。
 先輩の唇が、俺の唇を辿った。触れ合ったまま動く。
「……もっと、傷ついて」
「……っ!」
「もっと、俺を愛して。壊れてよ」
 先輩のキスは、やっぱり慣れていた。
 どうしたら気持ちがいいのかよくわかってるみたいで、溶けそうだった。
 じわりとした快感が背中を落ちていって、あっという間に官能になって涙が滲む。
 ……どうしよう、俺。こんなに先輩のこと、好きになってた。
 キスされて、泣けるぐらいに。

 先輩の腕の中で、俺は、純粋な憧れや理想の全てを諦めた。
 代わりに、絶望と一緒にやってきたこの官能的な人をどこまで受け入れられるか……俺の体が、心が、もつのだろうか。そんなことばかり考えていた。
「……前原。家に来て」
 耳朶を噛まれながら、息を吹き込まれる。ジンジンと頭の芯が痺れていた。
「恋人になろう。前原のこと、愛させて」
 ……それは、嘘には聞こえない。
 先輩は、きっと、本当に世界の全てを官能的に愛している。
 それは、俺の愛し方とは、すごく違うけど。
 俺は、ぼんやりと熱に浮かされたまま、先輩の首におずおずと腕を回した。
 胸が触れ合って、ほっと息を漏らす。体温だけが俺を安心させてくれた。

 ……なんでだろう。
 涙が、止まらない。




 FIN
 11/07/14
 改稿 13/11/17

 あとがき
 6500HITサヤ様リクエストで、「人気者×内気で健気」。特殊な愛し方をする先輩と、それに振り回されまくる後輩でした。サヤ様、リクエストありがとうございました(遅くなってすみません)。

 久賀リョウ




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