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「青野を連れて行くぞ」
 珍しく朝食の席に居る父親に切りだされて、歩は、え、と眉を寄せた。
「明日からの出張に、だ。その間、代わりの人間を呼んである」
 歩が、サーブする青野を見る。目は合わなかった。
 淡々とした仕事ぶりは、相変わらずだ。






極上執事の毒


02 決心





 父親が青野を仕事に同行させることは、ままある。が、青野が居ない間、歩に代わりの人間を手配してある、というのは初めてだった。
「え……別に俺1人で――」
「おまえは受験生だ。臨時の家庭教師を手配しておいた。気を抜かずにやれ」
 言われて、物音立てずに控えている青野をちらと見る。
 青野は、視線を静かにテーブルの上に向けていた。
 その眼差しがどこか物憂げに見えたのは、気のせいだろうか。


 朝食を終えると、父親が忙しなく自室に戻った。
 歩は、青野と2人食堂に残された。
 青野が、歩の傍らに立ちながら言う。
「会の件ですが」
「かい?」
「ご令嬢とのお茶会です」
 歩が、その話か……と肩を落とす。
「恐れ入りますが、延期いたします。お父様が出張からお帰りになった後、準備いたしますので」
「あー……透真さん」
 踵を返そうとした青野を見上げて、恐る恐る言った。「それ、やめられないですか?」
 ぴたりと青野が止まる。歩を見つめて言った。
「と、おっしゃいますと」
「あー……と、その、会……をなしに」
 青野は、片付けの為に入室してきたメイドに場を譲りながら言った。
「綾子様との会を中止したいということですか」
「まあ……そういうこと」
 青野は、一瞬黙ると、静かに口を開く。
「お父様にお伺いいたします。野坂建設とのお話は、お父様のご意向がありますので」
「……そっか。無理ならいいです」
「かしこまりました」
 頭を下げ、静かに出て行く青野をたっぷり見送ってから、歩は、重たい足取りで食堂を出た。




 青野と父が発ったのは、翌日の早朝だった。
 出発の時間を知らされていなかった歩は、送り出すことができなかったことを少し残念に思った。父親と居る青野を気付かれないように遠巻きに見るのは、新鮮さとスリルがあって好きなのに。


 同日の午後。
 歩が学校から帰ってほどなく、例の家庭教師代行で歩の部屋に来たのは爽やかな笑顔の青年だった。
「今日から1週間、歩くんの家庭教師をします、板野です。よろしく」
 板野は、歩のデスクの傍らに置かれた椅子に座って、ふわふわの茶髪を掻き上げると爽やかに微笑んだ。今時の大学生のような雰囲気だ。
「歩です。よろしくお願いします」
 父の知り合いかなーー歩の不思議そうな表情に気がついたのか、板野はまた微笑んで言った。
「僕は、常西大学で物理の助教授をやってるんだ。今回は青野に頼まれてね。奴は高校の同級生なんだよ」
「え!」
 歩は、椅子から腰が浮くほど驚いて、すぐさま訊いた。
「あの……何歳ですか?」
「今年で28だよ」
「ってことは透真さんも――」
「そうだよ。聞いたことなかった?」
 心臓がバクバクしている。青野の年齢を知ってしまったことに、だ。
 歩は、好奇心から続けて尋ねた。
「高校の時の透真さんって、どんな感じだったんですか」
「いやそれがね……一緒のクラスになったのは高3の時だったんだけど、青野はほとんど高校に来てなくて」
「来てない?」
「理由はわからないけどね。噂だと、実家の都合だとかで……。青野が卒業後すぐに渡英して執事学校を出たって知ったのは、2年前に君のお父上が主催していたパーティの席で偶然再会した時なんだ」
 胸が高鳴る。青野の学生時代を知る人が目の前にいるなんて。
「……板野さん、大学生かと思った」
「あはは、そんな若く見える? ありがとう。聞いた通りいい子だな、歩くんは」
 ――聞いた通り?
 首を傾げる歩に、板野が言う。
「家庭教師頼まれた時に、君のことを青野から少し聞いたんだよ。反抗期を忘れてるような子だってね」
「そ、そんなこと言ってたんですか、透真さんが」
 我ながら充分に反抗的だと思うのだが、青野にしてみればそうでもないのだろうか。
「青野のこと、透真さんって呼んでるんだなー……なんだかますます可愛いな。君、ほんとに男子高校生?」
 板野が面映そうに笑う。
「えーと……なにか変ですか?」
「いや、変じゃないよ。あの堅物相手に透真さんって呼んでるところが、想像すると微笑ましいっていうか」
 堅物、という言葉に歩が苦笑いする。
「あいつ、隙がないだろ。取り付く島がないっていうか」
「うーん、たしかに」
「高校生みたいな難しい年頃の世話係してるなんていうから、よっぽど関係不全起こしてないかと思ってたんだけどね。うまくやってるんだな」
「うまく……やれてるのかわからないですけど」
「でも来てみて驚いたよ、君、女の子かと思ってたから」
「え?」
「いや、青野から君のこと聞いてたら、なんとなく女の子を思い浮かべててさ。僕の思い込みだな」
 青野は、一体、板野にどういう説明をしていたのだろうか。
「すみません、女子高生じゃなくて」
「ははは、いじめないでくれよ。さて、一応時間割組んで来たんだ。今日は英語からでいいかな?」


 ※


「透真さんって、つき合ってる人いないんですか」
 板野の家庭教師も4日め。
 すっかり打ち解けた雰囲気の中、恐る恐る尋ねた歩に、板野がティーカップを持つ手を止める。
 勉強の合間の10分休みは、歩にとって貴重な情報収集の時間だ。今日は、ずっと気になっていて訊けなかったことを意を決して訊くことにした。
 青野に、好きな相手がいるのかどうか。
 心臓がドキドキして、口から出そうだ。
「恋人かあ……どうだろう」
 一口啜って、板野が続ける。「あいつ、学生の頃から浮世離れしてたからなあ。みんなといる世界が違うっていうか。わかる?」
「わかります、なんとなく」
 歩の苦笑いに、板野も笑いながら言った。
「そもそも、友達がいるかどうかもわからないな。あいつ、秘密主義でね」
 板野の苦笑いに、歩はふと思った。
 ーープライベートまでこの調子じゃ、透真さんは本当にロボットかもな。
「しかし、執事って仕事はなかなかハードなんだねえ」
 ぽつりと言った板野に、歩が不思議そうに視線を送る。
「3ヶ月前だったかな……青野を偶然街で見かけたことがあるんだ。これが傑作でね、あいつ、立ったまま寝てたんだよ」
「ええっ!?」
「相当疲れてるのかな、と思ったなあ。以前聞いた噂じゃ、葛城社長は気に入った人間を使い込んでボロボロにするって言うし――」
 そこまで話したところで、板野が慌てて口を覆った。「ごめん、君のお父さんなのに」
「いいんです、よくわかります」
 歩もその手の話は聞いたことがある。たった2代で家業を大きくした商売人なら常識外に強引なところがあるものだ。父親の場合、それが度を越しているようにも思う。完璧主義者の父は、人にも完璧を求めるところがあって、心を壊したり体を壊したりする側近も少なくないなんて話も。
 けれど、青野までもがそんなに疲れを溜め込んでいるとは知らなかった。
 立ったまま寝る程の疲労を仕事中に顔に出さないのはすごいの一言だけれど、逆に言えば疲れを隠すために無表情でいるのかもしれない。
 歩は、眉根を寄せると、なにか決心したようにテキストを睨みつけた。




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