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 ◇


「真くん?」
 はっとして顔を上げる。
 ……やべ、俺、またぼおっとしてた。ぼおっとっていうか、考え事。
「わり、なんか言った? もっかい言って」
 慌てて言ったら、こっちを振り返ってる王子が、首を傾げた。
「いや、何も話してないよ。上の空でどうしたかなと思って」
 あの、きらきらっとした爽やかな顔で笑う。

 今、俺は、王子と廊下を歩いている。
 勿論、保健室に向かって――るけど、その前に寄りたいところがあるって王子が言ってたから、(悔しいけど)見上げる高さの後ろ頭を見ながら歩いてる。
 歩く度にサラサラ揺れる髪を見て、将来ハゲるぞ、なんて心の中で悪態をついた。
 ……空しい。
 どうしようもない差がある俺の歩調に合わせて、ゆったりと長い足を運ぶ様は、本当に非の打ち所のない王子様だ。
 気遣いもばっちり。
 そりゃあ、美貴ちゃんも惚れるよ……。
 王子が、速度を緩めて俺の横に並ぶ。その綺麗な横顔を見上げながら思わず言った。
「……おまえって、うんざりするぐらい王子様だよなー……」
「え?」
 不思議そうに、王子がこっちを見る。
 俺は、ぺろっと口に出てしまった自分の言葉に慌ててフォローを入れた。
「みんなおまえのこと、王子様って言ってるじゃん」
 一瞬、色素が薄くて吸い込まれそうな瞳の奥に、冷たい火が宿ったように見えた。
 でも、王子は何もなかったように微笑んだ。あの、キラキラの笑顔で。
 ……さっきの冷たい目は、俺の見間違いだな。
「よく言われるけど、なんでかな」
「女子みーんな、おまえを見ると目がハートだし」
 ぶすくれて言うと、王子が目を微笑ませて言った。
「真君も、かわいいって褒められるじゃない」
「そりゃ、からかわれてるって言うんだよ」
 王子は、そう?と笑った。
 ――こいつ天然?
 視線を廊下の先に戻しながら、王子が言う。
「……みんな、本当の僕を知らないのに、なぜそんなこと言えるのか不思議だよ」
 驚いて、王子を見上げる。
 目元が前髪に隠れて、表情はわからない。
 王子は、どんな顔で今のセリフを言ったのか――想像したら少し怖くなった。
『王子様、裏があったりして』
 東野のセリフが頭を過ぎって、考えすぎだろ、と首を振る。
 王子が、長い足を止めた。
「ここ。寄りたいって言ってたところ」
 そう言って指さしたドアには、『生徒指導室』のプレートがかかっている。
「あー? 嫌なとこに用があるんだなあ」
「ごめんね、ちょっとつき合ってくれるだけでいいから」
 そう言って、躊躇なくドアを開けて入っていく。
 俺は、生徒指導室、って名前に身震いしながら王子の後について入った。
 教室の半分の大きさの部屋。
 入ってすぐ、窓の外を向いて立つグレーの背広の背中が目に入った。
 ドアを開けた音で俺たちが入ってきたのをわかってるクセに、今気がついたって感じでゆっくりこっちを振り返る仕草が、なんとなく胡散臭い。
「……おや?」
 細いフレームのメガネをかけてて、インテリっぽい雰囲気の男だ。
 えっと、確か――。
「清田(きよた)先生。保健室に行かなければならないので、手短にお願いします」
 王子の言葉で思い出した。

 そうそう、清田、だ。

 1年の社会だか理科だかを担当してたはずだけど、俺の学年は習ってないから名前忘れてた。
 王子は、なんで清田と知り合いなんだろ。
 隣の王子を見上げると、無表情に見えた。
「そういうことなら、後で来てくれればいい」
「広報の仕事が、どれくらいかかるかわかりませんので」
 ふーん、と清田がわざとらしく鼻を鳴らす。眼鏡の奥が一瞬、光った。
「……シェパードがチワワ連れてきたみたいだな」
 ――チワワ?
 王子がちらっと俺を見たことで、ピンときた。
「は? なんだよ、チワワって俺のことかよ!?」
 むかっとして言うと、俺を見た清田のメガネの奥の目が、また光った。
 ……しまった。相手は教師だった。
 暗く笑んだ清田が、俺から王子に視線を移して言った。
「……キャンキャン吠えてるが、飼い始めれば従順になって可愛く鳴くようになるだろう」
「え?」
「……清田先生。僕、言いましたよね」
 王子が、念を押すように言った。今度ははっきり冷たい口調で。
 清田が、薄く笑いながら言う。
「証拠がない」
「はい?」
「証拠を見せろ。はあそうですかと俺が信じるとでも?」
 ……だから、何の話だよ。わけがわからねえ。
 俺帰っていい?
 そう言おうと隣の王子を見上げると、怒りオーラを感じて、何も言えなくなった。
 なんだよ、こいつら。仲悪ぃのか?
 てか、王子、なんでこんな怒ってんだ?
 不敵な清田の顔と、今にも咬みつきそうな王子とを交互に見る。
 王子と目が合った。
 ……じっと見つめてくるもんだから、居心地悪くなる。
「……なんだよ」
「後で、責任取るから」
 ごめんね、と小さく呟かれてきょとんとしてると、あっという間に王子の顔が寄ってきて。

 唇に、マシュマロを押し付けたような感覚。

「ん」
 しっとり吸い付くような柔らかさで。
 王子の顔が離れていくのを呆然と見送った。
 王子が、すうっと冷たい表情に戻って清田を見る。
「……そんなもん証拠にもならない。ハメてる写真持って来いよ。ヌけるやつな」
「つくづく変態ですね」
 ぎょっとした。
 なんだよ、王子……何言ってんだよ教師相手に。
 っていうか今、おまえ何した。おまえら何の話してんだよ!
 清田が、くっくっと笑った。
「まあいい、行きなさい」
「本当にわかったんですね?」
 少しイラついた調子で、王子が言う。
 こんな王子は初めて見る。
 俺は、何が起こったのか理解するのをほっぽって、珍しくメラメラしてる横顔を見つめていた。
「今はそういうことにしておいてやる。俺の気が変わらない内にさっさと行った方がいいんじゃないか?」
 清田の、眼鏡越しの視線が刺さる。舐めるようなそれに身震いした。
「……失礼します」
 言って、王子が俺の肩を引き寄せて抱く。
 よくわからないけど、その体温にほっとした。
「真くん、行こう」
 ……いや、あの、なんで俺エスコートされてんの?




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