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 指導室を出て、俺は、しばらく王子に肩を抱かれたまま廊下を歩いた。
 頭の中が、わかんない、でいっぱいだ。
「……怒ってる?」
 王子がぽつりと言って、俺は、やっと我に返った。
 肩の手を振り払って、キッとにらむ。
「な、なんなんだよ、あいつ何の用だったんだよ! しかもおまえ、さっき俺に――!」
「ごめん」
 最後まで言い終わらない内に、王子が素早く言って頭を下げる。
「ああするしかなかった」
「……は、はあ?」
「殴っていいよ」
 そう言いながら顔を上げた王子が、目を閉じる。
 俺はといえば、怒るのを忘れて、きれーな顔だなーとか、睫なげーとか、あほなことばっか考えてた。
 王子は変わらず殊勝な態度で、逆に俺が悪者の気がしてくる。
 ……大体、王子の顔なんか殴ったら、女子からどんな嫌がらせを受けるかわからない。
「……もーいいから」
 王子が、目を開ける。その思案してるような顔に言ってやった。
「今度当てられてわかんなかったら助け舟出してくれよ。それでチャラ」
 王子が、きょとんとして言う。
「……そんなことでいいの」
「いいよ、おまえ頭いいんじゃん」
「でも、僕、キスしたんだよ?」
 キス、と言われて、顔が熱くなるのがわかった。
「い、言うなよ! なかったことにしてやってんだから!」
「でも……当てられた時のヘルプなんて、ちょっと安すぎない?」
「男同士でキスなんかどうってことないじゃん」
 言ったら、王子が妙に真剣な顔をした。
「ファーストキスじゃなかったのか」
 ふざけんな、ファーストキスに決まってんだろ!
 ……っていう事実はプライドのせいで言えなくて、まあな、なんてテキトウな返事をしてしまった。
「あんなの、キスにも入んねえし」
 胸を張ってわざとらしく言うと、王子の表情が曇った。
「そっか……慣れてるんだね」
「今どき、初キスなんて幼稚園で済ませるもんじゃん。ファーストキスは好きな人とーなんて大事にとってねえよ」
 あーあ。
 これ、全部俺のことだ。
 ファーストキスは、美貴ちゃんの為にとってあったのに……油断してたとはいえ、男に……王子に奪われるなんて悔しすぎる。
 こいつは慣れてる風なのに、俺はファーストキスだったなんて認めたら、俺のプライドがずたずただ。
 でも、調子に乗ってペラペラ嘘を重ねるのは、よくない――そうわかったのは、直後のことだった。
「……なんだ。じゃあ、遠慮することなかったか」
 ふ、と王子が笑う。
 それは、いつものキラキラの王子じゃなかった。
 キラキラのはずの目つきは暗く鋭くなって、俺を見てる。
 その迫力と言ったらすごくて、悔しいけど俺はビビって2歩も退がってしまった。
「ヤることヤッてるんだな、真は」
 王子が、サラっサラの髪を男っぽく掻き上げながら言った。
 ……"真"!?
 くん、はどこ行ったんだよ、いきなりどっか吹っ飛んでいっちまったぞ!?
 その変貌ぶりに、俺は、口をあんぐり開けて言葉を失った。
「見かけによらず乱れてんだな」
「は、はあ?」
 ……こいつ、王子の偽者か?
 あのキラキラ王子とは思えない、ぶっきらぼうな口調。
 ――ブラック王子。
「お、おま、やっぱ猫かぶってたのかよ!」
「周りが勝手に王子様って騒いでんだろ、俺はいい迷惑だっつーの」
 "俺"!?
 おまえの一人称は、"僕"だろ!?
「……それが素なのかよ、騙しやがって」
 言うと、王子がムッとしたように眉を寄せて、俺の手首をがしっと掴んで顔を寄せてきた。
 慌てて目をつむったら、クスリと至近距離で笑いが聞こえて。
「かわいいな、目ぇつぶっちゃって」
 ばっと目を開けて、かあっと顔が熱くなる。
 こいつ、からかったんだ……!
 俺は、思いっきり手を振りほどいて、肩を突き飛ばしながら食ってかかった。
「どういうつも――」
「てかさ、人が助けてやったのに、礼の一つあってもいいんじゃねえの」
 ぐいと顎を持たれて、頭を振って払う。
「助けた? なにが!」
「あの変態教師に狙われてたチワワくんをだよ」
「は、はあ?」
「俺の恋人ってことにしてやらなかったら、おまえ、あっという間に手ぇ出されて、首輪つけられて、がに股にされるところだ」
 清潔感の申し子、みたいな王子の口から、ポンポンありえない言葉が飛び出してくる。
「わけわかんねえ、何言ってんの」
「清田は、おまえに興味あるんだよ」
「はあ?興味?」
「ふーん……知らないのか」
 王子が目を細める。
「清田は変態でロリコンなんだよ。有名な話だけど?」
 げい?
 俺がぼおっとしてると、王子が呆れたようにため息する。
「これだからお子様は……」
 王子が、俺の胸を指で押しながら続けた。
「"真くん"は、経験値低そうだから、妙な事にならないように気ぃきかせてやったんだ。感謝しろ」
「なんだよその上から目線……誰も頼んでねえだろ!」
「へえ、強気」
「恋人って、おまえ、俺とつき合ってるフリするためにキスしたのか!?」
「回転の悪そうな頭で、よくわかってるじゃねえか」
「てめ……」
 さらに食ってかかろうとしたら、ぐいと顎を持たれて、唇に息を吹きかけられる。
「……もう一回してやろうか?」
 ぎく、と体が強張る。
 さっきまでバカにするように笑ってた奴が、急に真面目な顔するから。
 ど迫力の冷たい綺麗な顔に、戦慄する。慌ててその肩を押し退けた。
「……おまえに助けてもらわなくたって、自分でなんとかする」
「へえ……"真くん"が、なんとか、ねえ」
 どうやって?とわざとらしくあのキラキラ笑顔で首を傾げられて、ぶち切れそうになった。
「ぶっとばしてやればいいんだろ!」
「できんの? あいつ黒帯持ってるぞ」
「う」
 そういえば、清田は、空手部の顧問だった気がする。
「じゃ、じゃあ校長にチクッて――」
「清田がそんなヘマすると思ってんのか。脱がされて写真撮られてばら撒かれるぞ」
 ……ぐうの音も出ない。
 大人の変態ってのは厄介なんだよ、と王子が呆れ顔で言う。
「うるせえ、とにかく、俺は王子に助けてもらわなくてもいい!」
 わざとその胸をどんと押しのけると、王子が、うっと唸ってうずくまった。
 ……え?
 なんだよ、そんなに強く押したか?
 慌ててその顔を覗き込む。
「お、おい、大丈夫か、王――」
 と、長い腕がするっと伸びてきて、後頭部を持たれて引き寄せられる。
「んっ!」
 ぶつけられるようなキスだった。
 鼻がぶつかって、いてっと思ったら、きゅうっと唇を吸われてパニックになる。
 さっきみたいに押し付けるだけじゃなくて、頭を固定したのをいい事に角度をつけて唇を噛まれて。
 押しのけられない。
 俺は、必死に唇を引き結んで、うーうー唸った。
 ぶはっと唇を離すと、したり顔で王子が言った。
「こんな無防備で、よく言うよ」
 囁く声が慣れてるみたいで、胸の奥がむかっと疼く。
「……嫌がらせかよ」
「これで経験豊富だって言うから、笑うよな」
 王子がそう言って、くるりと背を向ける。
「早く行かねえと、保健のセンセに文句言われるぞ」
「おまえのせいだろ!」
「ぎゃんぎゃん言うな。さっさと来い」
 そう言い放って、颯爽と歩いていく背中。
『王子様、裏があったりして』
 東野の言葉が、再び頭をよぎった。
「……裏どころか、極悪じゃねーか……」
 俺は、騙されてた。
 いや、みんなだ。
 みんな、王子様の仮面を被った王子に騙されてる。
『王子様の秘密、何かわかったら教えてくれよ』
 ……こんなこと教えられない。みんなは、騙されたままの方がいい。
 俺は、王子の背中を睨みつけながら後について行った。




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