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車内で、笠井さんとぽつりぽつりと話をした。
さっきのショックがまだ尾を引いていたのをわかってくれていたみたいだった。
『エス』で話すような冗談混じりじゃなくて、俺の様子を確かめるような、優しい口調と話題だったんだ。
10分も走った頃には、体の震えも、あの不快感も、だいぶなくなっていた。
むしろ、笠井さんの優しさが俺を包んでくれてるみたいで、じんわりと胸があたたかくなっていた。
ライトアップされた、すらりと高いビル。
笠井さんは、その目の前の駐車場に車を停めて、着いたよ、と声をかけてくれた。
ビルの2階のピアノ曲が流れるおしゃれな店に入って、俺たちが通されたのはパーテーションで区切られている向かい合った2人席だった。
座ると、メニューが渡され、先にドリンクの注文を取る店員さんに、笠井さんが、はちみつワインを頼んでいる。
俺は、思わず吹き出しながら、アップルタイザーを頼んだ。
「……ん? なーに、笑って」
「やっぱり、はちみつなんだなーって」
頬杖ついて首を傾げる笠井さんに、思わず笑ってしまった説明をした。
「はじめて笠井さんに会った時、はちみつみたいな人だなーって思ったから」
甘いけど爽やかそうな雰囲気とか。
髪の色とか。
笑ったときのとろけそうな表情とか。
「存在自体がはちみつみたいで……」
夢中で話してたら、笠井さんが驚いた顔してるのに気づいた。
「あ。嫌、だった……?」
「いや……紘くん、かわいいこと言うなと思って」
その笑顔は、やっぱりとろけそうに綺麗で、俺も一緒に溶けてしまいそうな気持ちになる。
「紘くんは、みつばちっぽいね」
「みつばち?」
「健気に一生懸命飛び回って蜜集めてるの。そんな感じ」
前に、笠井さんが働いてるのを見てて、花が咲いてるみたいだって思ったことがあった。
花の香りに惹かれて、必死に蜜を集めるみつばち――なんだかうまくできてる。
丁度店員さんがお酒を運んで来て、俺は、鮭ピラフ、笠井さんは、2種のカルパッチョと、クリームソースのペンネの2品を頼んでいた。
サービスの前菜のサラダが来ると、笠井さんに促されて口に頬張った。
心の底から、ほっとした。食べ物の力って、すごい。
落ち着いたところで、改めて、笠井さんに言った。
「……待たせたのも、そうだけど、すみませんでした」
「改まって謝らないでよ。人生にハプニングはつきものでしょ」
そう言いながら長い指でフォークを持って、サラダを食べている。
笠井さんがなにか食べているのを見るのは、不思議だ。俺と同じ人間だったんだなあって思う。こうして一緒にいること自体も不思議なんだけど。
「あの、笠井さんが言ってた、話って……?」
昨日から、ずっと気になってたことをいきなり訊いた。
早く知りたかったのもそうだけど、笠井さんの話し易そうにしてくれている雰囲気に誘われた、ってこともあって。自然に尋ねたつもりなのに、心臓は、バクバクしてる。
ワインをこくりと飲む笠井さんの沈黙に、焦れた。
「カットモデル。また、頼みたいなあって」
「あ」
そう、なんだ。
……なんだ。やっぱりそうじゃん。
勝手に期待に膨らんでた心が、しゅう、としぼむ。
なに期待してたんだ、俺。誰だよ、告白かもとか考えてた奴。……恥ずかしい奴――。
なんて顔したらいいのかわからなくて、やっぱりそうなんだ、って呟きながらサラダを食べた。
「……ほんと、紘くんて」
ため息混じりの声に、顔を上げる。
フォークで皿をなぞる笠井さんと、目が合った。
もしかして、笠井さんってお酒弱いのかな。目が潤んでる。
優しく撫でてくるような眼差しに、耳から火が出そうなほど恥ずかしくなって、慌ててサラダを口に入れた。
「んー……タイミングが難しいわね」
「え?」
視線を笠井さんに戻して、首を傾げる。
笠井さんが、グラスを傾けてから口を開いた。
「もうひとつ、紘くんに言いたいことがあったの。でも、タイミングはかりたいな、って」
「タイミング……?」
「紘くんが、急に店に来なくなったから気になってたのよ」
ちょっと、気まずい。
「それは……」
「あんなに懐いてくれてたのに、連絡ないから変だなって」
「心配してくれてたんだ」
「んーそれは、本題じゃないんだけどね。でも、心配してたのは本当」
本題じゃない?
たぶん俺、よくわからないって顔をしてたんだろう。
笠井さんが、苦笑した。
「はっきり言おっか。私のこと嫌いにならないって、約束してくれたら、ね」
「え」
「嫌わないって、約束してくれる?」
じっと、笠井さんが見つめてくる。真剣な顔で。
ど、どうしよう。怖い。いや、笠井さんが、じゃなくて。
これから、笠井さんが口にしようとしていることが。
俺が、笠井さんのこと嫌いになるかもしれないような話って?
浮かれるような話じゃない、むしろ真逆の話じゃないのかな……。
「ま、待った――」
慌てて右手を突き出して、笠井さんの言葉を遮る。
ぐっ、と、タイミングを外された顔の笠井さんが言葉を呑み込んだ。
心臓が、肋骨を叩いてる。
「待って、俺、心の準備ができてないよ」
「え?」
「怖いよ。笠井さん、そんな真剣な顔しないでよ」
心臓があんまりドクドクいってて、爆発しそうだ。「お、俺が、笠井さんのこと嫌いになるようなこと? 俺、平気でいられるかな……お願いだからいきなり全部じゃなくて、ちょっとずつ――」
ぶふっ、と笠井さんが吹き出す。
「え? あ、え?」
慌てて、笠井さんのお手拭きに加勢して、テーブルを拭く。
「……紘くん、それ、刺激強い」
「あ、ごめんなさい……」
あんまり意味がよくわからなかったけど、とりあえず謝った。
笠井さんが、ふ、と眉を寄せて苦笑いする。
困ったように笑うのにもいちいち見とれてしまう。……俺、笠井さんのこと好きになり過ぎてるよな。ガツガツ行っちゃダメだ。後で泣くのは、自分なんだから――。
「じゃあ、紘くんのペースに合わせて、ちょっとずつにしよっか。無理にして痛がられても嫌だし」
「う、うん、ちょっとずつ」
うんうんと頷くと、また、笠井さんが眉をハの字にする。
「……わかってたけど天然ね、紘くんは。――じゃあ、先にごはん食べちゃおっか」
笠井さんが、そう言って目を細める。
またドキリとしたら、丁度頼んでた料理が来て、テーブルがおいしい匂いに包まれた。