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4 Dreamy








 花が香る風に吹かれる黒髪が、千々の色の中で際立っている。
 桜の嵐に、背中が掻き消されそうだ。
「黒海先輩!」
 俺が慌てて声をかけると、先輩は振り向いてくれた。
 冷たい陰があるのに、ふとした時に浮かぶこの柔らかい笑顔が見たくて、いつも声をかけてしまう。
「合格おめでとう」赤い唇がゆっくりと動く。
 ……そうだ、これから黒海先輩と同じ学校に通える。夢みたいだ。
 いつになく穏やかな目に真っ直ぐ見つめられて、胸が高鳴ってくる。
 言葉にしたくなった。
 先輩、先輩――。
「俺、黒海先輩のことが……」
「――入学祝いを渡さないとな」
 一転して冷えた声に、言いかけた言葉が阻まれる。
「いっ、つ……!」
 手足に痛みが走った。見ると、薔薇のつるが無数に巻きついてくる。棘に肌を破られて、血が肌を伝った。
「あ」
 俺の血が、黒海先輩の白い手の甲を汚した。赤が映えて、目が離せなくなる。
 先輩も、自分の手を伝う俺の血を無表情に眺めている。
 俺が謝るより先に、先輩の赤い舌先が俺の血を味わうように舐め取る。
「あ……!」
 先輩の瞳の色が、赤く変わっていく。
 見据えられると、声が出せない。頬に先輩の指が触れて、気だるそうな視線が俺の首筋を撫でる。
「人間は……気持ちイイのが好きなんだよな」
 腰を抱かれて、息を呑んだ。
 近づいてくる赤い唇の合間に、牙が――。
「ど……どうして……っ」
「なぜって」黒海先輩が鼻で哂う。「俺、吸血鬼(ヴァンパイア)だから」
 先輩は人じゃない――。
 どうしてこんな大事なことを忘れていたんだろう。
 首筋に牙が触れて、息がひくつく。先輩の気配が一気に冷たくなって、身震いした。
 これは、殺気だ。
 ――殺される。
「待って、待ってください、話を聞いて」
 黒海先輩の動きが止まった。
「好きなんです」
 俺は必死だった。最期に、伝えておかないといけないんだ。「初めて会った時から、ずっと好きなんです」
 心の内を、全部伝えておかなきゃ。
「おまえ、人間だろ」先輩が興味なさそうに呟く。
「黒海先輩は人を好きにならないんですか」
 俺のことを、ほんの少しも想ってはくれないんだろうか。
「どんなに好きでも、ダメなんですか」
 気持ちが焦って、はやって、乞うように何度も口にしてしまう。
 無表情の冷たい美貌は、冷たく俺を見つめたままで。
 情けないほど必死な俺の耳元に唇を寄せて、黒海先輩が哂った。
「――おまえは、ただの食事だよ」

「は……っ!」
 心臓が肋骨を強く叩いている。まばたきした拍子に、涙が頬を転がった。
 暗く黙った夜だ。風の音ひとつしない。
 ベッドサイドの明かりを頼りに見上げた時計は午前2時を指していた。息を吐いて、強く握りしめていた布団を離す。
 もうここ数日、似たような夢を毎晩見ている。
(夢の中なら、何でも言えるんだよな……)
 疼いた首筋を指で探ると、数日前に咬まれた痕はふさがっていた。咬み痕は2日もすればほぼ塞がる。超自然的だ。
 黒海先輩がヴァンパイアなんだと知ってから、俺の"普通"の世界は変わってしまった。
「はあ……」
 先輩に言いすがっていた夢の中の自分が恥ずかしい。
 廊下で会ったら挨拶をして、ほんの少し言葉を交わして、1日浮かれた気分になって。
 今になって、そんな頃を遠い昔のように感じる。
 憧れてたまらなかった。遠くから想っていられればよかった。
 先輩の柔らかい笑顔に一喜一憂できればそれでよかった。
 なのに。
「……黒海先輩のこと、好きなのか……」
 あんなに必死な、夢を見るくらいに。
 でもこの感情だって、ヴァンパイアのフェロモンに生み出された副産物かもしれない。
 そう考えてみても、胸は疼いて苦しかった。
 何も知らずに憧れていた時の方が、きっと、何倍も幸せだった。






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