何も手につかなくて、部屋を歩き回る。
読みたくもない本を引っ張り出して、ページをめくる。
片付いてる机の上のペン立ての位置を変えてみる。
……でも、落ち着かない。
今日に限って、学校の課題もない。
デジタル時計は、夜の11時になろうとしていた。
「はあ〜……」
このままじゃ眠れない。
原因は、わかってる。明日の夜、笠井さんと会うからだ。
「なんの話かな――」
何度目かの独り言をして、頭を振った。
聞かないとわからないのに心配してもしょうがない。
……でも、気になってしまう。
と、急に響いた携帯の着信音に飛び上がった。
「え」
携帯の画面に表示されていたのは。
melt with honey
−後編−
『笠井勇次』
「うわ……」
画面に目が釘付けになって、口を抑える。心臓がどくどくいい始めて、携帯握ったまま部屋を右往左往した。
早く出ろと急かすように音が鳴り続けるので、一呼吸して電話に出る。
「も、もしもし――」
『紘くん?寝てた?』
受話器から漏れてきた声に、とくとくっと心臓が早く打つ。
お店で聞くよりも落ち着いてて、ゆったりした声だ。声の向こうから車の音が聞こえてくる。外からかけてるみたいだった。
「ぜ、全然! 起きてた……」
『そっか、よかった。明日のことなんだけど――』
どきっ、とする。正に、今、それで悩んでたところなんだ。
『明日、第2水曜日なの忘れてたの。お店休みなのよ。夜、食事しながら話できないかと思って』
「え!?」
慌ててカレンダーを見る。ほんとだ。どおっと後悔の波が襲ってくる。
バイト入ってる、バイトが……!
「あ、の、それが――」
『あ、ヤだった?』
「ち、違う! その、俺――」
半泣きになりながら、急なバイトに行かないといけないことを告げる。
俺、バカだ。バイト引き受けてなかったら、笠井さんと夕食行けたのに。
「空気読めなさすぎて……ほんと……」
本気で泣きそうになった。
電話の向こうから苦笑混じりの笠井さんの声が聞こえてくる。俺のか細い声に、同情してくれたみたいだ。
『8時まででしょ。バイトが終わったら車で迎えに行こうか』
笠井さんの言葉に目を見開く。
『遅い時間じゃないし、紘くん車で拾って近くの店で夕食すればいいかなって』
「いい、の……?」
『予定はどうとでもなるから、心配しないで仕事してきて』
ぎゅんっ、と胸が締めつけられる。
やっぱり、好きだ。
優しくて柔らかくて、でも、頼りがいがあって、落ち着いた声は男っぽくて。
こういう気遣いを自然にしてくれる笠井さんを純粋にかっこいいと思う。
『終わったら連絡してくれる? 一応、8時頃着くようにはするから』
どこか夢心地というか、現実味のないまま、気がついたら電話が切れていた。
――車で迎えにきてもらう、って。
ぼふっ、とベッドにうずまる。
まだ胸がバクバクしてて、頬が、耳が熱い。
「うわああ〜……」
おなかの底から噴き上げてくる感情が溢れそうで手足をバタバタつかせた。
期待してるわけじゃない。わけじゃないんだ。でも。
「……すげ、嬉しい……」
笠井さんと外で会うなんて、この3年間で初めてだ。
それって――笠井さんのプライベートの時間なんじゃないだろうか。
知りたくないはずだった笠井さんのプライベート。
その時間に今、少しでも自分が関われてるのかもしれない。
俺は、胸の高まりがおさまるまで、ベッドの上でゴロゴロ転がって、唸っていた。
□□□
「じゃ、頼むね」
そう言い残して、店長は清々しい顔で出かけて行った。
学校から一度家に帰って着替えて、例の、2時間だけのネカフェのバイトに来たんだ。
ここでのバイトも、あと2回程で終わりかと思うと、少しさみしい。
店長はいい人だったし、仕事も慣れたし、結構割のいいバイトだった。……先輩のことがなければ。
今の時間帯は、夕飯をここで済まそうっていうお客さんがいるから暇ではない。忙しくもないけど。
接客の間は、何にも考えられないでいられるから助かる。
『車で迎えに――』
……来るんだよな、あと、2時間で。
時計が気になってしょうがない。
始まってまだ3分も経ってないのにちらちら見てしまう。ちょっと情けない。
落ち着け、落ち着け、自分――。
言い聞かせながら、入店してくるお客さんの受付業務をこなした。
3組ほど案内したところでまた、ガーッ、と自動ドアが開く。手元から顔を上げて、いつものように言った。
「いらっしゃ……」