愚者は祈る

※カラ松神父夢






 ああ、空が漸く白み始めた。
 やけに早く目が覚めてしまった。朝の祈りには当然まだ早いし、鶏の鳴き声だって聞こえてこない。ただ一人の修道女だって、まだ目覚めていないはずだ。
 ただ一人、というところに疑問を持つかもしれないが、町から少し離れた小さくて古い教会だから致し方ない。王の命で十数年前に町の中心部に大きく美しい装飾の多い教会が作られたもんだから、こっちの教会に来る人なんてほとんどいない。いるとすればご老人が数人だけ。人が全く訪れない日だって多い。
「…どうかしたか、シスター」
 起きていないはず、とそう思っていた修道女が、こそこそと隠れるようにして、祈りを捧げている。すっかり修道服を脱いでしまって、彼女がここへ来た時に着ていたワンピースを身につけている。そして手には僅かばかりの私物。抜け出す気でいるのだろうか?
「あ…い、いえ、その」
 焦りが顔に滲み出ている。なんでこの時間なのに神父様が起きていらっしゃるの、とでも言わんばかりに目は泳ぎ、呼吸も乱れている。目元に何か違和感が、と思ったのは、いつもより腫ぼったい瞼のせいだろう。目元をこすったのか赤くなっている。ああ、泣いていたのか。
「まあいい、出て行くのなら、その理由を話してからにしてくれないか」
 にこり、と笑ってそう伝えるが、彼女はびくりとして俯いてしまった。
「…ここじゃあなんだ、食事室にでも行こう」
 白湯でも飲めば少しは落ち着くだろう、と続けて、半ば無理やり引き摺っていく。ぐす、とすすりあげる音がする。きっと決意が揺らいで気が緩んでしまったんだろう。

「…何があった」
 カップに手をつけず俯く彼女に優しく、至極優しく問いかける。明かりはつけていないから、早朝のうすぼんやりとした青の中で、まるで彼女は幽霊のようだった。
「悩みがあるなら、力になりたい。」
 もしくは懺悔か。どちらにせよ、それを聞くのが神父の務めだ。たとえ相手が修道女であろうとも。
「…もう、ここにはいられないのです」
 泣き疲れて掠れてしまっている。喉の奥から絞り出すような声だ。
「わたしの身体は、穢されてしまったのです」
 そう一息で言い切ると、手で顔を覆ってすすり泣き始めてしまった。ああ、辛いことを言わせてしまったと後悔する。聖職者として、女子として、耐えがたい屈辱であるのだから。
 しかし彼女の話は、少々信じられないところがある。ここは先ほども説明したように人はほとんど来ないし、来るとしてもご老人。そして彼女はここ一週間ほど、この教会から出ていない。信心深い彼女のことだから、一週間も心の内に秘めておくなんてできないだろう。だとすれば、その純潔を散らしたのは、
「淫魔か」
 ばっ、と彼女が顔を上げる。悲しいのか不安なのか安心したのかわからない、全てを混ぜたような顔をしている。ああ、基礎の基礎の部分には絶望の色が垣間見えた。
「っさ、最初は夢だと思ったんです!!きっと夢だって、痛いけど、きっと、夢だって、でも、目が覚めたら、痛いままで、血が、出て、て、それ、で、」
「もういい、大丈夫だ、淫魔なら仕方がないだろう」
「、しかし、私の、こころに、隙があった、から、淫魔なんかに、しかも、」
「シスター」
「神父様、まで、穢してしまって、」
 神父様まで。何故そうなる。あくまで冷たい言い方をすれば、彼女だけの問題であるはずだ。
「……それ、は、神父、様の、姿を、していて、」
 偶然、淫魔がオレの姿形を模倣していただけだというのに。やはり、嗚呼なんと信心深く、心優しいんだろうか。
「大丈夫だ、淫魔は往々にして、身近な人に化けることが多いと聞く。私の心配はしなくていい」
 にこやかにそう告げると少しほっとしたのか、しゃくりあげるようだった呼吸も穏やかなものになってきた。
「そしてシスター。お前は信心深く、心優しく、これまで熱心に神への祈りを捧げてきた。病の時でさえ、そうしていたじゃあないか。だから、神もきっとお許しくださる。何しろ、お前が招いた事態ではないのだから」
 しかし、と口を開きかける彼女をまあ聞きなさい、と制する。
「ここへ来る人は少ないが、来る人は皆、お前の敬虔さに感動している。神もきっとそうお思いだ。これからもその敬虔さを忘れず、慎ましく祈りを捧げれば良いではないか、神に仕えるのを辞めなくたっていい」
 それでもなお腑に落ちないのか、彼女はまた俯いてしまう。
「本当に、お許しくださる、でしょうか」
 細い細い声で呟く彼女に、勿論だ、という言葉を優しさを纏わせたそよ風のように彼女の耳へ運ぶ。
「…ご迷惑を、おかけしました、これからも、お仕えいたします」
 キリ、と決意を固めた顔は、幾分か希望の色が差し込んでいた。
「ああ、もしこれからが心配なら、淫魔避けの薬がある。それを飲んでおくといい」
 確か部屋にあるから、後で持って行こう。
 ぱあ、と花が開くように明るくなった彼女を見て安心する。
「さあ、そろそろ朝の祈りの時間だ。早く服を替えてきたまえ」
 はい!と返事をする彼女は、もうすっかり不安なんて感じさせなかった。

 それからというもの、彼女はより熱心に神にお仕えするようになった。以前よりも慈悲深く、そして至極笑顔で、生き生きとして。そうして神父様、神父様、と暇を見つけては神の御言葉を、と縋るのだ。

 ああ、全く可笑しな話だよ、彼女の純潔を散らしたのはこのオレだというのに。



back
しおりを挟む
TOP



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -