この世界は残酷で時に美しい。
誰かが言ったその言葉は、あながち間違いではないと思う。
流れる雲も、青々とした空も、草木が揺れる音も、命が芽吹く瞬間も、沈む夕日も、月明かりも。
そして、君の音も。
世界は残酷で、美しいものに溢れている。
●Beautiful World
死。というものを意識したことがあるだろうか。
大概の人はきっと、それに対して無頓着だろう。
誰しもに訪れるはずのそれに、皆がそう他人事なのは、それが傍に居ないからだ。
鬼殺隊という組織は、その死がすぐ傍にいた。
だからこそ、死を意識し、生に敏感になる。
人というものは簡単に死んでしまうものだ。
実に呆気なく、そして儚く散っていく。
善逸はそう思って小さくため息をついた。
彼の世界は音に溢れていた。
でも、音というものは綺麗なものだけではない。
時に汚く、残酷で、耳を塞ぎたくなるようなそんな音が響く時がある。
幼い頃から、その音の世界で生きてきた彼は、様々な音を聞きわけることが出来た。
残酷で時に美しい、世界の、音。
そんな繊細な能力を持ち合わせてるせいか、彼は他の誰よりも生と死に敏感だった。
「善逸」
「…あ、なまえちゃん」
蝶屋敷の一室。
縁側でぼんやり外を眺めていた善逸に声をかけたのはなまえ。
彼女は両親を鬼に殺され、主であるしのぶに保護された。それからはこの蝶屋敷で働いている。
そんななまえと善逸は恋仲だった。
彼女はふわりと微笑むと、善逸の傍に腰をおろした。
「…しのぶ様に聞いたよ。明日から単独任務なんでしょ?」
「…うん。」
「なんでしょげてるの?」
「…」
善逸は、その質問に答える事はせず…返事と言わんばかりにコテンとなまえの膝に頭を預けた。
そんな善逸に、なまえは目を見開いて少し驚いたがすぐに目を細め彼のふわふわした髪をそっと梳くように撫でる。
「…随分と、甘えたさんだね?」
「…甘えたくもなるよ」
「どうして?」
善逸は小さくため息をついたあとで、そっと瞳を閉じた。
今彼を取り巻いているのは…彼女の音だけだった。
他には何も聞こえない。ただ目を閉じてその音だけに集中する。
なまえの心音も、規則正しい呼吸の音も、自分の髪を解く柔らかい音も、彼女自身の優しい音も。
善逸にとっては全てが愛おしい。このままこの音に溶けてしまえたら…どんなにいいだろうか。
「…明日の任務、遠方なんだ」
やっと口を開いた善逸に、なまえはそう。と短く返す。少しだけ動揺した音がした。けど、必死にそれを隠すような彼女の音が覆い被さる。
「じゃあ、しばらく会えなくなっちゃうね」
「…うん」
「でも、ずっと待ってるから。善逸が帰ってくるの」
再び沈黙が流れた。なまえはするすると善逸の髪をゆっくり優しく撫で続けている。
愛おしものを、大切に扱うような…そんな手つきだ。
「怖いんだ」
「…」
青々とした空に、綿あめのような雲が流れてゆく。
さぁ。と吹いた風はこの季節特有の爽やかなもので心地よい。
その風に攫われた木々が鳴いた。
その中でボソリと善逸の声が言葉を紡いだ。
「もしかしたら、死んじゃうかもしれない。もう、なまえちゃんと会えないかもしれない」
「…」
「…凄く、怖いよ。だって俺弱いもん。…でも一番怖いのは、なまえちゃんを置いて死んじゃうこと。それが、今は一番怖いんだ。」
善逸がそう言えば、なまえがその髪を撫でる手をピタリと止めた。
「…ねぇ、善逸」
それはすごく優しい声音だった。
降ってきたそれは、善逸の鼓膜をふわりと揺さぶる。
「…何?」
善逸はゴロンと、なまえに視線を向けるようにその頭を動かした。
自分を見つめる彼女の顔は少し泣きそうで、その音も悲しい音がした。善逸はああ。悲しませてしまった。と先程の発言を後悔した。
「…もし、願い事がひとつだけ、叶うとしたら。どうする?」
「へ?」
唐突な質問だった。善逸はその質問の返答に困り、口を噤む。
願いがひとつ、叶うとしたら。自分は何を望むのか。
ありすぎて、絞れるはずもない。
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