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空の青は掌に透ける


 春、夏、秋、冬。季節は巡る。巡れば巡るほど、何故か君が遠く感じる。

「じゃーん!名前ちゃん特性卵粥でーす!!」
「すごくいい匂いがするね。名前、ありがとう」

 夏油との関係も彼此1年が経つ。途中で何度か些細な喧嘩もあったが、その度に仲直りをして、何だかんだで一緒にいる。長く共にいればいるほど相手のいい所も、そしてもちろん悪い所も見えてくるものだ。それは、夏油と名前も例外ではなかった。たとえば、夏油が案外短気で手や足が先に出やすいとか、意識的か無意識的か人を煽るような言い方をするとか、姑みたいにちょっと小煩い時があるとか。それと同じように夏油も、名前に対して何かしら思う部分もあるだろう。でもそういった一面を互いに受け入れたり、許しあったりすることで、人は他人と寄り添っていけるのだ。
 ちなみに、この前の喧嘩の内容は部屋の片付けについてである。掃除が下手で大雑把な一面のある名前が、ここはこうした方がいいとあーだこーだ小言を呈する夏油に反発したことからスタートした。ちなみに仲直りの切り出しは夏油が先の場合が多い。そういうところは名前よりも大人っぽくてスマートだ。自分の子供らしさが露呈して恥ずかしさを覚える。夏油曰くそれが狙いだと怖い笑顔を浮かべていたが。
 名前は白いチューリップを挿した花瓶の水を入れ替える。これは、夏油から貰ったものだ。初めて一輪の花を貰った時から、デートが中断する時、キャンセルになった時、喧嘩の仲直りをする時など、夏油がごめんと謝る際必ずいつもこの花とセットになっている。そういう所が狡いよなあ、と何度も思う。夏油の気持ちが込められたこの花を名前が愛おしまない理由なんてあるはずもなかった。

「傑、最近ご飯食べてる?」
「なんで?」
「ちょっと痩せた感じがする」

 ちまちまと卵粥を頬張る夏油の頬に触れる。すこし痩せこけた気がする。顔色もあまり宜しくない。目の下にもうっすらと隈ができている。少し冷えた肌をわしゃわしゃと犬相手にするみたいに撫で回してやると、食べれないよ、と苦笑された。

「大丈夫だよ。夏バテかな」
「それはまだ早くない?ちゃんとまともなご飯食べなよ」
「うん、ありがとう」

 差し出した手に頬擦りされる。普段はスマートでカッコイイこの男も実は少し甘えたな部分があるのだ。それが結構可愛い。最近はそんな一面をよく目にする。それほど彼が弱っている証拠だ。大丈夫かな、と思いながらも、名前はそれを深く聞かない。聞いても、夏油は答えてくれないだろうし、答えられない罪悪感で彼をさらに追い詰めるような真似はしたくなかった。それが、合ってるのかどうかは分からないけれど。

「名前は料理上手になったね」
「まあね!なんせ一人暮らしですから!」
「最初の頃は目玉焼きも焦がしてたのになあ」
「も、もう!その話はいいでしょ!!」

 一人暮らし始めたての名前の料理スキルはそれはもう悲惨のものだった。部屋に訪れた夏油のためにと、レシピ本を片手にチャレンジしてみたはいいものの、キッチンは燃えるわ、ものは焦げるわで散々だったのだ。結局焦げ臭い部屋の中で宅配ピザを頼んで食べたのも懐かしい思い出だ。それを機に、1人の時も料理をするようになり、次に夏油が来た際は少し形の崩れたオムライスを披露することができた。美味しいよ、と噛み締めるように微笑む夏油の顔は今も変わらない。

「美味しいよ、本当に」
「大袈裟だなあ。まあ、傑のために愛は込めまくったからね!とっておきの隠し味入り!」
「名前は優しいね。卵粥なのも、私が調子悪そうにしていたからなんだろう」
「そういうの、傑は何でも気づいちゃうもんねえ。こちらこそありがとう」

 そのまま唇を重ね合わせて、ぎゅうっと強く抱きしめ合う。そのまま体を押されて、後ろに倒れていった。口内を舐め尽くされ、指を擦り合わせるように絡め合う。下ろされた艶のある黒髪が頬を擽った。

「名前、いい?」

 吐息混じりの声が、耳に吹き込まれる。ちゅう、と耳の下の皮膚を吸われて、熱い息が漏れた。
 最近夏油と顔を合わせる時は外に出らず、こうして名前の家で2人でゆっくりと過ごし、身体を重ねることが多い。それに不満はもちろんない。疲労の色を濃くさせている夏油を恋人として癒したいと思うし、少しでも心休まる場になれればと名前自身そう望んでいる。
 でも、名前は心配だった。気温が上がっていくに連れて、夏油の顔色はどんどんと悪くなっていく。彼の目に差す影は徐々に濃くなり、澱んだ色を見せ始めていた。ボタンを掛け違えたような、今まで潤滑に回っていた歯車が少しずつ噛み合わなくなっていくような。そんな違和感が名前の胸の中に、夏油と名前の間に生じている。

「お願い。いいって、言って」

 何かを恐れるように、何かから逃れるように、夏油は名前の熱を求める。何処かに取り残された子供みたいに、名前に手を伸ばす。縋るように名前に絡みつく獰猛な瞳が、怖くて、可哀想で、でもやっぱり好きだった。

「いいよ。傑、だいすき」

 彼の首に手を回して、掬いあげるようにこちらから唇を奪った。するり、とまた少し傷が増えた彼の手が服の中に侵入してくる。
 花瓶に飾られた花が、まるで泣いてるみたいに花弁を1枚静かに落とした。
 




 それを見かけたのは本当に偶然だった。
 水溜まりに写った空は快晴だ。それを避けて、スーパーの袋を片手にのんびりと道を歩く。今日は豚バラが安かった。夕食は肉巻きに決定である。
 横断歩道で信号待ちをしていると、向かい側の歩道に見覚えのある白が目に入った。雨上がりの陽の光を浴びた、透き通るような白銀は目を引くほどの眩さがある。伸びた長身により更にそれは目立ち、作り物めいた顔立ちは、周りにいた女の子たちの心を容易く掻き乱す。現に、数名の女の子たちから声をかけられており、男は調子よく笑いながら、応対していた。なるほど、やっぱりモテるんだな。そう思いながら眺めていると、ふと丸いサングラス越しに目が合った気がした。あ、と思った時はもう遅い。横断歩道の信号は青に切り替わり、懸命に話しかけてくる女の子たちを無視して、男はずんずんとその大きな体で突っ切ってこちらにやってきた。なにこれ怖い。

「遅せぇよ。買い物にどれだけ時間かかってんの。待ってるこっちの身も考えろよな。で、今日の飯はなに?」
「え?何?突然どうしたの?」
「とりあえず話合わせろ」

 コソッと耳元で小さく話された内容に、名前はわけも分からず頷いた。彼の後を追いかけてきた背後の女の子たちの目がすごい。なにあれ、彼女?と突き刺さる視線が酷く恐ろしい。
 それに気を留めることなく、男は名前の手の中にあった袋をとりあげ、「行くぞ」と声をかける。名前は頭上に疑問符を並べながらも、とりあえずその背中を追いかけた。

「はあー、助かった。何処行ってもついてくるから、どうしたもんかと思ってたんだわ」
「へえ、モテるのも大変なんだね」
「まあな。俺、なんせグッドルッキングガイなもんで」
「まあ、カッコイイもんね」
「惚れんなよ。親友の女には流石に手は出さねえからな」
「惚れないよ。傑が一番カッコイイもん。悟くんは4番目ね」
「おい、2番目と3番目誰だよ」
「七海くんとキムタク」
「はあ?俺の方がどう見てもカッコイイだろ!キムタクは置いといて、七海に負けるのは意味わかんねえ!」
「教えてくれたパン屋さんの食パンがすごく美味しかった!」
「餌付けされてんじゃねーよ!」

 名前が偶然出会った相手。それは、夏油の親友である五条悟だった。彼とはあれから数少ないが、何度か顔を合わせたことがある。そのため、何だかんだで顔見知りのような関係となっていた。ちなみに七海も同様である。

「これから用事?」
「いや、その帰り。ついでだからこれ家まで運んでやるよ」
「やった!ありがとう!ちょっと重かったんだよね」
「傑といる時にこういうのは買えよ」

 五条は名前の数歩前をずんずんと歩いている。足が長いな、と思いながら、その後ろをせっせと追いかけた。
 五条は夏油と同じく、不思議な男だ。多分、夏油の隠していることを、五条も同じように抱えている。何も知らない名前に何も言わないし、何も求めてこない。あいつのどこが好きなの?お前といる時のあいつってどんな感じ?ってか、何処までやった?なんて、調子良くズケズケと首を突っ込んだことを尋ねてきては、夏油と口論を繰り広げ始める。飄々として何処か掴めないところは、夏油と何処か似ていた。

「ねえ、傑の様子、少しおかしく思ったりすることってない?」
「あ?突然なんだよ。浮気疑ってんの」
「いや、傑はそんな人じゃないし」
「俺が見る限りお前以外の女の影は見えねえよ。元々おかしい奴ではあるけど、そこは信用してやれば?」
「それ、傑も悟くんには言われたくないと思うよ。あと、別にそういうのじゃないから」
「はあ?じゃあ何?セックスの話?親友の下事情なんざ聞きたかねえよ。あいつ下手なの?」
「だから!違うってば!!悟くんのバカ!!」

 五条の的はずれな発言の数々に顔を真っ赤にして反論してると、彼はベッと舌を出した。この男、わざとである。名前の反応を見て、楽しんでいるのだ。夏油の言う通り性格はあまりよろしくないようだ。知ってたけど。

「何か変なこととかない?大丈夫?」
「変なことってなんだよ」
「それは分かんないけど!でも、悟くんなら、私の知らないことを知ってるし、きっと分かるだろうから」

 そう呟いて、名前は目を伏せた。湿気の交じった風が少し距離を開けて歩く二人の間を駆け抜けていく。
 夏油は何かに苦悩している。なにかに追い詰められている。だけど、名前にはそれを知ることも、分かち合うこともできない。それを、夏油が許さないからだ。その部分はおそらく夏油がずっと名前に隠し続けていたことに繋がっている。触れたくても、触れられない。声をかけたいけど、何をいえばいいのか分からない。名前は何も出来ない自分が悔しくて、情けなくて、あまりの無力さに酷く虚しさを覚えるのだ。
 でも、きっと、五条は違う。名前の知らぬ何かを一緒に共有している彼ならば、きっと。

「俺ってさ最強なわけ。傑もだけど」
「地元じゃ負け知らず的な?」
「地元どころじゃねえよ」

 たしかにな、と。初めて会った時、容赦なく男の股間を蹴りあげ再起不能にしていた夏油の姿を思い出して納得する。

「俺、なんでも出来んの。だから、お前に出来ないことも出来ちゃうわけよ」
「だから性格悪いとか言われるんだよ」
「お前、ちょいちょい痛いとこ突いてくるよな。傑の彼女じゃなかったら引っ叩いてたぜ。つまり、なんでも出来ちゃう最強の悟くんは、何でもしないようにしてるわけだ」
「うーん?すごい矛盾じゃない?」
「人には少しくらい欠点があった方がいいんだよ」
「? あるじゃん」
「おう、何純粋に疑問をうかべた目でこっち見てんだ。袋の中身、ここでぶち撒けてやるからな」
「ゴメンナサイ」
 
 五条はため息を着く。あー、だから、と面倒くさそうに言葉を連ねる姿を見て、この人も不器用なんだなと思った。

「お前は出来ることを出来るだけすりゃいいんだよ。何かあったら、俺が何とかしてやっから」
「……うん」

 そう言ってこちらを振り向く瞳は、夏の空みたいに澄んだ青色をしていた。何でも見通してしまいそうな、不思議な色だ。綺麗だな、とラムネの中に入っていたビー玉を思い出す。取りたくても取れなかった淡い思い出。彼の姿を追いかける女の子たちも同じ気持ちだったのだろう。

「……傑のこと、よろしくな」

 そう小さく零された言葉は、しっとりとした風により名前の耳に届けられた。名前はそれに頷く。彼の瞳はこちらを向いていないが、名前が首肯したのが分かったのか、手を雑に振った。慰め方、下手だなあ。名前はほんの少しだけ目元を緩めた。そして、何故か無性に夏油に会いたくてたまらなくなった。
 空は青い。浮かぶ雲は無垢なくらいに真っ白だ。彼と出会った夏がまたもう一度やってくる。