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針千本の味も知らないくせに

 名前は六道骸を探した。しかし、なかなか見つからなかった。友人に聞いても、保健室でボロボロになった不良に聞いても、教師に聞いても、皆首を横に振る。六道の所在を尋ねる名前を見る目には恐れの色を宿していた。そして、皆口を揃えて言う。「関わるのはやめたがいい」と。なんだろう、その反応。名前はその言葉の意味がさっぱりとわからず、首を横に倒した。
 10分程度の休み時間、お昼休み、放課後。やはり学校中に足を運ばせたが、六道の姿を見つけることは出来なかった。名前は肩を落とす。とぼとぼと夕日に染められた廊下を歩く。そろそろ帰ろうか、そう思った時。ふと、窓の外に目をとめた。
 黒曜中の校庭には小さな池がある。膝につくかつかないかくらいの水深で、池の中の水もそこまで綺麗ではない。水面にはアメンボが呑気に散歩を楽しんでいる。昔は綺麗だったらしいが、今じゃ全く手をつけられていないので、汚い大きな水溜りのようになっていた。勿体ない、と少し感じる。
 その池に何人かの女子生徒が集まっている。雰囲気としては、傍から見てもいいものではない。女子生徒の1人が鞄を池の上に逆さまにする。ちゃぽん、と。中に入っていた教科書達は水の中に吸い込まれていった。それを見て、女子生徒たちは腹を抱えて笑う。三つ編みの女子生徒だけは、それを呆然と眺めていた。それは、決していいとは思えぬ光景であった。気づけば、考える前に体は勝手に動いていた。窓に手をかけて、ガラリと勢いよく開ける。次の日は雨なのだろう。湿った香りが鼻をつく。それらを肺にいっぱい吸いこんで、わっと吐き出した。

「こぉらあああああああ!!!!何してんだァァァァァァァ!!」

「げっ!」

 名前の怒声が校内に大きく響き渡る。声を出しすぎてしまったらしい。喉がチクリと痛くなった。
 すると、高笑いしていた集団が名前の存在に気づいたのだろう。心底嫌そうな顔をしてこちらを見上げてくる。見覚えのある顔ぶれ。恐らく名前と同学年の生徒だ。

「うわ、あいつ苗字名前じゃん」
「誰それ」
「3年のヒーロー目指してるって変わり者だよ」
「面倒くさ!いこいこ!」

「逃げるなーーー!!池に落としたもの拾って綺麗にしてその子に謝罪してから家に帰れーーー!!」

 名前の叫びも虚しく、女子生徒の集団はケラケラと笑いながら去っていった。カラオケに行こうよーだなんて、呑気な話題が耳に入ってくる。池に投げ捨てたモノも、自分が傷つけた存在も、それを怒る名前のことも、すっかりと頭から抜け落ちているらしい。その後ろ姿を見ながら、名前はぎゅうっと自身の手を強く握った。
 視線を元に戻す。池の傍には三つ編みの女子生徒だけが取り残されていた。突っ立ったままじっと池を見つめている。名前のことも、去っていった加害者たちにも目を向けず、ただひたすらに耐えるように、身を守るかのように、そこに立っていた。その姿は見ていて、とても心苦しさを感じさせる。名前は弾かれたかのようにその場から駆けだした。
 
 とん、とん、とん、と。階段を何段か飛ばしながら降りていく。途中、誰かにぶつかりそうになったが、何とか上手く器用に避けて、そのまま階段をジャンプした。

「何すんら!危ないびょん!!」
「ごめんなさいー!!」

 背後から叱責を受けながらも、名前は急いで階段を駆け下りていく。高いところから飛んだので、足の裏がじんと痺れて痛かった。それでも、名前は必死に足を動かした。
 靴箱まで行って、履き潰してボロくなったシューズに足を突っ込む。踵を踏んだ不格好な状態で、名前はそのまま走り出した。
 池に辿り着くと、やはりそこには池に放り出された教科書達を静かに見つめる三つ編みの女子生徒だけがいた。先程と違うところといえば、彼女が池の傍にへたりこんでいたところくらいだろうか。その後ろ姿はプルプルと弱々しく震えており、土を握る白い指が汚れているのが勿体なく思えた。名前は少し離れたところに落ちていた空っぽの鞄を拾い上げ、池に近づく。足音で気づいたのか、三つ編みの女子生徒はこちらを振り返る。眼鏡の奥底にある瞳は潤んでいて、瞬きをした瞬間、ボロリと大きな雫が零れ落ちた。

「大丈夫?」
「……」

 三つ編みの女子生徒は唇を噛み締め、顔を俯かせてしまった。大丈夫、とは軽率な問い掛けだったかもしれない。見る限り大丈夫ではないのだから。
 名前は靴と靴下を脱ぐ。そして、そのまま池の中に足を突っ込んで行った。泥濘に足をとられそうになりながらも、冷たい水の中を歩く。目を凝らしてみても、汚い水のせいで足元は全く見えない。手を突っ込んで、手探りで教科書達を探す。ぱしゃりと小さな水飛沫が上がる。それは、名前の制服を少し汚したが、名前はそれを全く気にする素振りを見せなかった。

「何をしているんですか……?」
「池の掃除!」
「掃除?」
「うん、この池って昔は綺麗だったんだって!掃除したら綺麗になるかなあって思ったんだ!」

 ニコニコと笑いながら話す名前を、三つ編みの女子生徒は不可解そうに見つめる。まるで、宇宙人でも見るかのような瞳。でも、流れていた涙はピタリと止まっていた。それを見て、名前は再び池に手を入れる。
 すると、硬い感触が手に当たる。もしやと思い、それを引っ張りあげれば、数学の教科書が顔を出した。他のものも近くにあるだろう。その推測は当たったのか、名前はノートや筆箱など次々に拾い上げていった。泥で汚れているが、水で洗い流せば何とかなるかもしれない。それらを手に抱えて、三つ編みの女子生徒の前に持ってくる。

「これで全部かな?」

 三つ編みの女子生徒は頷く。ぽかんとした顔で、名前を見上げていた。

「なんで、こんなにも汚れながら…」
「ヒーローはね、困っている人を見つけたら助けるもんなの!それに理由なんてないんだよ!」
「……変な人ですね」
「よく言われる!」

 三つ編みの女子生徒は教科書たちを受け取り、静かに笑った。笑うことに慣れていないような、ぎこちない笑みだった。不器用で、そして愛らしい。

「ありがとうございます」
「へへ!また何かあったら呼んでよ!すぐに助けに行くからさ!」

 なんたって、ヒーローだから!





 バシャバシャと手と足を洗う。汚れは取れた。しかし、匂いが少し残っている。ドブっぽいそれは簡単には全部とれそうにない。家に帰れば母親の雷が落ちることは必須だろう。憂鬱なため息をついて、ハンカチで手を拭く。
 すると、ふと視界が暗くなった。名前の身体を黒い影がすっぽりと覆う。おや、と思いながら顔を上げると、そこには今日一日中探し回っていた六道の姿があった。

「あーーーーー!!六道くん!!」
「まるで幽霊でも見たかのような反応ですね」

 六道は名前のオーバーなリアクションにクスクスと静かに笑う。頬にかかった藍色の髪が静かに揺れた。白い肌が夕焼けの赤色に染められていて、なんだかいつもと違う雰囲気を纏っているように見えた。

「だって!!今日、何処にいたの!!探してたんだよ!!」
「ええ、知ってますよ」
「ん!?知ってたって?」
「君があまりにも熱烈に僕のことを追いかけてくれるものだから、つい意地悪をしてみたくなったんです」
「つまり、気づいてて避けてたってこと!?酷い!!」
「ええ、すいませんでした。でも、追いかけられると、逃げたくなるでしょう?」
「ええー!そういうもんかな?私、追いかけられたらちゃんと立ち止まって追いつくの待つけどなあ」
「君はそうでしょうね。いや、そのままがいいと言うべきか」

 六道は柔らかく目を細めながら言う。なんだろうこれ。褒められてるのかな。その真意は分からなかったが、名前は前向きな人間なので、「それほどでもー!えへへ!」と照れておいた。

「それにしても、酷い匂いだ」
「え?」

 六道は名前の近くに顔を寄せる。その端正な顔は名前の首あたりで止まり、すんと鼻を鳴らした。それと同時に、名前の鼻を毒のような甘さと、ピリッとした辛みのある香りが刺激した。彼の匂いだ。
 顔を上げた六道の顔はなんとも言えぬ渋い表情を見せていた。そして、そこで名前はようやく思い当たる。彼は池の匂いのことを言っているのだろう。

「そ、そんなにするかな?」
「そこまで酷くはありませんよ。ただ、僕はそういうのに敏感なんです」
「何回も洗っているんだけどなかなか取れなくてさあ」
「制服に染み付いているのでは?」
「なるほど」

 六道の言葉通り、袖辺りに鼻を押し付けてみると、そこから異臭が感じ取れた。うっ、と思わず声をあげれば、六道は眉尻を下げ、さも困ったかのような顔を見せた。

「相変わらず甘い」
「へ?」
「虐められていた生徒を助けたのでしょう」

 どうやら六道は名前が池から教科書達を拾い上げていたのを見ていたらしい。なんだか気恥ずかしく思えて、名前は照れたようにはにかんだ。

「ところで、なぜ僕を探していたのですか?」
「あ!そうだった!ちょーっと待ってね!」

 名前は慌ててその場を離れ、近くに置いてあったカバンの中を漁る。そこから目当てのものを取り出すと、それをじゃーん!と六道に手渡した。

「なんですか、これ」
「チョコレートだよ!昨日助けてくれた時のお礼!」
「ちょこれーと」

 彼に手渡したのは、先日お使いでおやつとして買っておいた板チョコだ。舌がとろけるくらいに甘いミルクチョコレート。不良から助けてくれたお礼として、名前はそれを渡すために今日はずっと六道の姿を探していたのだ。
 六道は渡されたチョコレートをまるで初めて見るかのような眼差しで見つめる。この年代なら誰だって食べたことはあるだろうに、その反応は少し不思議だった。

「チョコ、食べたことないの?」
「ーーー……いえ、あまり機会がなくて」
「もしかして、甘いの嫌い?」
「いえ、特には」
「それはよかった!!よかった!!」

 苦手だったら逆に嫌がらせになるところであった。名前は手をバンザーイと上げて喜ぶ。六道はというとまるで未知との遭遇を果たしたかのように、チョコを片手に目をぱちぱちと瞬きさせるしか出来ずにいた。

「美味しいからぜひ食べてね!!」

 ニコニコ笑顔の名前の後押しに、六道はチョコの包装をガサガサと剥がす。甘ったるい香りと共にチョコレートが姿を現す。それを恐る恐ると口に運び、パキン、と小気味のいい音を出した。

「美味しい?」
「…………」

 カッと六道の目が大きく見開く。これ美味しいのか、不味いのか、どちらなのだろうと、名前は少し不安を覚えた。もぐもぐと白い頬が動くのを、名前は妙に緊張しながらも見つめる。その後、すぐに六道がパカッと口を開けて、チョコに齧り付いた。もぐもぐ、もぐもぐ。名前の問いに答えることもなく、ひたすらにチョコを咀嚼している。だが、それがきっと答えなのだろう。

「これは何処に売っているんですか?」
「普通にどこにもあるよん!コンビニとかスーパーとか」
「いくらで?」
「100円くらいかなあ」
「そんな手頃に…この美味しさを……?」

 この時の六道の反応は正しく、未知との遭遇を果たした小さな子供のようだった。いつもならば大人びた不思議な雰囲気を持っているのに、この時だけは何故か六道が年相応に見えて、可愛く思えた。
 名前は思わずふふっと笑う。ここまで喜んで貰えるとは思ってもいなかったので、胸がムズムズとして擽ったい。もっと喜ばせたいな、なんてそんなことを思ってしまった。

「六道くん、それなら今度チョコパフェ食べに行こうよ。そっちも美味しいよ」
「チョコパフェ」
「うん。チョコのソースとブラウニーがトッピングされた、あまーいパフェ。きっと六道くんも気に入るよ」
「そうですか。君が言うなら仕方ないですね。付き合ってあげなくもありません」
「やった!じゃあ、約束ね!」
 
 名前は嬉しくって、小指を差し出す。六道はそれを訝しげに、立てられたそれを見つめていた。チョコを握ったまま微動だにしない六道に、名前はこてりと首を傾げる。しかし、六道も要領を得ない顔つきをしていた。

「なんですかこれ。喧嘩を売っているんですか」
「六道くん、指切りだよ。ほら、よく見て。中指じゃなくて、小指でしょ」
「指切り?」
「知らないの?約束を守るための、うーん、儀式?みたいなものだよ。ほら、指貸して」
 
 名前は六道の小指と自身の指を絡ませる。触れた瞬間ビクリと震えたのが、小指越しに伝わった。

「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます、指切った」
「……約束を果たせなかったら、針を1000本飲むってことですか。随分と執拗なことだ。何がなんでも行かなくてはなりませんね」
「いや、そこまで重くないからね!?っていうか、六道くん、実はチョコパフェ気になってるでしょ!!」
「違います。チョコパフェと針千本の二択を迫られれば、チョコパフェの方がいいでしょう」
「あはは!素直じゃないなあ!」

 絡めた小指を解く。六道はそれを名残惜しげに見つめていた。そんなにチョコパフェ食べたいのだろうか。名前は思わず噴き出してしまった。
 
「約束だからね、六道くん。覚えててよ」

 六道は先程まで絡めていた小指をただ眺めたあと、拳をぎゅっと握りしめた。そして、特徴的な笑い声を漏らした後、目元を優しく緩ませた。
 ふわりと、風が舞う。一瞬だけ隠された右目が見えた。その瞳だけがやけに赤く見えたのは、夕日のせいだろうか。