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幻の君

「ふふふーん、ふんふんふーん」

 鼻歌を奏でながら、名前はバケツとゴミ袋、ゴム手袋を手にして、池に向かう。今日も今日とて池の掃除だ。つい先程まで水泳部の部室の壊れた電気を治すのを手伝っていたのだ。そのため、いつもよりも日課の一つである池の掃除に取り掛かる時間が遅れてしまった。お礼にと水泳部の部長から貰ったレモンキャンディーを舌で転がしながら、名前は早足で歩く。
 すると、そこには先客がいた。

「うえ!?綺羅ちゃん!?」
「あ、名前!」

 そこにいたのは、つい先日気まずい別れ方をした友人であった。長い金髪は頭の上にちょこんと団子の形で結われていた。ダサいと文句を言っていた体育服姿で、彼女は池の中に立っている。

「ここまじ臭くない?」
「え、え、え、え!?どうしてここに!?」
「ビックリしすぎでしょ。ケジメだよ、ケジメ」

 綺羅は肩を竦めて笑みを浮かべた。池の中に突っ込んでいた指には綺麗なネイルが引っ付いていたはずなのに、それも剥がれかけている。

「これで許して貰えるとは思ってないけどさ、何もしないのとはまた別って言うかー。まあ、自己満といえば自己満だけど」
「綺羅ちゃん……」
「ま、ここ綺麗にしたら謝ろうと思ってさ!だから、私もここの掃除手伝うよ」

 そう言う綺羅の瞳は真っ直ぐと名前を射抜いた。前に見せた寂しげな、傷ついた色は見えない。いつもと変わらぬ強気な笑みに、名前は顔色を明るくさせた。

「うん、ありがとう!!よーし!!一緒に頑張ろ!!」





「はあー、臭いし腰痛いしきついし飽きてきた。なんか面白い話してよー名前」
「突然の無茶ぶり!」

 一旦休憩をしようと、2人は池を出てから地面に座り込む。綺羅は足の爪にもネイルを施していたらしい。それもほぼ色が落ちており、「最悪ー」と綺羅は言葉の割にはどうでもいいみたいに呟いていた。

「面白いって、例えば?」
「女の子同士なら話は一択っしょ!恋バナだよ!恋バナ!」
「コイバナ……」

 きゃっきゃとはしゃいだように笑う綺羅に、名前はうーんと首を傾げた。こい。鯉ではなく、恋。今多感な時期であるこの年代ならば、何より1番に盛り上がる話のタネであろう。そういえば、前も好きな人はいないのかと、泣き腫らした目で彼女から尋ねられたな、と名前は思い出した。

「とは言っても、名前は好きな人いないんだっけ?」
「うん!ヒーローだからね!」
「ん?意味がわからんぞ?」

 何せ名前は恋するよりも、ヒーローになるためにみんなを助ける方を優先していた。ヒーローはみんなに平等に優しく、平等に手を差し出すものだ。その中で特別な誰かを作ろうと思ったことは無かった。名前にとっての特別は、いつだって日曜日の朝テレビに映るヒーローたちなのだから。

「ほら、よく話したり、ふとした時に思い出したしする男っていないの?最近仲良くなった男とかさ!」
「男……」

 そう言われて、脳裏に浮かんだのは不敵に笑う彼だった。クフフ、と妖艶に笑う声が頭から離れない。
 六道骸。最近顔を合わせれば言葉を交わすようになった仲だ。友達と呼んでもいいのだろうか。名前はそう位置づけたいのだけれど、それにしては遠い存在な気もする。何せ名前が彼について知ることは少ない。甘いものが好き、犬と千種という友人がいる、綺麗な顔をしている、意地悪で物言いが難しい、でも多分優しい。名前が知る六道はほんの一部に過ぎない。たまにふと思い出したかのように現れては、姿を消す。ここにいるけど、いる気がしない。彼と顔を合わせたあとの名前は短い白昼夢を見ていたかのような心地になるのだ。
 だからだろうか。彼のことは気になるし、もっと知りたいとも思ってしまう。

「うーーーん、六道くん、とか」

 彼への感情は複雑怪奇すぎて言葉に表すのは難しい。なので、唸りながら、何とか彼の名を出してみた。
 すると、綺羅は「は?」と間抜けな声を上げ、その顔を白くさせた。

「マジで言ってんの?ってか、六道と知り合いなの?」
「え、うん。何度か話したことあるよ」
「嘘でしょ。アンタ、変わってると思ってたけど、本当に変人の中の変人よね」
「私でもわかるぞ!これはバカにされてるな!」
「いや、感心してる」
「そ、そうなの?えへへー」

 照れくさげに笑うと、褒めてませんと厳しい一言が返ってきた。それにぶすくれていると、綺羅は眉間を狭くして、何か言いたげにしていた。しかし、それを口にしてもいいのか戸惑っているようで、口は開閉を繰り返すだけとなっている。その表情から口から飛び出そうとしている言葉はきっと名前にとっていいものでは無いのだろうな、と予測した。

「あの、言い難いけどさー、あんまり関わんないがいいと思うよ。恋はスリルとも言うけど、あいつはスリルが過ぎてる。命がいくつあっても足んないよ」
「大袈裟だよ!確かに六道くんって怖い噂ばかりだし、皆はおっかなびっくりな反応しか見せないけど、話すと結構いい人なんだよ!口は悪いけど!」
「それ、本当に六道なの?」
「六道くんだよ!!」

 綺羅は疑心に満ちた目を向けてくるが、名前は強くそれに反論した。名前の話す六道像に信じられないと言わんばかりの反応だ。名前はますます納得いかなくて、ぷっくりと頬を膨らませた。

「だって、普通は話せる段階までいかないでしょ。常人じゃない雰囲気してるし、あの目に睨まれたら生きた心地しないしー」
「確かに!」

 六道は常人離れした美しい顔をした男だ。人を惹きつけるのと同時に畏怖の念を感じさせる、不思議な魅力を持っている。美人は怒らせると怖いというし、彼に睨まれたらこちらの非の有無に関わらず酷くショックを受けてしまうかもしれない。

「うちも実際は目にしたことないけど、あれは普通の中学生ではないってもっぱら噂だし、誰も六道には関わり持たないようにしてるよ」
「まあ、中学生には見えないよね」

 六道は中学生にしては大人びているように見える。幼さを残す名前とは違って、数々の修羅場を掻い潜ってきたかのような威厳。中学生の出せる貫禄ではない。
 そして、彼は話す言葉も難しい。ヒーローを目指すのをやめろ、という簡潔な言葉を遠回しに優しく告げてくる大人たちと同じように、彼の口から紡がれる言葉の羅列は決して優しいものばかりでなく、理解が遠いものが多い。名前はそれらを、こう言いたいのかな、というニュアンスで受け取って返しているだけだ。それが合っているかなんて分からない。

「それに、六道はーーー」
「ねえ、綺羅ちゃん」
「……なーに?名前」
「もういいよ。私、それでも六道くんとは仲良くしていきたいから」

 そうハッキリと断言すると、綺羅はなんとも言えぬ顔を見せた。何故、という疑問。可哀想なものを見る目。心配そうに下げられた眉尻。桃色のグロスの塗られた唇は小さく震えていた。

「名前ってば、本当にわからず屋。ヒーローだからって、六道にまで手を伸ばさなくてもいいのに」

 そして、諦めたようにため息をつかれた。これはもうどうしようもないと判断されたらしい。納得はしていないみたいだが。
 とはいえ、彼女が名前の身を案じてくれていることは理解している。しかし、綺羅が、周囲のみんなが、どれだけ六道のことを話しても、名前の中ではしっくりと来ないのだ。名前の中の六道とかけ離れすぎていて、同一とは思えない。まるで別人のような響きで名前の脳に届いてしまう。

「ちゃーんと六道くんの顔みて話してる?人の1人や2人殺してきましたって顔してるよ」
「綺羅ちゃん、それは失礼すぎるのでは?」
「ほら、ちゃーんと見て、ほら」

 そう言って、綺羅は自身の携帯電話を名前にぐいぐいと押し付けてくる。近すぎて焦点が合わず逆に見えない。名前は額にぶつけられた携帯電話を少し離しながら、その画面を覗き込む。
 そして、それを見た瞬間、名前は息を詰まらせた。ぐっと目は見開き、息をするのも忘れる。

「ねえ、名前の言う六道って本当にこの人なの?別人なんじゃないの?」

 彼女の言葉に名前はなんの反応を示すことができなかった。肯定も、否定も、何も出来なかったのだ。
 名前に見せられた写真。そこには、学生帽を被った1人の男がいた。背丈は高く、体格も大きい。帽子の下から覗く鋭い眼光はまるで肉食獣のようで、諦めなのか、罪悪なのか、悲観なのか、酷く暗く濁っているように見えた。まるで手負いのクマを目の当たりにしているような威圧だ。
 しかし、だ。この写真の男と、名前の記憶の六道骸は全くもって一致しなかった。完全なる別人。全くの別個体だ。

「綺羅ちゃん、この人、本当に六道くん?」
「そうだよ。近づいちゃいけない人ってことで今この黒曜中にこの写真出回ってるしね。しかも、六道にボコボコにされた不良もこの人で間違いないって証言付き!」

 綺羅が嘘をついているようには見えない。彼は間違いなく六道骸なのだろう。名前はそれを認識して、すぐ背筋が冷えた。
 記憶の中の六道が薄れていく。彼はどんな顔をしていた。どんな声をしていた。どう話しかけてくれていた。彼は、彼は、彼は。

「じゃあ、彼は、一体誰なの?」

 名前に六道骸だと名乗っていたあの男は。子供みたいな顔をしてチョコを食べていたあの男は。分かりにくい言葉で名前を惑わし、その様を楽しげに見つめていたあの男は。意地悪なことばかり言うくせに、何だかんだで優しさを感じさせるあの男は。

 彼は、一体何者なのだろうか。