引き分けドロー | ナノ
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最後の望み  





「だーかーら俺んとこに鬼がいんだよ」

 音柱である宇髄と共に花炭治郎と善逸、伊之助の3人は花街を調査していた。宇髄は元々怪しいと踏んでいた店に3人の嫁を潜入させたらしいが、定期連絡が途絶えたとのことだった。そのため、炭治郎たち3人も女装し、それぞれの店に潜り込むこととなったのだった。
 そして、定期連絡を行うために人目につきにくい屋根の上に集まったのだが、善逸と宇髄がまだ来ていない様子で、伊之助はというといち早く得た情報を炭治郎に共有していた。しかし、伊之助の説明はどうも感覚的すぎるところがあり(それは炭治郎もだが)、こんな感じの鬼がいた!と身振り手振りで教えてくれるが、炭治郎からしたらさっぱりであった。それに、まだ人が集まっていない。どうせなら皆が集まった後に情報をまとめた方が分かりやすいと思った炭治郎は、伊之助を止めるが、彼はなかなか止まらない。どうやら、鬼を逃がしたことが相当悔しかったらしい。

「そろそろ宇髄さんと善逸、定期連絡に来ると思うから」
「こうなんだよ。俺には分かってんだよ」
「うんうん…」

「善逸は来ない」

 すると、突然声が聞こえた。慌ててその声の主の方に振り向けば、いつの間にか宇髄がそこにいた。音も気配もなく現れたのは、さすが柱と言うべきか。だが、それよりも気になるのは、彼の言葉だ。善逸が来ないとは果たしてどういう事なのか。

「善逸が来ないってどういうことですか?」
「お前たちには悪いことをしたと思っている」

 くん、と鼻を鳴らす。人工的なものとは違う、花の甘い香りが彼から漂っていた。

「俺は嫁を助けたいがためにいくつもの判断を間違えた。善逸は今行方知れずだ。昨夜から連絡が途絶えている。お前らはもう花街から出ろ。階級が低すぎる。ここにいる鬼が上弦だった場合対処できない」

 彼は胸元から1枚の紙を取りだし、そう呟いた。花の香りはその紙から感じ取れた。

「消息を絶ったものは死んだと見なす。後は俺一人で動く」
「いいえ宇髄さん、俺たちは……!!」
「恥じるな。生きてる奴が勝ちなんだ」

 紙には笑顔の花を咲かせた一人の女性の絵が描かれていた。それを見つめる宇髄の目は、柔らかく細められている。そして、ぎゅうっとその目を1度閉じ、紙を胸元に戻した。

「機会を見誤るんじゃない……こいつみたいにな」

 そう言葉を残して、宇髄は姿を消した。炭治郎と伊之助の元に残されたのは、花の甘い香りだけだった。優しくて、悲しくて、何処か切ない。宇髄と、その紙からは、そんな匂いがした。
 あの紙に描かれていたのは、宇髄の言っていた3人の嫁の1人だろうか。だが、それは違いそうだと炭治郎は内心断じた。3人の嫁の話をする時と、あの紙を見つめる時の匂いは、どこか似ているようで違うのだ。だが、きっと大事な人なのだろうと、炭治郎は匂いでそう感じとった。





 苦しい。痛い。毒が体を駆け回る。雛鶴は意識がぼんやりとしていくのを感じた。死ぬかもしれない。その可能性が頭を過ぎって、恐怖を覚えた。昔は死ぬことなんて怖くなかったのに、命を賭けることなんて当たり前だったのに、何故だろう。
 雛鶴は京極屋のお店に潜入していた。蕨姫花魁が鬼だと気づいたが、向こう側からも怪しまれたため身動きが取れなくなった。毒を飲み病のフリして何とか店を出ようとしたが、別れ際に蕨姫花魁から帯を渡された。雛鶴の監視、そしてなにかした場合即座に始末できるように。そのため、雛鶴は切見世から動くことが出来ずに、必死に耐えていた。
 だが、それも限界に近い。もう無理かもしれない。鬼殺隊、しかも柱に上り詰めた宇髄のサポートに回る時点で死は覚悟していた。4人のうち誰かが欠けるかもしれない。その可能性を考えるようになったのは、1人の友人の死からである。
 その友人、名前は、いつも笑顔で、忍の世界しか知らぬ雛鶴や宇髄たちに、外側の綺麗な世界を見せてくれた。ありふれた日々の幸せを気づかせてくれる、見つけてくれる。幸福の象徴みたいな人だった。描いてある絵は雛鶴には難題すぎて読み解くことはできなかったけれど、彼女の口から語られる内容と、花が咲いたような笑みを見れば、十分だった。

「今度、みんなで一緒に行こうよ」

 そうやって彼女は当たり前みたいに、雛鶴たちの世界を拓いてくれたのだ。それが、雛鶴たちにとってどれだけ特別な事だったか。名前はきっと知らない。知らないまま、いなくなってしまった。
 なんの言葉を交わせずに別れてしまったあの日。もう少し早くお茶を持ってきていれば。「直ぐに出るからいいよー!」という言葉に従い、もう少し彼女のそばにいられたら。なにか違っていたのだろうか。雛鶴はそんな終わりのない思考の海に身を委ねることがしばしばあった。おかしなものだ。死が身近な世界に前まではいたというのに。
 宇髄が彼女の事を特別に想っていた事だって知っている。なんせ、雛鶴は彼の妻なのだから、お見通しなのだ。感情のベクトルは違くとも、宇髄は名前のことを雛鶴たち同様大事にしていた。それが、雛鶴は嬉しかった。忍として不要だと言われていた感情が宇髄の胸に根付いていること。1人の男として普通であれば誰もが抱くであろう想いが生まれたこと。それを感じる度に、彼が陽のもとを歩ける普通の人間に近づけた気がしたのだ。
 この苦しみが終われば、名前の元に行けるのだろうか。先に行って、彼女と共にのんびりと一緒に絵を描きながら、宇髄や他の嫁たちを待つのも悪くは無いかもしれない。普通の人間として生きようと4人で誓った約束を守れないのは残念だけれど、誰かが欠けても恨みっこなしだと告げたのは雛鶴自身だ。
 そう、目を閉ざした時。ふわりと花の甘い香りがした。

「ダメだよ、雛鶴ちゃん」

 懐かしい声が聞こえた気がした。

「諦めないで。宇髄さん、雛鶴ちゃんのために頑張ってるから。もう少しで雛鶴ちゃんのこと助けてくれるから」

 宇髄の言葉が蘇る。自分の命の事だけを考えろと。お前たちが大事なんだと。そう言ってくれた。

「お願い。あの人を悲しませないで。雛鶴ちゃん、貴方は生きて。まだこっちに来ちゃダメ」

 今にも泣き出しそうな懇願だった。そう言われたら、雛鶴はそれに従うしか無くなってしまう。ずるい人だと、内心責めた。

「うん、ごめんね」

 すうっと目を開いた。霞んだ視界の中にぼんやりとした人影が見える。

「雛鶴、大丈夫か?しっかりしろ。雛鶴、雛鶴」

 何よりも、誰よりも、愛おしい声が聞こえてきて。雛鶴の意識は覚醒していく。気づけば、雛鶴の動きを縛る帯は外れていた。すると、徐々に視界もクリアになっていく。

「天元様……」
「雛鶴、無事か!」

 雛鶴を優しく抱えて、必死に声をかけてくる彼の名を呼ぶと、ほっと上から安堵の息が落ちてきた。宇髄の温もりを感じ、雛鶴も彼と同じように安心できた。匂い、体温、肌触り、体格、声の質、ちょっとした表情の動き。間違いない。雛鶴の幻覚でもなんでもなく、彼は正真正銘宇髄天元だ。
 連絡が途絶えた雛鶴を心配し、探しに来てくれたのだろう。彼は彼の言葉通りに、雛鶴たちを大事にしてくれているのだ。助けられた。まだ生きている。先程まで死を覚悟していたというのに、生きていることに、まだこの人のそばにいられることに、どうしようもない喜びを感じてしまっていた。

「これを飲め」

 宇髄から差し出された解毒薬を口に含み、飲み込む。どこか遠いところから、大きな音が聞こえてきた。雛鶴の予感では、あの鬼が暴れている。とんでもなく嫌な予感だ。

「天元様、私には構わずもう行ってくださいませ。先程の声が聞こえましたでしょう。鬼が暴れています」
「本当に大丈夫だな」
「はい……お役に立てず申し訳ありません」
「お前はもう何もしなくていい。解毒薬が効いたら吉原を出ろ。わかったな」
 
 そう言われ、ぎゅっと強く抱きしめられる。相当心配をかけた。不安にさせたに違いない。この人の手から零れ落ちた命を、雛鶴はよく知っている。その中に自身が入らなくてよかったと。彼をこれ以上苦しめずに済んだことに心の底から安堵した。

「……名前の声が聞こえたのです」

 その言葉に、雛鶴を抱きしめる腕が小さく震えた。それを、彼女は見逃さなかった。

「死ぬなと。生きてくれと。追い返されました。ひどいものです。自分は散々人のことを置いていったというのに」

 腕の拘束が緩められ、雛鶴は宇髄を見上げる。そこには、雛鶴と同じように、傷ついた顔をして笑う一人の男の姿があった。

「ああ、全くだな」

 



 宇髄が睨んでいた通り吉原には鬼がいた。上弦の陸。鬼との戦闘は苦戦を強いられ、宇髄は手と目をひとつずつ失った。もう戦場には立てないだろう。それでも、鬼を倒せた。連れてきた若手の鬼殺隊隊員と共に。建物は壊れ、土地は抉れ、傷ついた者、もう戻って来れない者もいる。無くしたものは多い。だけれど、100年近く崩れることのなかった均衡が、上弦の鬼を倒したことによって揺らぎ始めた。これは、兆しでもあった。

 無事であった3人の嫁の肩を借りながら、宇髄は歩く。隠たちからはあまりの頑丈さにドン引きされていたが、宇髄からしたら知ったこっちゃない。切られた腕と目は痛みを通り越して麻痺しているし、禰豆子の血鬼術により毒がなくなったとはいえ、やはり意識はぼうっとする。イライラしながら歩いていると、「ちょっと!困ります!」という慌ただしい声が聞こえてきた。
 なんだとそちらに視線を向けると、ボロボロな上質な着物を身にまとった1人の遊女がこちらに向かって歩いてきていた。瓦礫に着物の裾が引っかかっても、それを引きちぎりただ前に進む。隠に止められても、それを押しのけてでも足を動かす。止まる気配がない。その力強い真っ直ぐとした目を、宇髄は何処かで見たことがあるような気がした。

「ちょっとちょっと!なんなんですかぁ!?」

 須磨が目の前にまで迫り来る遊女にそう吠える。宇髄もこちらにやって来る遊女を注意深く見つめてみたが、その手に1枚の紙が握られているのに気づいた。

「あの、ここから逃げる途中で拾ったんですけれど」

 彼女はその紙を広げて、宇髄に見せる。そこには、名前が可憐に笑っていた。いつもならば宇髄の胸元にしっかりと仕舞われているはずの紙だ。それが何故か彼女の手の中にある。まきをに視線を送ると、それだけで意図を理解したのか、まきをは宇髄の胸元を漁った。しかし、そこには、何も無かった。彼女が持つ紙は、間違いなく宇髄が持っていた名前の絵なのだろう。先程の鬼との戦闘により落としてしまったのかもしれない。とんだ失態だと、内心舌打ちを零した。

「ああ。いかにもこれは派手に俺のだ。よく分かったな」
「こんな所にあの子がいるはずがありません。あの子を知るものだって来るはずがない。だから、何かしらの事情でここにやって来て、あの恐ろしい化け物を倒してくれたあなた方なら知っているのではないかと思ったのです」

 紙を握る手はぶるぶると震えている。そこで、宇髄はふと疑問に思った。何故、この紙に描かれている名前のことを知ったような口ぶりで話すのか。まるで知り合いのようではないか。もしかして、とある可能性にいきつき、宇髄は唾を飲み込む。

「……お前、なんでこいつのことを」
「昔から知ってます。親友だったんです、彼女とは」

 そう言って、悲しげに目を伏せる遊女はよくよく見れば大層美しい見目をしていた。大きな瞳、長いまつ毛、陶器のような白い肌、男であれば見るだけで胸をざわつかせる魅力を持っている。遊女の中でも恐らく位が高いであろうことは予測できた。そこで、ふと宇髄は名前の言葉が脳裏を過る。

"仲良くしてた親友がいたんだ。誰もが振り返る美人だったんだよ"

「まさか、お前、みのるか……?」

 宇髄の言葉に、遊女は顔をくしゃりと歪めて頷く。今にも泣きそうな顔。いや、もう既に泣いている。名前と泣き方が似ているな、と今の状況から少し見当違いなことを感じた。

「やっぱりこの絵は名前なんですね」

 みのるはぎゅうっと紙を抱きしめて、涙を零しながら笑った。それを見た宇髄は柔らかく目を細めた。
 彼女が、名前の親友であるみのるなのだ。名前が鬼殺隊に入るきっかけとなった人物。そして、名前が最後まで気にかけ、無事と平穏を祈り続けていた存在。それが今、目の前にいる。どんな因果か分からないが、恐らく宇髄が最後の戦場となる場所で、名前と縁深い人物と出会えるとは思ってもいなかった。運命とは本当に不思議なものだ。

「名前はお前のことを気にしていた。なぜこんな所にいる?親戚の家にいたんじゃなかったのか」
「おっしゃる通りです。ですが、その親戚の人達にあまり歓迎されてなかったみたいで。ここにすぐに売られたんです」
「なるほどな。だから、なかなか所在がわからなかったわけだ」
「ずっと気にしてくれていたんですね。名前、優しいですもの」

 そう語る口はとても優しい音をしていた。懐かしむように、慈しむように。そして、何の陰りもない綺麗な眼が宇髄をじっと見上げる。期待するように、でも少し恐ろしげに。

「あの、名前は今どこにいるんですか?」
「…………」
「あの子のことですから、ずっと絵を描いているんでしょうね。また見てみたいものです、あの子の描いた絵を」
「名前、は…………」

 宇髄はそこまで言葉にしてから、口を閉ざした。言ってもいいのだろうか。言わない方がいいんじゃないのか。この美しい瞳を濁してしまうくらいならば、知らない方が幸せなんじゃないのか。名前は最後の最後までみのるの幸福を望んでいた。宇髄はできるならばその望みを叶えてやりたいと思っている。それが、例え作られた仮初の幸せだとしても。
 
「どこか遠いところで下手くそな絵を派手に描いてんじゃねえか」

 目は合わせられなかった。ただ幸せそうに笑う彼女の絵をじっと見つめていた。そう言うと、みのるは目を丸くして、顔を伏せた。ぽつりと呟いた言葉は聞こえなかった。だが、宇髄には分かる。彼女は賢い女だ。

「無理を承知でお願いがあります。この絵を、私に譲って貰えないでしょうか」
「え!」

 みのるは頭を下げる。それに、声を上げたのは宇髄ではなく、彼の体を支える嫁たちであった。

「それはできかねます。天元様はこの絵をとても大切にされていますから」

 まきをは静かにそう反論した。他の2人の嫁も頷いている。名前が亡くなった後の宇髄をずっと見つめ続けていた3人は、宇髄にとって名前の存在がどれだけ大きいか理解していた。だからこそ、お守りのように常に胸ポケットの中に仕舞っている名前の絵を簡単に渡すことなんてできなかった。
 だが、みのるは下げた頭を上げなかった。小さく、か細い声で、「お願いします」と言っている。そんな姿を見て、3人は困ったように眉尻を下げてしまっていた。3人は別にみのるを傷つけたいわけでも、拒絶したい訳でもないのだ。

「ひとつ聞こう。何故、そこまでして名前の絵を求める?」
「……家族をなくした私にとって、名前は唯一の心の拠り所です。家族が死んだ時も、ここに売られた時も、初めて好きでもない人と体を繋げた時も、どんな理不尽な目にあっても、どんなに恐ろしい目にあっても、彼女との思い出が私を立ち上がらせてくれたんです。名前の絵でも良い。なんでもいいんです。欠片1つだっていい。それさえあれば、私はこれからも挫けずに真っ直ぐと生きていける。そう思うのです」

 宇髄の問いにみのるはゆっくりと顔を上げながら答える。その目はどこか遠い場所を見つめていた。昔のこと、宇髄の知らぬ過去のことを話す時、名前も同じ目をしていたことを思い出す。
 "幸せにしてくれてたら、いいなあ"、と。優しく語る彼女の願いが耳の奥底で響いた気がした。

「分かった。それは、お前にやる」
「え!?」
「天元様、いいんですか!?」

 あっさりと頷いた宇髄に、みのるだけでなく3人の嫁もびっくりしたように目を見開かせていた。だが、その反応に対して、宇髄の表情はあまりにも穏やかすぎて。周りは何も言えなくなった。

「惚れた女の望みくらい派手に叶えてやるさ」

 そう言って、柔らかく笑う宇髄の顔は、遠い昔の記憶の中に残る名前の笑顔とどこか似ていて。みのるは名前の絵を抱きしめながら、膝を着く。そして、たくさん、たくさん、泣いた。


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