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潮風に揺られる金の羽


「ゲホッ、ゴホッゴホッ」

 嘔吐きながら、下ろした瞼を持ち上げる。埃っぽい香りがつんと鼻を刺激する。来て早々と思わずくしゃみをすれば、おい、と背後から声をかけられた。その声の主をよく知っている名前は、鼻を啜りながらも勢いよく後ろを振り返った。

「お前、なんでここにいるんだ」
「荼毘先輩!!!!」

 そこには、気だるげな様を隠す気のない荼毘がいた。首の裏を掻き、眉を寄せている。見るからに、名前の登場を歓迎していない空気だ。しかし、名前はそれに気づくことなく、ぴょんと飛び跳ねて彼に抱きついた。いや、抱きつこうとしたが、あっさりと避けられたので不発に終えた、が正しい。

「氏子さんか?」
「うん!ドクターに荼毘先輩に会いたいって言ったら、ワープしてくれた!」
「……あの人、お前に甘くねえか?随分と拗れてんな」
「えへへ、これはラッキーなのかな」
「使えるもんは使うことに越したことはないだろうさ」

 ニヤッとわらう荼毘に、名前もニヒッと笑って返す。すると、額にデコピンを受けた。地味に痛い。
 それにしても、人工的な明かりの見えない山奥もそれなりに暗かったが、ワープしてやってきたこの場所も随分と薄暗い。ヒビの入った壁、朽ちて落ちたその破片、古臭い香りが周囲を漂っている。人の気配は一切感じられない。何処かの建物内らしいが、おそらくもう使われていない場所なのだろう。電気はついていないのか、今にも崩れそうなこの室内は、夜の闇に埋もれてしまっていた。

「うぇー、なかなか趣味の悪いところにいるね」
「敵が趣味のいいところにいると思うか?」
「それもそっかあ!ここに隠れてたの?」
「いや、待ち合わせをしている」
「誰と?」

 荼毘の青い瞳が暗闇の中でも爛々と燃えている。それが、名前ではなく、その背後に向けられた。相変わらず凪いだ水面のように、その目から彼の心情は1ミリも読み取れない。
 それでも、その視線の意味を知りたくて、名前が振り返ろうとする。しかし、その前に荼毘の手が名前を掴み、彼の元へ引き寄せられた。しかし、勢いが良すぎたのか、不運にも名前は荼毘の胸元に直撃してしまう。名前自身のものとは違い、荼毘のそこは思ったよりも固い。おかげで、鼻も痛くなった。

「いだあ!?突然何すんの、荼毘先輩!!」
「黙ってろ」
「このやり取り、前もしなかった?めちゃくちゃデジャヴ!」

 わーわーと喚いても、荼毘の見つめる方向は変わらない。青い眼差しは吟味するかのように、静かに細められていく。それに気づいた名前は、彼の言うとおり己の口を手で塞いだ。
 風が吹く。それは、名前の髪を無造作に撫でた。近くに海があるのかもしれない。潮っぽい香りが嗅覚を刺激した。夜の空気がじわじわとその首に巻きつこうとしている。だから、名前は荼毘の見つめる先を、そっと振り向いた。

「それ、脅しのつもり?人質を連れてくるなんて」
「えっ」

 暗闇の中でも映える、真昼の色をした金髪。剣呑な色を宿した、鋭い眼差しが荼毘を射抜く。それと同じくらい、濃い警戒を乗せた鋭利な羽がこちらを向いていた。
 名前は息を飲む。だって、そこにいたのは、今この国で彼のことを知らぬものはいないと言えるほど、有名な人だったから。風が吹いている。目に見えない、手に触れられない、風が。

「ホークス!?」

 そこにいたのは、つい先日のヒーロービルボードチャートで2位であった、ホークスであった。10代のうちにヒーローになり、事務所を立ち上げ、ビルボードチャートトップ10に入った経歴があることから、世間からは"速すぎる男"と呼ばれているほどの実力を持つヒーローだ。エンデヴァーとの共闘で、今日のテレビにも映っていたのを思い出す。
 そんな彼が、今目の前にいる。名前はパアッと顔色を明るくさせた。

「ホークスだ!!うひゃー!!生で見たのは初めてだ!!カッコイイね!!サインください!!!!」
「うるせえ」
「だ、だって、荼毘先輩、ホークスだよ!ホークス!友達だったの?教えてよー、もう!」
「友達になるかどうかは、こいつ次第だ」
「へ?」

 ホークスの元に行こうとした名前の襟元をツギハギの手が掴む。それにより、名前の動きは止められた。ぐえ、とカエルの潰れたような声を上げる。そのままズルズルと引き摺られ、名前は荼毘の元にまで戻された。
 首が締まってる、締まってる。助けを求めるように、未だ襟元を掴みあげる手をぱちぱちと叩くが、離れる様子はなかった。荼毘は相変わらずその冷めた眼差しをホークスに向けるばかりだ。その一挙一動を見逃さぬように。警戒するように。それは、ホークスも同じなのか、荼毘とじたばたと藻掻く名前を静かに見据えていた。

「人質を懐柔したのか。てっきり散々な扱いをしているかと思えば、思いの外大事にしているみたいで、驚いたよ」

 鳥のように鋭い目が、名前を捉える。その眼差しは何か物言いたげで、でもそれを口に出来ずに苦しそうで、名前は首を傾げた。

「荼毘先輩、かいじゅうって何?どういう意味?」
「俺の手の中にいるお前が脅威って話だ」
「え、No.2なのに!?私なんかが!?私の時代来ちゃう!?」
「相変わらず幸せそうな脳みそで何よりだ。まァ、ヒーローは人の命を優先しちまうからな」
「どういうこと?」
「分からなくていい」

 ぽん、ぽん、と後ろから頭を撫で回される。その手つきはだいぶ雑だ。そして、少しずつ下に降りてきては、名前の首元に手を置いた。火傷のあとを撫でるように触れる。擽ったくってそれを必死に耐えながら笑う名前は、ホークスの眉がぴくりと動いたことに気づかなかった。
 荼毘の手が名前の首、急所に触れていること。それはすなわち、その手に名前の命が握られているのと同義であるのだ。武器である羽を握りしめる手の力は強くなった。

「色々と話が違ってた。襲撃の話も、今この場にいる人質も」
「そうだっけ?ああ、でも、こいつの場合本来来る予定ではなかったんだ。イレギュラーさ。気にしなくていい」
「それもどうだか。もっと仲良くできないかな、荼毘」

 その羽の切っ先は人体の急所であろう喉を狙うように、荼毘に向けられた。ひっ、と情けなく悲鳴をあげた名前と違い、荼毘は一切動じることは無い。その口元には相変わらず真意の見えない余裕そうな笑みを浮かべている。

「ザコ羽しか残ってなかったんじゃねえのか?」
「嘘つきと丸腰で会うわけにはいかなかったからな」

 ピリッとした空気が名前の肌をなぞっていく。それは、ドラマや映画などでよく見る互いに腹の奥底を探り合うような光景であった。背中に嫌な汗が流れる。

「予定じゃ明日街中じゃなく、海沿いの工場だったはずだ。それにあの脳無、これまでのと明らかに次元が違ってた。そういうのは予め言っといて欲しいな」
「気が変わったんだ。脳無の性能テストって予め言わなかったっけか。
しかし、違うというならそっちもそっちだぜ?"適当な強い奴"って言ったろ。No.1じゃテストにならねえ。程度を考えろよ」
「No.1に大ダメージ。喜ばれると思ったんだけどな。約束は破ってない。反故にしたのはそっちだけだ」
「いきなりNo.2ヒーローを信用しろって方が無茶だぜ。今回はおまえの信用テストでもあった」

 約束?信用?2人から繰り出される幾多の情報の数々に、名前は目を白黒とさせた。
 そして、そこで漸く気づく。No.2のヒーローと敵連合メンバーである荼毘がこうして顔を合わせて、言葉を交わしている現実。纏う空気はいいものとは決して言えないが、互いを警戒しつつも攻撃するつもりはなさそうだ。その現実が普通ではおかしいと、名前は改めてホークスを見つめた。

「何で今日のアレが死者ゼロで済んでる?俺たちに共感して協力願い出た男の行動とは思えねえや」
「こっちも体裁があるんだって。ヒーローとしての信用を失う訳にはいかない。信用が高いほど仕入れられる情報の質も上がる。あんたらの利益の為だ。もうちょい長い目で見れんかな」

 荼毘は突きつけられた羽を避けると、名前の襟元を引っ張った。ぐえ、と再度汚い声が出る。そして、荼毘はそのまま名前を引きずりながら、ホークスの横を通り過ぎていった。

「連合のためを思うからこそだよ、荼毘」
「まァ…とりあえずボスにはまだ会わせらんねえな」

 名前は後ろをむく。荼毘は振り返らなかった。ホークスは手に持っていた武器を降ろしていた。

「また連絡するよ、ホークス」

 その時、彼と目が合った。獲物を狙うような鋭い眼光は、名前を貫いた後、それがほんの少しだけ綻んだ。彼の口が僅か動く。その声はやはり名前の鼓膜を揺らすことは無かった。でも、何かを言いかけている。何かを伝えようとしている。それに気づいた時、名前は自然とその口を動かしていた。

「ホークス、またね!!今度はサインちょーだいね!!」

 ニコッと笑顔を浮かべて、彼に手を振る。丸くなった目に名前の笑顔が映り込んだ。
 すると、襟元を更に強く引っ張られたので、名前は渋々と前を向いた。痛いよ、荼毘先輩。その嘆きは一瞥されるだけで終わった。
 薄く伸びた朝日が漏れ出る出口に、足をずんずんと進めていく。潮の香りが強くなっていった。





 苗字名前。敵連合に人質にされた一般人。死穢八斎會の件の際、ヒーローにより保護されたが、その後敵病院に向かう道中で敵連合からの襲撃により、再度攫われた。
 しかし、その割には荼毘とは親しげに話し、あまつさえ首に手をかけられていても平然とした顔をして見せていた。洗脳か、脅しか、あるいは本当にイカれているのか。

「一応調べておくか」

 だが、ホークスをヒーローとして見つめてくるあのキラキラとした眼差しは、この暗闇の中ではあまりにも眩しくて。思わず、目を逸らしたくなった。
 だから、救わねばならないと思う。彼女を、敵連合の手から。あの眼差しを裏切ることは許されない。それが、きっとヒーローとしての役割だ。