00.





 白い部屋。天井まで届く一面の窓ガラスを背に、少年は存在した。
 硝子の円柱に彼は閉じこめられていた。
 天井と結合する上部からは紅い花弁が粉雪のごとく舞い降りる。

はらはら、はらはら。

 ただ彼の周りを落下して行く。その白い裸体をアカが滑りゆく。
 幻想的だった。まるで夢のようだった。彼は本当に存在しているのか、虚像ではないのか。そう思えてならなかった。
 彼がこちらを見ている。きちんと許可を得た、というわけではないのだがこの屋敷の鍵は開いていた。なにか罪悪感のようなものが湧き上がってくる。思わず顔をしかめた。
 こっち。きて。
 少年の表情は変わらない。口唇が幽かにふるえただけ。それでも朽葉にはそう聞こえた気がして、ふらりふらりと引き寄せられるかのように彼に近付いた。
 あなたのなまえは。
 みずみずしい紅い唇がゆるり、と弧を描く。彼の言葉は舌足らずだ。甲高いわけでも、低いわけでもない。年端も行かぬ少年らしい声であった。
 なまえ、おしえて。
 彼が声を、言葉を発しているわけではなかった。脳内に直接響いてくるのだ。ふしぎと疑いは持たなかった。なぜかこれが自分と彼との当たり前の形なのだと唐突に認識していた。

「くちば。朽ちる葉、と書いて朽葉だ。きみは?」
『ぼく、なまえなんてないよ。だから、』

 彼が笑みを濃くする。悪戯に、妖艶に。絶対的な確信をもって。
――おにいさんが、つけて。

『それがぼくのなまえ。』

 ふにゃり、と名無しの少年が笑顔になる。紅顔可憐。寺子屋で習った言葉だったが、彼のためにあるような言葉だと思った。

「なにがいいかな。好きなものとかはある?」
『つき。あと、はな。』

 月と花。少年をあらためて見つめる。ぱっと浮かんだのは月下美人。彼にふさわしい。漠然とそう感じた。素朴な、人を惹きつけるうつくしさを持つ少年。なにがいいだろうか。どうせなら彼にぴったりな名前がいい。
 ああ、そうだ。あの花なんか素朴だけど、あの馥郁なんかいい。わりと気に入ってる。

『きまったの?』

 可笑しそうに笑っていたからか、彼が不思議そうに訊いてきた。

「決まったよ。おれ、結構、銀木犀って好きなんだ。それに目が眩むくらいに白いし、月みたいだろ。だからさ、銀からとってしろかね。字は白い金、なんてどうかな?」
『すてき。きれい。ぎんもくせい、みてみたいな。ぼく、ここから出たことがないんだ。』

 白い指が硝子に触れる。ずいぶんと厚くできている。光が屈折して少し指先が歪んでいた。
 彼の指先に自分の指先を置いた。そっと左手も当てられて、鏡のように手の平を硝子に当てた。

『くちばに、さわってみたい。きっとあたたかい…』
「白金の体温は低そうだ」
『そとのせかい、しりたい。くちばといっしょならきっとたのしい。』
「俺も行ってみたいな」
 白金の手をとって蓮華畑を歩く。蓮がはしゃいでいる様子が目に浮かぶ。
「楽しそうだ。」
『くちば、』

 白金の額がこつん、と硝子に触れた。誘われるように額を無機物に押し付けた。

『ぼくをここからだして、』

 頭に響く声は今にも泣き出してしまいそうだ。彼に触れられないことが酷くもどかしく思えた。
 間近に見詰め合う。蓮のまつ毛、長い。ふるふると震えている。うつくしいかんばせにはシミなんか以ての外、肌荒れの一つ見つからない。人形のような…。
そこまで考えてはっとした。もし、彼が本当にヒトでなかったらどうしよう。いなくなってしまうのだろうか。いいようもない不安に駆られる。
 いつしか自分の顔も泣き顔のようになっていることには気付かないふりをした。

「いつか、一緒に外へ行こう。俺が連れてく。」
『うん。くちば、やくそく』

 硝子越しに白金のまぶたに唇を落とす。なんだか妙に粛々としたものを感じて、結婚式を思い浮かべてしまったものだから途端に恥ずかしくなった。

「約束だ、白金」
『うん。まってる。』

 お互いに微笑んでしばらく額をあわせたままでいた。



                       Fin.



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