有栖川有栖 | ナノ
ある夏の日

「火村センセ、こんにちは。ご機嫌麗しゅう」
「嫌みかそれ」
「なんでやねん。ただの挨拶やろ」
「なんでそんなにわざとらしいんだよ」
「別にぃ? このうだる暑さの中わざわざやって来た相棒にそれはないやろ。このハーゲンダッツがどうなってもええのん? 中、入れてや」
火村は不服そうに、何か納得がいかなそうに、それでも扉を開いた。快適なクーラーの風が頬を撫でる。大学の火村にあてがわれた部屋には小型の冷蔵庫がある。空っぽであろう冷凍庫を開けると、冷気が指先を包んだ。ずっと手を入れていたい。こちらの思いを読んだかのように火村は平坦な声で咎めた。
「環境に悪い」
「……どの口が言う?」
「ついでにアイスコーヒーが冷蔵庫に入ってるから出してくれ」
何が悲しくて、一応は客人である自分がこの部屋の主と自分に向けてコーヒーを注いでやらなければならないのか意味が分からない。「で、」とついでの様に発せられた言に俺は今度こそ、絶句した。
「珍しいな。何の魂胆だ」
「……こ、魂胆〜ッ?!」
「悪い。言葉を間違えた。天下の有栖川有栖先生がご足労頂いて、どのようなご用事かと」
悪びれる様子もなく、飄々と言ってのける火村に俺は眉根を寄せて、今しがた開けたばかりの冷凍庫を再び開いた。
「何やってるんだ?」
「お前バニラと抹茶どっちがええねん」
「……? 抹茶」
「お前の抹茶だけ、日向に置いててやるからな。べとべとでとろとろの見るも無残なアイスを食らえ」
「やり口がえげつないぞ。アリス」
「やかましい」
火村はここにきて、ようやく首を傾げた。さも、俺の怒っている原因に見当がつかないとでもいう様に。
「やけにカリカリしてるじゃないか」
「誰の所為やと思っとんねん」
「俺の所為ではない」
「……ドタマ、かち割ってもええか?」
「物騒だな。ドタマかち割られたら堪らないから答えるが、そのアイスをくれた女子生徒だろ。お前のカリカリの原因」
それで、俺は顔を上げた。この部屋に入って初めて、まじまじと火村の顔をみる。彼は、口元を綻ばせ、「いや、嬉しいね」と宣った。
「その顔、カリカリが再燃してまうから、止めてくれ。なんで……分かったんや」
「見えた」
「は?」
「この部屋から、お前がやって来るのが見えた。お前は手ぶらだった。途中で、2人の女子学生に引き留められていた。その片一方がビニール袋を提げていた」
大方、差し入れだの。御2人でどうぞなんて言われたんだろ? 火村は決めつける。
「推理でもなんでもないな。見てたならそう言えや」
「言ったら怒るだろ」
「怒らん。なんでそうなんねん」
「大方、火村先生によろしく、だの頑張ってくださいだの伝書鳩兼差し入れ係にされた事に怒ってんじゃないのか、アリス?」
「火村先生でも推理をしくじる事があんねんな」
「……」
俺は彼を睨みつけ、グラスに氷を入れながら、言う。
「火村先生は抹茶のアイスお好きですよね」
「……は?」
「なんであの子らがお前の好物知っとんねん。初耳やで」
「成程」
謎がようやく全て解けたとばかり火村は指を鳴らした。
「妬いてただけか」
「……その口、縫うたろか」
笑みを深くした火村は、まぁまぁと俺を宥める様に、近づいて来た。アイスコーヒーを注ぐ係を交代してくれるのかと思ったら、何の事はない。先に出来上がったグラスに口をつけた。ふざけるな。
「分からん。訳分からん。世の中理不尽や。こんな男のどこがええんや。見る目無さすぎやで。最近の子ォらは」
「コンパで質問された時に適当に答えたんだよ。女子はなんてことない質問するだろ。そして、よく覚えてる」
「将来悪い虫に捕まらんか心配やわ」
「心外だな。そういうお前はどうなんだ、アリス」
人の事言えないだろ? 意地の悪い笑みを浮かべてこちらを伺う似非紳士を人睨みして、私は天を仰いだ。
「うるさい。分かっとるわ」
氷の爆ぜる音が室内に涼しく、響く。
「なしてこないな性質の悪い虫に捕まったんやろ。蚊取り線香持ち歩こかな」
「それはそれで風情がありそうで、参るな」
「やめてくれ」
楽し気にアイスコーヒーを口に含む相棒を前に俺はとうとう、真夏の日差しに抹茶のハーゲンダッツを差し出す事は出来なかった。

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