読書の秋島と


 秋島に停泊中のハートの海賊団。一日の雑務を終えた私はベポと町へ出掛けた際に購入していた新しい本とブランケットを片手に部屋を出た。
 甲板に出て不寝番のウニに手を振ってから、船尾の方へと向かってダッシュ。そして勢いよく飛び降りる。最初から部屋から直に船尾の方へ出れば早いし、キャプテンに見られると怒られるんだけど、この一段、二段とジャンプした時の重力、フワッと感が大好きでやめられない。
 さて、いつものポジションに着いた私は柵にもたれかかってブランケットを膝の上に。本の帯を眺めた後ぺらっと外して、ついでに元々のカバーもめくって本体を確認する。
 何の変哲もない、タイトルと出版社だけが書かれたそれに再びカバーをかける。月と船の灯りは本を読むには丁度よく、穏やかな風も気持ちがいい。すぅっと一度深呼吸をして本をゆっくりとめくり始めた。

 今日の本は架空の海賊船の物語。海賊船といっても構成するメンバーは全員医者。世界の奇病・難病を研究し、治療し、旅をしている。もちろん現実には存在しない病気も出てくるけれど、ケガの手当や手術の描写はここの仲間達と実際に処置している気分になる。
 物語としての面白さにプラスして、医学的な話題、知識にも富んでいてあっという間に3分の1程度を読み終えていた。びゅっと強い風が吹いて意識を現実に戻すと隣に人の気配があることに気がついて思わず肩がビクッと震えた。そろりと横を確認するとその正体は我らがキャプテン。キャプテンも本を読んでいた。

「あの、キャプテン。こっそり隣にいるのびっくりするからやめてくださいって言ったじゃないですか」
「気づかねェお前が悪い」
「だって、絶対わざと気配消してますよね」
「……対応できるようになるんだな」

 わぁ、キャプテンの無茶ぶりだ。私が「そんなの一生無理です」とぼやくと「どっちがいいんだろうな」と返ってきた。どっちとは何だろう。私は本にしおりを挟むとキャプテンの方へと向き直した。
「どっちというのは何と何ですか?」と尋ねる。「まぁ気にするな」と言う。気にするなと言われても気になるものはしょうがない。「教えてください」と食い下がる。するとキャプテンは小さく「ハァ」と息をもらし、読んでいた本をぱたんと閉じて顔をこちらに向けた。

「おれ以外が来るとすぐに気づくのに、おれだと気づかないことに気づいていたか?」
「え? それは気配の差では?」
「毎回消してるわけじゃねェと言ったら?」
「む」

 キャプテンみたいに見事に気配を消すことができる人物なんてこの船には存在しない。実際に読書中にびっくりした経験のすべてがキャプテンである。しかしその言い方は気配を消していない時も私はキャプテンに気づいてないということになるのでは。

「消していようがなかろうが意識しちまうほどの絶対的な存在になるのと、当たり前のように、空気みてェに隣にいる存在」

 キャプテンは視線を空へと向けた。言っていることを理解しようと私も空を見上げる。

「言っちまった時点で後者はほぼ無理かもしれねェな。まァ結果としてそうなる可能性はあるだろうが」

 そう言ってかぶっていた帽子を私の頭に押し付けるキャプテン。わっ、キャプテンの匂いだ。びっくりして頭から帽子を取ってそれを抱えて眺める。ぐるぐる、必死にキャプテンの言葉の意味を考える。この会話における“存在”とは、私にとってのキャプテンのことだろうか。キャプテン以外のみんななら読書中に近くに来てもすぐに気づいて、キャプテンには気づいていない。

「あれ、それって私すでに後者ってことですか?」
「おれは両方だ」
「りょ……?」
「他の奴らとも一緒にいる時は前者。二人の時は後者だな」
「わ、わぁ? あの……一応確認なんですけど……誰の話してます?」

 いつの間にかキャプテンの帽子を力強く抱きしめていた。それって、みんなといるときはバチバチに意識してて、こうやって二人でいる時は……そこまで考えたところでキャプテンは身を乗り出し私の髪を優しく、さらりと撫でた。そして「緊急時でもねェのにあの高低差を楽しいからという理由で飛び降りる女の話だ」と眉間にしわを寄せた。あっ、また見られてた。それは私だ。何より言動がかみ合ってませんよキャプテン。

「着地地点に誰かいたらどうするんだと何度言えば」
「いたらよけます!」
「へェ、一度おれにぶつかったよな」
「あれはキャプテンじゃなくて鬼哭にです!」
「一緒だ!!」

 そのまま怒りをぶつけるかのようにキャプテンは私の上に倒れ込んできた。頭を床に打ち付けないようにという配慮だろうか、素早く腕も回されていて……待って、こんなにダイレクトにキャプテンの香りに包まれたら私死んでしまうかもしれない。めっちゃ温かいし溶けてしまうかもしれない。これは、キャプテンとしての魅力なのか、一人の男性としての魅力なのか……いや、両方だ。

「そうですね、これはもう意識せざるを得ません……」
「やっとか」
「やっと?」
「さっきからいちいちおれの本音を拾うな」
「どちらかというと声に出してるキャプテンが悪いのでは?」
「それより、この状況で平常運転って本当に意識してるのか?」

 してますしてます、平常運転しないとどうにかなりそうなくらいには意識してます。だってめっちゃ顔近いし正直キスされちゃうかと思いましたもの。あ、もう逆にしちゃおうかな。

「こんなに顔近いとキスしますよ?」
「へェ、望むところだ」



 月夜に浮かぶキャプテンの笑みに背筋がぞわりとした。色々と言葉選びを間違えたようだ。そっと触れる程度のキスを想像していた私はあまりにも長く濃厚なそれに、読んでいた本の内容がきれいさっぱり吹っ飛んだし、その日のうちに再び本を開くことはなかった。

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