酔いどれ
「今日は一緒に呑まない?」

風呂上がりにちさきに誘われ、ああ、と紡は頷いた。
梅ジュースで酔った時からそうなる気はしていたが、ちさきは弱いわりに酒が好きらしく、互いに成人してからはこんなふうによく晩酌に誘われるようになった。紡自身も呑む方であるし、ちさき一人で呑ませるのも心配なため、断る理由はない。
酒とちさきがつくってくれたつまみを豆ちゃぶ台に並べて、上がり端に腰を下ろす。ちさきが上機嫌に鼻歌を歌いながらグラスに酒を注いだ。

「このお酒ね、おじいちゃんのおすすめなの。ひやおろしっていって、秋にしか呑めないお酒なんだって」

「そういや昔、秋になるとよく呑んでたな」

医者に言われて今は控えているが、勇は元来酒豪で倒れて入院するまではよく呑んでいた。秋らしくラベルに紅葉と月が描かれた酒瓶もその頃よく見たものだ。
少しの懐かしさを感じながら、差し出されたグラスを受け取る。ぐいっと煽れば、口内にまろやかな酒の旨味が広がった。後味もすっきりしていて呑みやすい。ちさきもグラスに口をつけて、瞳を輝かせた。

「おいしい! これならいくらでも呑めちゃいそう」

「また酔い潰れるぞ」

「大丈夫。もう自分の限界はわかってるから」

「どうだかな」

酒を呑むようになってから――梅ジュースを梅酒と思い込んで飲んだ時もだが――幾度となく酩酊したちさきを思い出して肩を竦めると、唇を尖らせて睨み上げられた。
その視線を受け流して、つまみの里芋を口に運ぶ。味噌だれがかかった里芋はほくほくとして甘じょっぱく、ひやおろしによく合った。

「うまいな、これ」

「でしょ? その味噌だれ、お母さんに教わったの」

思ったことをそのまま零すと、ぱっとちさきの顔が明るくなった。声を弾ませて「昔から好きだったんだけど、お酒にも合うね」と嬉しそうに語りはじめる。
ころころと海のように変わる表情を見つめて、紡は穏やかに目を細めた。

そうして酒を呑み交わしているうちに、ちさきの顔がどんどん赤くなっていった。呂律も回らなくなりはじめている。今はまだ機嫌よく揺れているだけだが、これ以上はやめた方がいいだろう。
さりげなく酒瓶をちさきから遠ざける。呑みやすいせいか、いつの間にか瓶の中身はかなり減っていた。あとで水を飲ませた方がいいかもしれない。

そんな紡の心配をよそにちさきはぐいっとグラスを煽って酒を呑み干した。ぷはーと気持ちよさそうなため息を零して、とろんとした瞳できょろきょろとなにかを探す。そして、紡の手元に酒瓶を見つけると、んっ! とグラスをつきつけておかわりを要求してきた。

「もうやめとけ」

「まだのむ!」

「これ以上は倒れるぞ」

ちさきの手からグラスを取り上げて、豆ちゃぶ台の上に置く。
と、ちさきが頬を膨らませて詰め寄ってきた。

「紡だって同じくらいのんでるのに、全然平気そうじゃない」

「お前よりは強いから」

「ずるい」

いじけたようにとすっと肩に軽く額をぶつけられる。頭突きのつもりだろうか。いつものことだが、ちさきは酔うとやけに子供っぽくなる。宥めるように紡はちさきの頭を撫でた。

「こどもあつかいしないで」

そうぼやきながらも、ちさきの身体からゆっくりと力が抜けていく。支えるように抱き寄せれば、いつもより熱い身体から酒気に混じってほのかに甘い匂いがした。もう慣れ親しんだ匂いだが、どうにも落ち着かない気持ちになる。それを誤魔化すためにも、そっとちさきの背を擦った。

「大丈夫か?」

「なんか……あつい」

「酔ってるからだろ。水持ってきてやるから、ちょっと待ってろ」

「いい」

ふいに細い腕が首に回された。柔らかな身体がぴたりとくっついて、甘えるように肩に顔を埋められる。紡、と耳元で名前を呼ぶ声が熱い。身体の奥底から湧き上がってきそうになるものをどうにか抑えて、紡は詰めた息を吐き出した。

「どうした?」

「んっ」

ちさきは顔を上げると、目を閉じてねだるように小首を傾げた。
どうしてこいつはこういう時に限って積極的になるのか。こっちは必死に我慢しているというのに。
内心嘆息するが、この甘美な誘いに抗えるはずがなく、そっとちさきの頬に手を添える。目蓋を閉じたままでも、わかりやすくちさきの顔に期待の色が浮かんだ。ゆっくりと顔を寄せて、唇を重ねる。柔らかくて、熱い。より深く触れたくなるのを抑え、なんとか触れるだけに留めて離れると、ちさきが目蓋を上げて幸せそうに微笑んだ。

「……ちさき」

艶やかに綻んだ唇に引き寄せられ、もう一度顔を寄せる。ちさきも応えるように海の色をした瞳を閉じて――とすんと紡の肩にもたれた。

「ちさき?」

呼びかけても返事はなく、代わりにすやすやと心地のよさそうな寝息が聞こえてくる。

ひとのことを煽るだけ煽っておいて……。

行き場がなくなった熱を持て余し、紡は深くため息をつく。
こちらの気も知らず、ちさきは安心しきった顔で眠っていた。その無防備な寝顔を見ていると、どうにも愛しさが胸に溢れて、苦笑が浮かぶ。

「ほんと、仕方ないな」

緩く波打つ柔らかな髪をそっと撫でる。
ちさきには一生敵わない気がした。
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