ホワイトデー×マカロン
レシピ本を眺めては気になったページに付箋を貼っていく。
多少家事にも慣れたとはいえ、毎日の献立は今も悩みどころだ。レパートリーを増やすため時々こうしてレシピ本を読んでみるが、食費や食材事情、栄養や好みも鑑みなければならなくて難しい。
ページから目を離して、ちさきはふうと息を吐いた。

その時、玄関の戸が開く音がした。買い物に出掛けていた紡が帰ってきたのだろうか。
立ち上がって障子を開けると、予想通り紡の姿があった。

「ただいま」

「おかえり、はやかったね」

守鏡まで行くと聞いていたから夕飯まで帰ってこないかと思っていたが、まだ3時過ぎだ。なにを買いに行ったのかは知らないが、ずいぶんとはやくすんだらしい。
紡は靴を脱いで居間に上がると、手に提げていた紙袋を差し出してきた。

「少しはやいけど、これ、バレンタインのお返し」

「えっ、それでわざわざ街に?」

よく見れば、紙袋は守鏡で人気のケーキ屋のものだった。ただの手作りチョコのお返しには立派すぎる。
しかし、せっかくの厚意を無下にするわけにもいかない。素直に受け取って、微笑を浮かべた。

「ありがとう。せっかくだから、一緒に食べよう」

コーヒーを淹れようと、台所に足を向ける。だが、「お返しだから、俺が淹れる」と片手で制された。
じゃあお願い、と畳に腰を下ろし、台所に立つ紡の背中を眺める。何度か見ているはずだが、いつもは逆か、一緒に立っているから少し新鮮に感じた。

そういえば、紡はなにを買ってきたのだろう。紙袋の中を覗いてみると、青の包装紙と白のリボンでラッピングされた箱が入っていた。大きさからして、クッキーだろうか。
そっと箱をとりだし、丁寧に包装を解く。箱を開けてみると、色とりどりの丸い焼き菓子が六つ現れた。

「マカロン?」

「食べてみたいって、この前言ってたろ?」

振り返って言われた言葉に、ちさきは目を見開いた。
言われるまで忘れていたが、確かに見た目の可愛さに惹かれて呟いたことがある。本当に何気なく口にしたものだが、紡はちゃんと覚えていたのか。
こういうことは今までもたびたびあった。とるに足らないような出来事まで記憶されていたり、告げた覚えのない好物まで知られていたり。そうした物事は時にくすぐったい気持ちにさせた。

「紡って記憶力いいよね」

「そうか?」

「うん。普通はそんなことまで覚えてないよ」

淹れたてのコーヒーを差し出され、礼を言って受け取る。カップの中で揺れたコーヒーは黒々として苦そうだ。対照的に、隣に座った紡が持つコーヒーは少しミルクが入っているようで柔らかな茶色をしていた。
教え合ったわけではないのに、いつの間にか当たり前のように淹れられるようになった互いの好みに合わせたコーヒー。
改めて認識すると、先ほどの延長で妙な気恥ずかしさを覚えた。

そんな感情を押しやるためにも、いただきます、と手を合わせ、赤のマカロンを摘まむ。見た目や感触からして硬いものだと思っていたが、さくっとしていたのは表面だけで、あとはほろほろと溶けていき、口の中いっぱいに木苺の酸味が広がっていった。

「おいしい」

思わずちさきは顔を綻ばせた。同時に、やはりたかが手作りチョコのお返しとしては質も値段も段違いではないかと不安がもたげる。
しかし、緑のマカロンを口にした紡が満足げな顔をしたのを見て、それも鳴りを潜めた。お返しという名目で一緒にちょっとした贅沢をすると考えれば、たまにはこういうのもありかもしれない。

「来年のバレンタインは、これに負けないようなものをつくらないとだね」

「来年もくれるのか」

「当たり前でしょ。……あっ、でも推薦落ちちゃったら無理かも」

「お前なら受かるだろうし、今から楽しみにしておく」

かすかに口の端をあげて、紡は本気の声色で言った。
なら、来年は本当に頑張ってみようか。これには敵わなくても、せめて少しでも紡に喜んでもらえるように。今度、お菓子作りの本も見てみよう。
来年の二月に思いを馳せながらまたマカロンに手を伸ばす。だが、その手が届く前に、ふと思い出した。
先程読んでいたレシピ本にホワイトデーに関するコラムが載っていたことを。
適当に読み流していたが、ホワイトデーのお返しのお菓子にはそれぞれ意味があるらしい。確か、マシュマロは「嫌い」、クッキーは「友達」、そしてマカロンは――。

そんなはずはない。紡はただ「食べてみたい」と呟いたものを買ってきてくれただけで、そこに他意などないはずだ。
確かめるように紡を見つめる。視線に気付き、紡は首を傾げた。

「どうした?」

「……紡、マカロンの意味って知ってる?」

「確か、小麦粉の生地を薄く延ばして作ったもの、だったと思う」

「そうなんだ。よく知ってたね」

これを買った店に書いてあった、と答える紡の声を聞きながら、ほっと安堵する。

ほら、やっぱり紡は知らなかった。
だから、これに意味なんてない。なんにもない。
だから、大丈夫。なんの問題もありはしない。

言い聞かせるように心の中で何度も繰り返しながら、ちさきはマカロンを手にとった。


BDBOXの特典のタペストリーを見た時にメモで「ホワイトデーにちさきにマカロンを贈る紡でも妄想しろってことか」と言ったので、実際に小ネタとして書いてみました。
ホワイトデー当日ではないのは、計算が間違ってなければ二人が高二の時のホワイトデーが火曜日だからです。
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