紅の幻想
「誰もいない」

人気のない紅葉に彩られた小道を見はるかし、ハヤトはぽつりと呟いた。

ジムリーダー会議のために、ジョウトジムリーダーはエンジュジムに集まった。だが、肝心のエンジュジムのジムリーダーであるマツバが不在であった。
ジムトレーナーに訊けば、鈴音の小道にいるのではないかと言う。
ポケギアを持たずに出掛けたらしく、公正なるじゃんけんの結果、ハヤトが呼びに行くことになった。
しかし、鈴音の小道にマツバの姿は見当たらない。
もしかしたら、鈴の塔にいるのかもしれない。

「自分から呼び付けておいて、どうして忘れてるんだ、あの人は」

マツバへの不満を漏らしつつ、鈴の塔へ向かう。
歩くと、石畳の硬い音に混じって、しゃりしゃりと落ち葉を踏む音がした。
道の両脇の紅葉は燃えるような紅で、こんな時でなければ父さんとゆっくり見たかった、と小さくため息をついた。


******


鈴の塔の一階にいた坊主に尋ねてみると、マツバはすでに帰ってしまったらしい。
どうやら、入れ違いになってしまったようだ。

「面倒くさいことしてくれやがったな」

鈴の塔から出て、開口一番に愚痴った。
坊主の前では流石に自重したが、愚痴らずにはいられなかった。

「そもそも、父さんが帰ってくる日に呼び出しただけでも腹が立つのに、呼び出した張本人が忘れ、しかも連絡がとれず、あまつさえ俺が呼びにいく羽目になるなんて……!」

「でっかい独り言ですねー」

「誰だ!?」

モンスターボールを手にして、声のした方に目を遣る。
一瞬緊張が走る。
しかし、声の主を認めた途端に気が緩んだ。

「なんだ、アキラとユイか」

「そうです。こんにちは、ハヤトさん」

「お久しぶりでーす!」

アキラは軽く会釈し、ユイは大きく手を振った。
見た目も髪を二つに結っているくらいしか共通点はないが(その髪もアキラは黒でユイは栗色だ)、こういうところでも違いが出る。
姉妹とはいえ、必ずしも似るとは限らないようだ。

「どうして、二人がこんなところにいるんだ?」

「キョウスケとカナデと一緒に紅葉狩りです」

「現地集合なので、二人を待ってるところです。まあ、カナデはいらないけどね」

「おいおい、可哀想だろ。仲良くしてやれよ」

アキラがあまりにも辛辣な物言いをするので、思わず嗜める。
するとアキラは、女としてその顔はどうなんだ、と言いたくなるほど嫌そうに顔を歪めた。

「そんなに嫌なのか?」

「マ○クでスマイル0円しか頼まない客以上に嫌です」

基準がわからない。
確かに、そんな客は嫌だけど。というか、それは客じゃなくてただの冷やかしだ。
色々と言いたいことはあったが、それ以上の言及は諦めた。

「そういえば、ハヤトさんは何してるんですか?」

ユイが小首を傾げて尋ねてきた。
そこで、ようやく自分の目的を思い出した。
こんなところで油を売っている場合ではない。

「マツバさんを探してたんだ。坊さんが言うには、もう帰ったらしいけど」

「そうなんですか。あたし達は見てませんよ。ねぇ、ユイ」

「うん。もうエンジュジムにいるんじゃないですか?」

「だろうな。じゃあ、俺はもう行くよ」

「さようなら」

「お仕事頑張ってくださいねー!」

小さくお辞儀をするアキラと手を大きく振るユイと別れて、ハヤトは来た道を戻る。

鈴音の小道も終わりに差し掛かったところで、前から誰かが歩いてくるのが見えた。
影は二つ。
次第に形がはっきりしてきた人影を認めて、ハヤトは目を丸くした。

「アカネにミカン!?こんなところで何をしてるんだ?」

「なにって、マツバはんが帰ってきたから、あんたを呼びにきてやったんや」

「ハヤト君のポケギアに電話しても繋がらなかったから」

「えっ!?そんなはずは……」

普段からポケギアは持ち歩いているし、電源も切っていないはずだ。
懐からポケギアを取り出して開いてみると、充電が切れたのか画面が真っ暗だった。

「充電が切れてた……」

「マツバはんもアホやけど、あんたもアホやなぁ。そんならポケギアの意味ないやん」

「うっ……」

痛いところをつかれて声を詰まらせる。
しかし、マツバと一緒にされるのはなんかすごく嫌だ。なんかすごく嫌だ。

「まあまあ、ハヤト君は悪くないんだから、そんなに責めないで」

「そう?せなら、今回はミカンに免じて許したるけど、次からはちゃんとせぇな」

ミカンのフォローでアカネの怒りも解けたようで、ハヤトはほっと胸を撫で下ろした。

「手間をかけさせてすまなかった。そういえば、マツバさんはどうしたんだ?この場合、マツバさんが来るのが道理だろ」

そもそも、マツバが会議を忘れなければこんなことにはならなかったのだから、謝罪も兼ねて本人が来るのが当然だ。
なのに、どうしてこの二人を寄越したのか。

「あー、それはな……」

「それはね……」

アカネとミカンは顔を見合わせると、乾いた笑いを上げた。
なんだか、気味が悪い。

「どうしたんだよ。気になるだろ」

「いやー、ごめんごめん」

アカネは一度咳払いをし、事情を説明し出した。

「実はな、マツバはんは今お説教されてる最中なんや」

「誰から?」

「ヤナギのじいちゃんから」

「ああ、それなら仕方ない」

全ジムリーダー中最高齢のヤナギの説教は恐ろしい。
激昂するのではなく、懇々と悪いところを指摘し続けるものだから、終わった後は物凄く落ち込む。特に、あの底冷えするような瞳に見据えられるのは恐怖だ。
そんな説教を受けているのならば、ここに来なくても怒りはしない。もちろん、同情もしないが。
もしかしたら、この二人はその現場にいたくなかったから、わざわざ自分を呼びにきたのかもしれない。
あの説教は、見ているだけでもかなり堪える。

「なら、すぐに戻るか。ヤナギのじいさんが説教してるなら、後三時間は会議が始まらないだろうけど」

「せやな。せっかくやし、なんか買うて、会議始まるまで皆で食べようさ」

「あっ、それはいいわね。近くにお土産屋さんがあったし」

アカネの提案に笑って賛同し、三人は鈴音の小道を抜けて関所の中に入った……はずだった。
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