紅の幻想
目の前に広がるのは鮮やかな紅に染まった葉を付ける木々。
右を向いても紅葉、左を向いても紅葉、後ろを振り返ってもあったはずの石畳の小道はなくなり、美しい紅葉と落ち葉に隠れた土の地面があるだけだった。

「なんだ、これは……!?」

「……うちら、鈴音の小道の関所に入ったはずやんな?」

「ええ。確かに関所に入ったはずよ」

だが、関所なんてどこにもない。
エンジュシティ内でならどこからでも見えるはずの鈴の塔も見えない。

「……俺、空から様子を見てみるよ」

「ええ、お願い」

「出てこい、ピジョット!」

ハヤトはピジョットに乗ると“そらをとぶ”を指示し、木々の合間を抜けて上空に出た。
眼下に広がる景色に目を疑う。
四方八方、地平線の果てまで紅葉で彩られていた。それ以外のものは何もない。

異常だ。

「……ピジョット、下に戻ってくれ」

了解とばかりにピジョットは一声鳴いて、地上に降り立った。

「ありがとう、ピジョット」

「で、どうやった?」

ピジョットを労ってからボールに戻し、ハヤトが上空からの様子を伝えると、アカネとミカンは目を瞠った。

「そんなアホな!そんなとこジョウトにはないで!」

「何かの見間違いではないの?」

「せやせや!ハヤトはどっか抜けとるし!」

「残念ながら、ハヤトさんが見たものは見間違いではありませんよ」

今にもハヤトに掴み掛かろうとしていたアカネを止めるかのような声が背後から聞こえた。

「誰だ!?」

ジムリーダー三人はモンスターボールを手にして振り返った。
一瞬の後、木々の合間から呆れたような表情を浮かべたアキラと困ったように眉を下げて笑うユイが出てきた。

「あたしです。そんな警戒しないでください」

「驚かせてごめんなさい」

緊張の糸が切れて、ジムリーダー三人は肩の力を抜いた。

「あんたらもここに来てたんか」

「不本意ながら」

「ところで、さっきの言葉はどういうこと?」

ああそうだった、と独りごちて、頭や肩についた落ち葉を払いながらアキラは口を開いた。

「あたし達も空から見てみたんですが、ハヤトさんが見たように紅葉しかありませんでした。名付けるなら、『茜の森』と名付けたいくらいですよ」

後半は自棄になっているような口調だ。
落ち着いているように見えて、まだ戸惑っているのかもしれない。

「アキラが見たんなら、確かやろや」

「アキラちゃんが見たのなら、信じるしかないわね」

「なんだその俺の時にはなかった全幅の信頼は」

「だってアキラちゃんですから」

ユイの追い討ち。
ハヤトは落ち込んだ。
あとの三人は気付いていたがスルーした。

「ただ、実を言うと、この景色が本物であると断定は出来ないのですが」

「どういうこと?」

ミカンが眉を上げた。

「ポケモンの中には幻覚を見せるものもいるので」

「うちらが全員その幻覚を見せられているかもしれんいうことやな?」

アカネの言葉にアキラは無言で頷いた。

「一応、出口がないか探してみようと思って、木に紐を結びながら直進してみたけど、いつの間にか元の場所に戻ってたんですよね」

「だから、幻覚の可能性が高いです。でも、シンオウ地方には破れた世界という場所もあるらしいですから、もしかしたらそういう異次元のような場所かもしれません」

蹲ったハヤトの髪に紅葉を刺して遊んでいたユイの言葉をアキラが引き継いだ。
アカネとミカン、そしてようやく浮上してきたハヤトは頭を抱えた。
幻覚ならば大元のポケモンをどうにかしなければならないし、異次元ならば見つかるかもわからない出口を探さなければならない。
救いがあるのは幻覚の方だが、それでも大変なことにはかわりない。

「そうだ。ポケギアは繋がらないのか?」

「あっ、せやな!ポケギアが繋がればなんとかなるかもしれへん!」

「ハヤト君もたまには頼りになるわね」

「なんか引っ掛かる言い回しだな」

紅葉で飾られて少々愉快な頭になったハヤトの提案に乗り、アカネとミカンは早速ポケギアで電話を掛けた。
アキラとユイは苦い顔でそれを見ていたが、何も言わなかった。

「ミカン、繋がった?」

「いえ、圏外みたいで全然」

「うそっ!?うちのは繋がって待機中やよ」

それから10秒ほどすると、電子音が止んだ。

「あっ、もしもし。イブキ?」

『あひゃひゃひゃひゃ!』

「きゃあっ!」

電話口から聞こえてきた声驚き、アカネは思わずポケギアを地面に叩きつけた。
あまりにも不気味な声だったためか、目には涙が浮かんでいる。

「なんやの!?なんやの今の声!?うちはイブキにかけたはずやよ!」

「ここでは圏外か、繋がっても変な声しか聞こえませんよ」

「先に言うてや!」

「一縷の望みにかけてみようかと思いまして」

飄々としているアキラに、涙目のアカネは怒鳴った。
せめて忠告くらいはしてやれよ、とハヤトも思わずにはいられない。実はアカネが怖がりと知っていればなおさらだ。
ハヤトと同じことを考えていたのか、ミカンは苦笑しながら宥めるようにアカネの頭を撫でていた。
その横でユイはポケギアを拾って、耐久性高くてよかったー、と呑気に笑っている。

「でも、まだ笑い声でよかったじゃないですか。あたしなんて、『ハァハァ』っていう荒い息が聞こえてきましたよ」

それは最早イタ電だ。

「ユイはあまり怖がってなさそうだな」

「いやいや、怖かったですよ!怖くて、暑いのかハァハァ口で息してたティコの……あっ、あたしのメガニウムの口元に電話口を近付けてみたら、お互いしばらくハァハァしてました」

「それのどこが怖がってるやつの行動なんだ!?」

ハヤトは反射的に突っ込んだ。
アカネのようにポケギアを地面に叩きつけるのもどうかと思うが、ユイはそれの斜め上だ。

「あんまり細かい事気にしないでくださいよ」

「どこが細かいんだ!」

「あっ、アカネさん。ポケギア壊れてませんでしたよ」

「ありがとなー。ごめんな、取り乱して」

「完全スルーかよ!泣くぞ!」

女子はハヤトのことなど無視して今後のことを話し合っていた。
本当に涙が出てきそうだ。

「まあ、こういう時は動かない方が賢明ですね」

「アキラちゃんの言う通りね。幻覚なら、まだ何かしかけてくるでしょうし」

まだ何かあるのかと、この中でも特に怖がりなアカネは身震いした。

「動いてないと、あれこれ考えてもうて落ち着けんなぁ」

「俺もだ。お前達はこんな状況でよく落ち着いてられるな」

ハヤトは動じてない三人に目を遣った。
ユイとアキラはミカンの髪に紅葉を飾っていた手を止めて、ハヤト達を見返した。

「わたしはアキラちゃんとユイちゃんが落ち着いているから、安心できるの」

「あたし達は、場数踏んでるますからねー」

そうねー、とアキラがユイに同意する。
まだ12歳と幼いが、過日のロケット団のラジオ塔占拠事件を解決した主要人物達だ。
度胸だけなら、この中で一番あるかもしれない。

「二人共、落ち着きたいなら、フェルマーの最終定理でも解いたらいいんじゃないですか?」

「解けるわけないやろ!」

「フェルマーの最終定理って、そんな片手間で解くものだったか!?」

フェルマーの最終定理とは、簡単に言ってしまえば物凄く難しい数学の問題で、完全に証明できるまで360年もかかった代物である。まかり間違っても、こんなところで解答できるものではない。

「ほら、ツッコミを入れる余裕はあるじゃないですか」

ふっと笑うアキラにしてやられたと思った。
これでは、どちらが年上だかわからない。

「それにしても、お腹空いたなー」

ユイがわざとらしく腹を押さえて、不満げに呟いた。
こんな時に何を呑気な、とハヤトは思ったが、これも場を和ませようとする彼女なりの気遣いなのかもしれない。

「うーん、今ちょうど食料切らしてるわね。ミカンさんは何か持ってますか」

「おやつのバームクーヘンならあるけど、一人分だから皆で分けるには少ないかも」

申し訳なさそうに眉を下げてミカンが取り出したのは、高さ150メートル、半径10センチ程のバームクーヘンだった。

「でかっ!?これをどこにもってたんだ!しかもこれが一人分!?」

「ごめんなさい。やっぱり、少ないわね」

「どこが!?むしろ五人で分けても余りあるくらいだ!」

ツッコミ所が多すぎてハヤト一人ではツッコミ切れなかった。しかし、誰一人ツッコミを手伝おうとはせず、どうやってバームクーヘンを分けるかを議論している。
深刻なツッコミ不足である。

「やっぱり、平等に30センチずつ分けるべきですよね」

「いやいや、ミカンはよう食べるし、ユイもお腹空いとるから、その二人の分は多めにして」

「あたしはそれに賛成でーす!」

「待って、ハヤト君も男の子だからよく食べるかも」

「いや、俺の分は少なくてもいいよ」

「甘いもの嫌いだった?」

「そうじゃないけど」

この量は流石に無理だ。
よく当然のようにこれを食べきれると思えるな。
デザートは別腹というものだろうか。
それにしたって、そんなに食べたら、

「太るんじゃないか?」

思わず心の声が漏れた。
すると、ミカンがきょとんと首を傾げた。

「普通、このくらいじゃ太らないわよ。ねぇ、アカネちゃん?」

「せやな。うちはだいたい胸にいくし」

「そうなのか?アキラとユイは?」

女ってそういうものなのかと納得し、同じような答えが返ってくるものと予想して話を振って、ハヤトは激しく後悔した。

「頑張って動いて消費するに決まってるでしょう」

「じゃないと、胸じゃなくて腹につくんですよ」

アキラとユイの背後に、嫉妬の塊のような黒いものが見えた気がして、ハヤトはひっと小さな悲鳴を上げた。
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