いつかのワンダーランド
燦々と照りつける太陽。青く輝く海。
まるで真夏のように熱い砂浜に腰を下ろし、オレはぼんやりと海を眺めていた。

イッシュ地方から遠く離れたホウエン地方は、まさに南国だった。文化的にはカントー地方寄りで、本場のアローラ地方とは全然違うらしいが、海に囲まれた常夏の大自然は雄大で、イッシュしか知らなかったオレにはどこもかしこも新鮮だ。
ここ、104番道路から見える海も広く澄んでいる。
故郷のカノコタウンにも海はあったし、リゾートとして有名なサザナミ湾も見たことはあったが、目の前で轟く海はそれともまた違う迫力があった。うまく言葉にできないが、なんというかすごく強そうだ。
波の音も大きく、聞いていると心が落ち着く。トウカの森で連戦して疲れた身体もリフレッシュできる気がした。

(そういや、あいつもトウカだったな……)

104番道路の北に広がるトウカの森と、東に位置するトウカシティ。
奇しくも、それと同じ名前の少女が頭に浮かんだ。「素敵」と柔らかな声で笑う、この世界とよく似た別の世界で出会った少女が。

(元気にしてるといいけど)

流石に陳腐すぎるな。けど、もう会えない相手に対して願えることなんて、そのくらいだった。
会えるものならもう1度会ってみたいけど、別の世界への行き方なんてわからねえしな。

つらつらとそんなことを考えていると、視界の端を黒っぽいものが掠めていった。思わず目で追いかけると、大きな緑色の瞳とかち合う。紫色の胴と頭の横から生えた2本の角に金色の輪っかをつけたポケモンだ。人型に近いが、足はなく、絵本の中の魔神や精霊のようだった。

はじめて見るポケモンだ。この辺に棲息してるんだろうか。
オレはポケモン図鑑で確認してみようと、バッグに手を突っ込んだ。

その時、悪戯っ子のように、ニヤリと魔神のようなポケモンが笑った。角にかけていた輪っかを1つとって、オレの前に投げる。
なんなんだ? と首を傾げながら立ち上がり、輪っかをとろうと屈んだ時だった。
どん、と背中を強く押された。当然、前に倒れ、砂浜に手をつく……はずだったが、手をつく予定だった輪っかの中が何故か穴になっていた。底の見えない、深い闇に。

「えっ?」

重力に従って、オレは穴の中へと落ちていく。けらけら、と楽しげで意地の悪い笑い声を聞きながら。


******


永遠とも錯覚するような長い長い落下の末に待っていたのは、敷き詰められた木の葉だった。かなりの高さから落ちたはずなのに、木の葉がクッションになってくれたのか、たいした痛みはない。

「なんなんだ、いったい」

上体を起こしかけ、オレは周囲の景色に驚愕した。
紅葉で彩られた木々が森のように立ち並んでいる。見上げた青空は穴の中特有の丸く切り取られたものではなく、ところどころ枝葉に遮られながらも延々とどこまでも広がっていた。
ふいに、そよ風が頬を撫でていく。さっきまでは夏のような暑さだったのに、肌寒く感じるほど涼しい風だった。オレはバッグの中に仕舞っていた長袖のパーカーを引っ張り出して羽織った。

「どこだ、ここ?」

穴の中でないことは確かだ。
落ちた穴の先に広がるのは見知らぬ世界、なんて昔読んだ童話かよ。

あれは結局夢オチだったよな。
軽く自分の頬をつねってみる。……痛いな。

腰につけたモンスターボールは無事だった。中に入ってるポケモンになにかあった様子もない。バッグの中も確認してみたが、とくになくなったものはなかった。

「タージャ、でてきてくれ」

とにかく1人でこの状況にいるのがきつくて、オレはジャローダのタージャをボールから出した。
タージャは辺りを見回すと、ふいに蔓でオレの後頭部を叩いた。

「いだっ!?」

痛みに歪んだオレの顔を見て、タージャは納得したように頷いた。

「夢かどうか確かめたいからって、オレを叩くなよ!」

「ジャロ」

文句を言うが、タージャはどこ吹く風だ。
たく、お前はそういうやつだよな。

「夢じゃないとすると、なんなんだろうな、ここ」

まず思い浮かんだのは、ホウエン地方ではマボロシの場所と総称される時空の乱れによって突如出現するという異空間だった。あの穴が時空の乱れだったのかもしれない。
あの穴が現れた時の状況を考えるに、多分あの魔神のようなポケモンが時空の乱れを生み出したんだろう。以前、シロナさんから破れた世界という別の世界に棲むポケモンについて教えてもらったことがある。あのポケモンも、そういうものなのかもしれない。

それにしても、別の世界か。
またトウカに会えたりして。いや、流石にそれは都合がよすぎるか。

「まっ、こんなとこでじっと考えてても仕方ねえか。あのポケモンか、なにか知ってる人を探そうぜ」

「ジャロ」

さくさくと紅葉を踏み鳴らし、オレたちは適当に歩き出した。
とくに行く宛もなく歩いていると、木立に隠れていた瓦屋根の塔が遠くの方に現れた。瓦屋根自体はホウエンでもよく見かけたが、あんな風に何重にも積み上げられた塔ははじめて見る。ジョウト地方にあるという古い塔もあんな感じなんだろうか。
確実に人がいるとすれば、あそこか? 確証はないが、他に目標もないし、ひとまずはあそこを目指してみるか。

しばらく歩くと、どこからか声が聞こえてきた。人じゃない。ポケモンの声だ。
足を進めるごとに声は大きくなっていく。どうやら、1匹ではないらしい。何種類ものポケモンの声が混ざっていた。

「タージャ、どうする?」

余計な戦闘を避けるために迂回するか、あのポケモンがいることに賭けてこのまま進むか。
タージャは声のする方をしばらく見据え、少し口の端を上げた。そのまま身体をくねらせ前に進む。声の主たちに会いにいくつもりらしい。
やけに上機嫌なのが気になるが、ついていくか。シーマやグリじゃないんだから、わざわざ危険に突っ込んでいくことはないだろう。

そのまま進んでいくと、ちょっと開けた場所にでた。その割にさほど広く感じないのは、そこに10匹近いポケモンとこちらに背を向けて倒木に座る少女がいたからだ。
白いキャップから出たボリュームのあるブラウンのポニーテールと黒のベスト。その組み合わせはよく知った友人のもので、オレは7割方確信しながらそいつの名前を呼んだ。

「おーい、アマネだよな?」

少女が不思議そうに振り返る。オレを認めて目を見張った顔はアマネと同じだったが、雰囲気がアマネとはまるで違っていた。

「トウヤくん……じゃないわよね?」

アマネによく似た少女が口にして否定したオレのものではない名前。前に、一度だけその名前のやつと間違われたことがあった。アマネによく似た、アマネではない少女に。

「もしかして、トウカか?」

「ええ。あなたはミスミ、よね?」

「ああ」

頷き、オレとトウカは驚きの表情を浮かべたまま、なにも言えずに見つめ合った。
会えるものならまた会いたい、とは思ったが、まさか本当に会えるとは。

いつの間にか思い思いに遊んでいたトウカのポケモンたちも集まってきて――こないやつや隠れてしまったやつもいるが――、不思議そうに、あるいは面白そうにオレたちを眺めていた。
前に会った時には連れていなかったポケモンもいる。あれから新しく捕まえたんだろうか。

ちら、と横目でタージャを窺うと、満足そうにオレを見ていた。
こいつ、声を聞いた時点で気付いてたな。

「えっと、久しぶりだな」

とりあえずなにか言おうと口を開いたが、出てきたのは月並みにもほどがある言葉だった。
今回は最初からここが異世界だとわかっていたから、心の準備はできているつもりだったが、意外と混乱しているのかもしれない。

予想はしていたオレですらこのざまなんだから、 トウカはもっと混乱しているんだろう。いまだにぽかんとした顔でオレを見上げていた。

「まさか、また会えるなんて」

「素敵?」

先に彼女の口癖を言ってやると、トウカは目を丸くして、それからおかしそうに笑った。

「ええ、そう、素敵」
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