いつかのワンダーランド
「ヒイィィン!」
「ゼーブー!」
一緒にお菓子を食べ回っていたシーマとワッフルが、突然同時に駆け出した。青と白の稲妻が紅い木の葉の中を駆け抜けていく。
腹ごなしのかけっこか?
「ぶつかるなよ! ちゃんと前を見ろよ!」
注意するが、2匹が聞いてくれてるとは思えない。グリの楽しそうな声援には応えるくせに、オレのことは見てもくれねえし。
タージャになにかあったら止めてくれと頼んでおくが、こっちも鼻を鳴らしただけで、聞いてくれるかは微妙だ。
ユラとリクはシーマとワッフルを見て苦笑し、近くにいたトルテとシフォンに話しかけていた。多分だが、シーマとワッフルは似た者同士だとか、そんな感じの世間話でもしてるんじゃないだろうか。
トルテの方は無邪気に笑って相槌を打っていたが、シフォンの方は相変わらず腕を組んだままそっぽを向いていて、ユラとリクの話を聞いているのかさえわからなかった。それでも2匹に気にした様子がないのは、タージャで慣れているからか、前回シフォンがリクにマカロンをあげて仲良くなるという大役を任されたからか。
「シャン、シャーン」
「コン?」
「シャーン」
ユラは炎の灯る手でトルテの瞳を示し、それから鮮やかに色づいた紅葉を示した。トルテの瞳の色と紅葉の色が同じだと言いたいらしい。もしかすると、どちらも綺麗な色だとも言ったのかもしれない。トルテの笑みに、少し照れが混じったような気がする。
「シャン?」
そう思うでしょ? とばかりにユラはシフォンに話を振る。
ゾロ、とシフォンは素っ気なく返事をした。かと思えば、軽やかに跳躍して紅い葉を纏った木に登る。すぐに降りてきたシフォンの赤黒い爪には、一際色鮮やかな紅葉が握られていた。
きょとんとするリクとユラなど視界に入っていないかのような態度でシフォンはトルテを見つめ、器用にも豊かに流れる金色の鬣に簪のように紅葉を挿した。
「ゾロ」
「コーン」
無愛想に短く鳴くシフォンに、トルテが今日一番の笑顔を咲かせた。紅葉と同じ鮮やかな色をした瞳が細められ、9本の尾がふわりと揺れる。蜜のような日の光が辺りに弾けた。
あまりにも仲睦まじい様子に、ユラは頬に手をあてて炎を揺らし、リクは落ち着かなく身じろぎする。
オレも脳内でシフォンの鳴き声に「お前の方が綺麗だけどな」とかそんな感じのクサい台詞を重ねてしまって、胸やけしそうだった。すりすりと甘えるようにトルテにすり寄られ、満更でもないような顔をした――たいして表情は変わってないが、そう見えて仕方ない――シフォンに、生ぬるい視線を送ってしまう。
「あなたも同じ色ー」とばかりにフランの赤い翼に紅葉をあてるアルと照れたようにはにかむフランのことは、ただただ可愛くて微笑ましく思えるんだけどな。
「今、シフォンに“メロメロ”を撃ってみてえな」
「しないでね、トルテが怒るから。ギーマさんのレパルダスに“メロメロ”にされた時も、すごい剣幕だったんだから」
「へえ……、見てみたいな」
「ミスミ」
きつめに名前を呼ばれ、非難めいた目を向けられる。
「ほんとにはしねえから安心しろよ」と半笑いで返すが、好奇心はむくむくと膨れ上がった。ユラかアルを巻き込むのは気が引けるから実際にはやらないが、“メロメロ”になったシフォンも怒ったトルテもすげえ見てみてえ。
「色恋沙汰には全然縁がなかったから、ちょっとからかってみたくなったんだよ」
冗談半分本音半分の言い訳を告げると、どうしてかトウカが目を丸くした。
「えっ、ミスミの幼馴染にもベルがいるのに? それに、チェレンも」
なんで、そこでベルとチェレンがでてくるんだ? 生まれてからずっと一緒にいたけど、あいつらも色恋沙汰とは無縁だったぞ。
いや、待てよ。……まさか、
「もしかして、トウカの幼馴染のベルはチェレンとトウヤってやつに惚れられてるのか?」
トウカはわずかな変化ながら、しまったと顔を顰めた。
「それについてはノーコメントにしておくわ。ただ、私が男の子だったら絶対にベルのことを好きになっていただろうから、ミスミはそうじゃないのが意外だったの」
まじか。
なにがびっくりって、トウカの目が本気なのが1番びっくりだ。
(ベル、お前、パラレルワールドでは魔性の女らしいぞ)
脳裏にマイペースな幼馴染のふわふわした笑顔が浮かぶ。可愛いのは認めるが、オレには妹のようにしか思えなくて、モテると言われてもしっくりこない。
それとも、オレの幼馴染とトウカの幼馴染は名前が同じだけで、見た目や性格は違うのだろうか。トウカとアマネも、オレとトウヤってやつも、顔は同じなのに生まれ育ちや性格は違うらしいから、その可能性もなくはないが。生まれ持った性質の違いがあるとはいえ、同じ幼馴染と育ったはずのオレとトウカの性格もまるで違うしな。
「ヒイィィン!」
「ゼブゼブ!」
「フィィ!」
そんな思考を遮ったのはシーマとワッフルのはしゃいだいななきとパフェの痛ましい悲鳴だった。
そっちを見ると、シーマとワッフルがパフェを追いかけ回していた。シーマとワッフルは遊んでいるつもりらしく楽しそうに笑っているが、追いかけられているパフェは必死の形相だ。2匹のゼブライカが怖くて堪らないらしい。
「ワッフル、だめよ!」
「シーマ、とまれ!」
言葉で制止するが、それでとまるようなやつらではない。
代わりにキッシュとムースが間に割り入り、シーマとワッフルを押しとどめた。力比べか! と瞳を輝かせて、シーマとワッフルはキッシュとムースを押し返す。負けじとキッシュは素早く羽ばたき、ムースも力強く踏ん張った。
奥で「リュウー」とグリが野次を飛ばし、つられるようにアルとシャルロットも「クアー」「ヤプー」とよくわかってないような声援を送る。少し離れたところでは、シフォンが意地の悪い笑みでパフェのことを見ていた。
一方、パフェは背後でそんな勝負がはじまったことに気付いておらず、いまだに一目散に逃げ回っていた。ミルフィーユが捕まえにいくが、逃げ足がはやくて追いつけてない。
「フィィ!?」
その時、パフェがなにかにぶつかった。それはリクの横っ腹だった。リクの身体を覆う長い毛に埋もれて、なにが起こったのかわからずパニックになる。あたふたと、マントのような黒く長い毛の中で紫色の塊が跳ね回った。
「ばう」
リクは身じろぎし、うまくパフェを背中に乗せた。大丈夫だ、とでも言うように落ち着いた声で鳴いて、ゆらゆらと身体を揺らす。あれはランが――リクの母親がリクを落ち着かせる時によくやっていた仕草だ。
しだいにパフェも落ち着いたのか、リクの背中で大人しくなった。
リクがゆっくりと歩いて、オレたちのところにやってくる。トウカの前でとまって、ばう、と鳴くと、リクの首元に埋まっていたパフェが顔を上げた。「ありがとう、リク」とトウカがリクの頭を撫でる。
「パフェ、おいで」
トウカが腕を広げて呼ぶと、パフェはとんっとトウカの膝に跳び乗った。甘えるようにすり寄って、トウカに耳の付け根を撫でられる。怯えていた顔が徐々に安らいでいった。
「リク、よくやった」
リクの首回りをくすぐるように撫でてやる。リクは気持ちよさそうに目を細めた。
しばらく堪能すると、リクはついとパフェに顔を向けた。
「ばうばう」
「フィ、フィィ」
リクがにおいを嗅ぐようにそっと鼻先を近付ける。パフェは一瞬びくりとしたが、恐る恐るながら同じように鼻先を近付けた。挨拶でもするように小さな鳴き声を交わす。リクが笑顔を向けると、パフェもちょっとだけ目を細めた。
「臆病者同士、気が合ったみたいだな」
「そうみたいね」
オレとトウカも顔を見合わせて、安堵の笑みを浮かべた。
******
「そういえば、ミスミがゲットしたポケモンは、今連れているコたちだけなの?」
ふと、そんなことを尋ねられ、オレは少し返答に困った。
ただゲットしたポケモンならもっとたくさんいるが、一緒に旅をしないかという誘いにのってくれたやつ以外は逃がしているから、仲間と呼べるのはこいつらだけだ、というのが今までの模範解答だ。
だが、それには少しだけ嘘が混じっている。
本当はもう1体いる。簡単にひとには見せられないオレたちの仲間が。
オレの返答を待つトウカの顔をじっと見据える。
トウカになら、見せてもいいか。オレの考えが正しければ、トウカもきっとオレと同じだろうから。
「実は、もう1体いるんだ」
オレはバッグから7つ目のモンスターボールを取り出した。
なにかを感じとっているのか、そいつはボールの中でそわそわと翼を震わせていた。
「でてこい、レシラム」
軽く放り投げたボールが空中で開く。純白が虚空に現れ、日の光を纏って煌めく。
そして、地を鳴り響かせてレシラムは降り立った。
「やっぱり、そうなのね」
凪いだ泉のような瞳でトウカは呟いた。
「私も、もう1体、ミスミに見せていなかったコがいるの」
トウカの手にはモンスターボールが握られていた。
「でてきて、レシラム」
軽く放り投げたボールが空中で開く。純白が虚空に現れ、日の光を纏って煌めく。
そして、地を鳴り響かせてレシラムは降り立った。
まるで、同じフィルムをもう1度流したみたいな光景だった。映画だったら手抜きだと笑ってやるところだ。
オレは目の前にいる2体のレシラムを見上げた。翼を畳み、レシラムたちは静かに見つめ合っていた。どちらも奇妙な心持なのか、時々落ち着かなく身体を揺らしている。それを見守っている他のポケモンたちも、程度の差はあれど驚いているようだった。いつもなら騒ぎそうなシーマとグリが大人しいのも、単純に驚きすぎて動けないせいだろう。
それほどあり得ない光景だった。1体しか存在しないはずのレシラムが2体並ぶなんて。パラレルワールドだからこそ、できたことだった。
「レシラムをゲットしてるってことは」
「ミスミも戦ったのね」
Nと――。
どちらともなく口にした名前は、重なって風に消えた。
沈黙が辺りに落ちる。次に、なんて切り出すべきかわからなくなった。ひらひらと視界の端で紅葉が落ちていく。
「ヤープー」
「ドーリュー」
沈黙を破ったのは、シャルロットとグリだった。2匹ともレシラムたちを見上げて、なにか話しかけている。
レシラムたちは苦笑のようなものを浮かべると、シャルロットとグリを交えて鳴き声を交わし合うようなった。それを皮切りに、他のポケモンたちも輪の中に入っていく。斜に構えたタージャとシフォンや、怯えてどうしていいかわからないパフェと一緒になって困惑したままのリク辺りは距離をとったままだが。
「トウカのレシラムの方が、毛並みがいいな」
やっと口に出せたのは、そんな些末なことだった。
「ママに教えてもらったブラッシングのおかげかしら」
「だから、他のポケモンたちも綺麗なのか」
オレとトウカは全然違う。
パラレルワールドとはいえ、同じカノコタウンに生まれて、同じようにチェレンとベルという幼馴染と育って、同じようにアララギ博士からポケモンを貰って、同じツタージャを選んで、同じように幼馴染と一緒に旅立って、同じようにNと戦ったとしても、オレとトウカは全然違う。よく似た道のりを歩んでいたとしても、その旅路もきっと違うものなんだろう。
今目の前にいるポケモンたちが証明していることを、オレははじめて気付いた気持ちになった。
「トウカが戦ったNも変なやつだったか?」
「不思議な人だったわ。それに、すごく勝手な人」
「オレもオレの世界のNには迷惑ばっかかけられたな。散々好き勝手しまくって、最後は晴れ晴れと旅立っていきやがった」
「それも同じなのね……」
かすかにトウカの瞳が揺れた。
オレはあえて見ないふりをすることにした。どう反応してやるのが正解か、よくわからなかった。
「今頃、どこでなにしてるんだか」
「どこにいても、絶対に幸せでいると信じているけれど」
「ああ、絶対にそうだ。で、そのうち前みたいにひょっこりオレたちの前に現れるんだ」
「そうだったら、素敵ね」
トウカの声がかすかに震えた。まるで泣きながら祈るような声だった。