神話の演者たち
糸の先に待ち受けていたのは、雑居ビルの中に紛れた、ヒウンの夜闇を一身に引き受けたような漆黒のビルだった。入り口の隙間から、虫ポケモン――アーティさんに訊いたところ、ハハコモリというらしい――の糸が伸びている。

「ここが」

「彼らのアジト、かな。まさか、ジムの真ん前とはね」

オレの呟きに続けたアーティさんは、なかば呆れたようにビルを見上げた。
近くを見回しても一目でジムとわかる建物はないが、ジムリーダーのアーティさんが言うのだから、このビルの向かいがヒウンジムなのだろう。よく見ると、それらしいモンスターボールのエンブレムが向かいのビルの入り口の上に飾られている。

プラズマ団のやつら、ずいぶんと大胆なことをするな。それもこれも、自分たちが正しいと信じ込んでいるからなのか。
まるで自分たちの所業を見せつけているようで、どことなく気味が悪い。

閉ざされたガラス張りの入り口から中を覗いてみる。ぱっと見はよくあるビルのエントランスホールだ。灯りはついているが、人もポケモンも見当たらない。
アーティさんがガラス戸の取っ手に手をかける。押したり引いたりするが、開く気配はまったくなかった。

「開いてないね。どうする? インターフォンでも押してみる?」

「開けてくれるわけないでしょうが」

「だよね」

こんな状況で呑気に笑うアーティさんに腹が立つ。

(いや、きっと実力に裏打ちされた自信があるからこその余裕だ。この糸といい、見た目に似合わず策士みたいだし)

オレは自分に言い聞かせ、なんとか心を落ち着かせた。
アーティさんに苛立ってなんになる。そんなのは、ただの八つ当たりだ。それに、場慣れなんてしてないんだ。信頼できるものは多い方がいい。

「やっぱり、強行突破しかないか」

アーティさんは目を眇めると、少し硬い声でハハコモリを呼んだ。
ハハコモリは葉の腕を鋭い刃に変え、まるで紙のように軽くガラス戸を切り裂いた。床に落ちたガラスが音を立てて割れ、けたましい警報が鳴り響く。
と、奥の階段からばたばたと足音を鳴らしてプラズマ団の下っ端たちが6人降りてきた。
そのなかには、

「やばっ、ジムリーダーだわ」

さっきの間抜けな団員の姿もあった。

「お前、あとをつけられたな!」

「だから、あれほど油断するなと言ったのに!」

「くそっ、連帯責任で俺まで怒られたら、どうしてくれるんだ!」

間抜けな団員は口々に他の団員から責められた。なにか言い訳しようとしているが、5人同時に言い募られては口を挟む隙もない。
やるなら、内輪もめしてる今がチャンス!

「タージャ、“グラスミキサー”」

タージャは尻尾を振って草葉の旋風を起こし、プラズマ団たちに叩きつけた。正面からくらった団員たちは悲鳴を上げ、なんとかそこから抜け出そうもがく。
そのなかで1人がモンスタボールを放り投げた。ボールから現れたハトーボーが激しく羽ばたき、風を起こして草葉の旋風を相殺させる。

「んだよ! ひとのポケモン奪ったぐらいでマジかよ!」

ハトーボーを出した団員が息を切らしながら悪態を吐いた。

「奪ったぐらい、じゃねえだろ! ムンちゃんを返しやがれ!」

オレは3つのボールを投げ、リクとシーマとグリを外に出した。リクが身構え、シーマとグリは目を爛々と輝かせて足を踏み鳴らす。
プラズマ団の連中はわずかに怯んだ様子を見せた。

「いいじゃない、ひとのポケモン奪ったって!」

「弱いトレーナーにこき使われるポケモンの気持ちを考えろ!」

こいつら、揃いも揃って本当にロクでもない連中だな。

「タージャ、もう一度“グラスミキサー”! シーマはハトーボーに“でんげきは”!」

タージャは再び草葉の旋風をプラズマ団に向かって放ち、シーマは鬣の先から稲妻を撃った。
しかし、攻撃が届く前にプラズマ団がボールを投げ、

「ゼブライカ!」

そこから現れたシママに似ているが、もっと体躯の厳ついポケモン――ゼブライカにシーマの放った稲妻が引き寄せられた。

特性“ひらいしん”か!

「ハトーボー、“エアカッター”!」

フリーになったハトーボーが羽ばたきで風を起こし、さっきと同じようにタージャの攻撃も打ち消されてしまう。
それどころか、勢いを落とすことなく、空気の刃となってタージャに向かっていった。

「“むしのていこう”」

アーティさんの指示に合わせ、ハハコモリがタージャの前で出る。ハハコモリはクロスした腕を振り広げて“エアカッター”を撃ち返した。直撃したハトーボーはタメージこそあまりないようだが、顔をしかめてハハコモリを睨んだ。

「あまり手荒なことはしたくないんだよね。だから、はやくポケモンを返してくれないかな?」

アーティさんがあくまで穏やかな声で尋ねる。
だが、そこで素直に「はい」と言うようなやつらではなかった。

「返してやったところで、あのポケモンは幸せにはなれないぞ! お前たちのポケモンも解放して、我々の崇高なる理念をわからせてやる!」

プラズマ団の連中は一斉にボールを投げた。ミルホッグにハーデリア、ヒヤップやダゲキなど、様々な種類のポケモンが現れる。ざっと数えたところ、ハトーボーとゼブライカもいれて20匹か。数の上では分が悪いな。

「……ったく! というわけで、ミスミさん。4匹は任せたよ」

「任されました!」

どうやら、数の多少なんてジムリーダーには関係ないらしい。
アーティさんはハハコモリの他にペンドラーをはじめ5匹の虫ポケモンを出して、プラズマ団のポケモンに向かわせていった。

オレもタージャたちに指示を出し、アーティさんのアシストをさせる。
基本はポケモンたちに任せ、必要だと思ったら指示を出す。これまでの短い旅であいつらもお互いの得手不得手は把握しているから、タージャとグリとシーマはそれぞれ自分の有利な相手と応戦し、リクはみんなのサポートに徹していた。
主にアーティさんのポケモンによって、次々とプラズマ団のポケモンが倒れていく。タージャたちも善戦し、最初の予定通り4匹は倒した。

「マズイ……マズイマズイマズイマズイマズイマズイ。プラズマ団としてマズイ、ちぢめてプラズマズイ! とりあえず七賢人さまに報告しないと……!」

プラズマ団の1人が踵を返し、階段を上っていく。

「待て、こら!」

追いかけようと踏み出すと、アーティさんのポケモンと戦っていたはずのヒヤップが行く手を阻んだ。

「シーマ、“スパーク”!」

シーマが全身に電気を纏い、ヒヤップに突進していく。横からシーマの攻撃を受けたヒヤップが壁に叩きつけられた時だった。

「ミスミさん、危ない!」

アーティさんの声に振り返ると、ダゲキの拳が目の前に迫っていた。反射的に腕で頭を庇って後ろに跳ぶが、間に合わない。

「“シェルブレード”!」

その時、鈴を鳴らしたような声が聞こえた。目を開けると、ミジュマルに似た、けれどミジュマルよりも大きく険しい顔をしたポケモンが貝の剣でダゲキの拳を受け止めていた。
こいつは、もしかして――。

「オノノクス、“ドラゴンテール”!」

ミジュマルに似たポケモンがダゲキに押されそうになった瞬間、斧のような牙を持つドラゴンポケモンが尻尾でダゲキを薙ぎ払った。受付の机に打ちつけられたダゲキが勝手にボールの中に戻っていく。

「ミスミ、大丈夫!?」

「ベル!」

オレのもとに駆け寄ってきたのは、泣いていたはずのベルだった。

「それじゃ、やっぱり、こいつはミーちゃんか」

ミジュマルに似たポケモンは堅苦しく姿勢を正して頷いた。しばらく見ないうちに進化してたのか。

「それよりも、ベル、なんでここに?」

「アイリスちゃんと一緒にきたの」

ベルが視線で示した方を見ると、ドラゴンポケモンの背にしがみついたアイリスが指示を出し、アーティさんのポケモンとともにプラズマ団のポケモンと戦っていた。タージャたちとミーちゃんも加勢に向かう。

「あたしにできることはないかもしれないけど、それでも、なにもしないで待ってるだけじゃ、だめだって思ったから。だって、ムンちゃんはあたしのポケモンだもん」

ベルは泣き腫らした目に決意を宿していた。
こいつ、こんな目をするやつだったっけ……?
いや、今はそんなことどうでもいいか。

「そっか。おかげで助かった」

ベルに礼を言い、プラズマ団と戦うタージャたちに指示を出そうと戦局を見据える。が、その必要もなさそうだ。数の上でも劣勢になったプラズマ団はほとんど一方的にやられていった。
最後の1匹が戦闘不能になると、アイリスがドラゴンポケモンの上から怒らせた目でプラズマ団たちを見降ろした。

「さあ、おねえちゃんのポケモンをかえして!」

「何故、返さねばならん」

「てめえ、状況を考えろよ」

プラズマ団の1人に詰め寄ると、くくっと堪らないといった様子で笑いだした。

「なにがおかしい」

「お前たちこそ、状況を考えたらどうだ。ここがどこだかわかっているのか?」

つられるようにして、他のプラズマ団たちも笑いだす。
その光景は異様だった。全員、頭がいかれてるんじゃないか。
ベルもアイリスもアーティさんも、気味が悪そうにプラズマ団を見ていた。

やがて、階段の上からこつこつと足音が聞こえ、ぴたりとプラズマ団たちが笑いを収めた。

「これはこれは、ジムリーダーのアーティさん」

七賢人とかいう古めかしいローブを纏った老人たちを引き連れて、巨大な男が階段をゆっくりと下りてくる。男は幾何学的な模様のローブを纏い、異様な光をたたえた目にモノクルをかけていた。カラクサタウンで演説していたゲーチスとかいう野郎だ。
プラズマ団の下っ端は恭しく頭を下げてゲーチスを迎えた。
ゲーチスから発せられる空気が肌を刺す。気を抜いたら、恐怖で足が竦みそうだった。

「プラズマ団って、ひとが持っているものが欲しくなると、盗っちゃう人たち?」

アーティさんがオレたちを背に庇うように前にでる。わずかに空気の流れが変わったのを感じて、オレは思わず息を吐いた。
ゲーチスは変わらず笑みを浮かべている。それは人好きするものではない。他人を威圧するための笑顔だった。

「ポケモンジムの眼前に隠れ家を用意するのも面白いと思いましたが、意外に早くばれましたな」

「確かに。……まあ、ワタクシたちの素晴らしきアジトはすでにありますからね」

七賢人とゲーチスの冗談めかした会話の節々には、どこかこちらを嘲笑する色があった。
ゲーチスはオレたちに向き直り、同じ色を持った声で語りだす。

「さて、アナタ方、イッシュ建国の伝説はご存じですか?」

「しってるよ! くろいドラゴンポケモンでしょ!」

アイリスの言葉にオレも頷いた。
大昔にイッシュを建国した英雄とドラゴンポケモンの伝説は、イッシュに生まれた人間なら聞いたことくらいはある。詳しい内容は覚えていないが、それが今なんの関係があるってんだ。

「そう、多くの民が争っていた世界をどうしたらまとめられるか? その理想を追求した英雄のもとに現れ、知識を授け刃向う存在には牙を剥いた黒いドラゴンポケモン。英雄とポケモンのその姿、その力が皆の心を1つにしてイッシュを造りあげたのです。今一度! 英雄とポケモンをこのイッシュによみがえらせ、人心を掌握すれば! いともたやすくワタクシの……いや、プラズマ団の望む世界にできるのです!」

つまり、こいつらは神話を再現して、人間とポケモンを引き離そうとしてるのか?
現実離れした壮大すぎる計画に頭がおかしくなりそうだ。

「このヒウンにはたっくさんの人がいるよ。それぞれの考え方、ライフスタイル、ほんっとバラバラ。正直なにをいってるかわからないこともあるんだよねえ」

アーティさんが柔らかな、それでいて真剣味を帯びた声音で語り始めた。
七賢人たちが「はて」「なにを?」と戸惑いを見せる。オレもアーティさんがなにを言おうとしているのかわからない。だが、邪魔だけはしていけないと感じ、静かに成り行きを見守ることにした。

「だけど、みんなに共通点があってね。ポケモンを大事にしているよ。初めて出会う人ともポケモンを通じて会話する。勝負をしたり交換したり、ね」

アーティさんはちらとオレたちに視線をくれた。もしかすると、オレたちだけでなく、このヒウンシティに、このイッシュ地方に、この世界に存在する数多のトレーナーを見たのかもしれない。

「カラクサの演説だっけ? ポケモンとの付き合い方を見つめ直すきっかけをくれて、感謝しているんだよ。そして誓ったね……! もっともっとポケモンと真剣に向き合おう、ってね! あなたたちのやっていることは、このようにポケモンと人の結びつきを強めるんじゃないの?」

挑むようにアーティさんは目を細めた。
真正面からそれを受けたゲーチスは、フハハハ! と腹の底に響く笑い声を上げた。

「掴みどころがないようで、存外切れ者でしたか。ワタクシは頭のいい人間が大好きでしてね。王のため世界各国から知識人を集め七賢人を名乗っているほどです。よろしい! ここはアナタの意見に免じ、引き上げましょう」

えっ、とプラズマ団の下っ端たちが弾かれたように顔を上げた。こいつらのなかでは、ゲーチスがオレたちを捻じ伏せる算段だったのだろう。だが、ゲーチスに異を唱える者は誰もいなかった。

「そこの娘、ポケモンは返してやろう」

ゲーチスはベルを見やると、モンスターボールを投げた。ぼんっと鈍い音を立てて開いたボールからムンナが現れる。ムンナは泣きそうな顔でベルの胸に飛び込んだ。

「あっ、ありがとう! ムンちゃん、おかえり!」

「ベル、あんな連中に礼なんかするな!」

「そうだよ! こいつら、ひとのだいじなポケモンとっちゃったわるものなんだよ!?」

「で、でもお、ムンナが無事で嬉しくて」

オレとアイリスに突っ込まれたベルはたじたじになりながら、ぎゅっとムンナを抱き締めた。よく見ると、ベルの瞳もムンナの瞳も涙で揺れている。
今回はこれで勘弁してやるか。
それよりも、あいつらになにか言わなきゃ気がすまない。

「おい、よく見ろ! ベルだけじゃなく、ムンナだって再会を喜んでる。これで、本当にポケモンが可哀想か? お前らがやってることは、好き合ってるポケモンとトレーナーを不幸にしてるだけだ!」

「おお、これは麗しいポケモンと人の友情!」

ゲーチスは芝居がかった口調で大仰に腕を広げた。オレの言葉も、ベルたちのことも、まったく心に響いてないらしい。

「ですが、ワタクシはポケモンを愚かな人間から自由にするため、イッシュの伝説を再現し、人心を掌握しますよ! では、御機嫌よう……!」

プラズマ団の下っ端がモンスターボールを投げ、リグレーが現れた。リグレーが光を放ち、あまりの眩しさに目が潰される。光が収まり目が慣れた頃には、プラズマ団たちの姿はどこにもなかった。
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