とっくのとうに中身がなくなったコップをかんかん鳴らし、時計をちらと一瞥する。針は9時30分を指していた。
長机の上に置かれた赤い箱は、まだ堅く閉ざされたままだ。

「だーもう！　ベルはまだ来ねえのか！？」

「まさか、本当に遅刻するとはね」

ベルの遅刻癖はいつものことだし、最高3時間も待たされたことがあるから普段ならなんてことないのだが、今日ばかりはオレもチェレンも気が急いでいた。

ふと、ばたばたと慌ただしく階段を駆け上がる音が聞こえてきた。

やっと来たか。

「二人とも、おまたわぁっ！？」

ばんっと勢いよく部屋のドアが開けられ、ベルが姿を現したと思ったら、すっ転んで床につっ伏した。
慌てて長い白のスカートに足を取られたんだろう。
オレはため息を吐いて、ベルを起こしてやった。
隣でチェレンが落ちた緑のベレー帽を拾い、ベルの頭に被せた。

「ベル、大丈夫か？」

「鼻が赤くなってるけど」

「うん、大丈夫」

ベルは赤くなった鼻を押さえて、なんてことないようにえへへと笑った。
鼻をぶつけたみたいだけど、鼻血は出てないし大丈夫か。

「それより、遅れてごめんね」

「ベル、君がマイペースなのは10年以上も前から知っているけど、今日はポケモンが貰えるんだよ？」

「はい、ごめんなさい」

叱られた子供のようにベルはしゅんとした。
耳と尻尾があったら、垂れ下がっていそうだ。

「チェレン、説教はそのくらいにして、はやくポケモン達を出そうぜ」

返事も待たずにアララギ博士から送られた箱のリボンを解き、ゆっくりと開く。
中には手紙とモンスターボールが3つ入っていた。
真っ先にモンスターボールに伸びそうになった手を自制し、手紙を取り出す。手紙には「このポケモン達を3人で仲良く分けてね！」と、アララギ博士の字で書かれていた。つい先日言われたことと同じだ。
その手紙はチェレンとベルに渡す。
そして、オレはモンスターボールを3つ掴み、床に投げた。

ボールが床に着くと同時に、ぼんっと鈍い音を立てて3匹のポケモンが姿を現す。

緑の細長い体に、木の葉のような尻尾を持つポケモン。

オレンジと黒の丸い体で、黒い耳がぴんと立ったポケモン。

二枚貝がついた水色の体に、青い耳のついた白く丸い頭のポケモン。

「こいつらが、オレ達のポケモンか」

「育て甲斐のありそうな子達だね」

「みんな可愛くて、どの子にしようか迷っちゃうねえ」

現れたポケモン達を前に、オレ達ははしゃいでいた。
オレンジのポケモンは物珍しそうにきょろきょろし、水色のポケモンは興味津々にじっとこっちを見つめている。
緑のポケモンは辺りを見回すと、オレを見上げてにっと口角を上げた。

おっ、気に入られたのか？

そう思ったのもつかの間、緑のポケモンから蔓が伸びて、オレのキャップを奪い取った。

「あっ！？　なにすんだ、お前！」

取り返そうと腕を伸ばすが、ひょいと避けられる。
ベッドの上に座った緑のポケモンはけたけた笑って、見せ付けるようにキャップを被った。

この野郎！
馬鹿にしやがって！

「返せ！」

何度も捕まえようと試みるが、ひらりひらりと躱されてしまう。素早さはかなり高いみたいだ。
だが、ここはオレの部屋だ。地の利はこっちにある。
相手の動きを予測し、壁際まで誘導していく。
背中に壁が当たり、緑のポケモンがはっと息を呑んだ。

「もう逃げられねえぞ」

オレは緑のポケモンに飛び掛かった。が、寸でのところで緑のポケモンが跳躍した。伸ばした腕が空を切る。勢いを殺せず、オレはそのまま壁に激突した。

「くそっ！」

じわじわと痛みだした額を押さえて呻いていると、後ろからベルとチェレンの笑い声が聞こえた。

「笑ってないで手伝えよ！」

「ごめんごめん。でも、それくらい多目にみてあげてもいいじゃないか」

「そうそう。きっと、ミスミの帽子が気に入ったんだよ」

……確かに、大人げなかったな。
帽子は別のやつがあるし、気に入ったのなら、あれはあいつにやってもいいか。
心を仏にして、オレは振り返った。

「……って、あいつどこ行ったんだ」

さっきまで後ろにいたはずなんだが。
辺りを見回すと、オレンジのポケモンと水色のポケモンが窓の方を見つめて騒いでいた。
気になってそっちを見てみると、カーテンの隙間から緑の身体が見えた。
あいつ、なんであんなとこにいるんだ？
窓開けっ放しだから危ねえぞ。

……まさか！

予感は的中し、突然緑のポケモンの姿が消えた。
2匹が驚いて声を上げる。
慌てて窓から身を乗り出すと、緑のポケモンが走り去っていくのが見えた。
がっと窓枠に足をかける。

「チェレン！　ベル！　その2匹を見ててくれ！」

「えっ！？」

「どうするつもり！？」

「あいつを追いかける！」

オレは窓枠を蹴り、2階から飛び降りた。