探せ、と硬い声が響いてくる。
オレたちは、立ち並ぶドラム缶の陰でそれを聞いていた。
くそ、あいつら思ったより復活が早かったな。
ほんとなら、あのまま夢の跡地の外へ出るはずだったのに、こんなとこに隠れるはめになってしまった。
ドラム缶の隙間から、目を凝らして様子を見る。
ここから唯一出口へ繋がる道は、プラズマ団の男とミネズミによって塞がれている。
背後の壁を越えようとしても、上空を飛び回るコロモリに見つかるのがオチだ。
かといって、このままここに隠れていても、見つかるのは時間の問題か。
「ミスミ、どうしよう」
今にも泣きだしそうな顔で、ベルは弱々しくオレの服を掴んだ。
その頭を帽子の上からぽんぽんと軽く叩く。
「心配すんな。ムンナはリクとチーちゃんが逃がしてるし、オレたちもなんとかなるさ」
「ほんと?」
「おう、信じろ」
オレは自信ありげに口の端を上げて見せた。
うん、とベルは顔を少し綻ばせて頷いた。
とはいったものの、状況は芳しくない。
ムンナがちゃんと助け出されたかは確認のしようがないから2匹を信じるしかないし、オレたちがプラズマ団から逃げ切れる保証もどこにもない。
戦うって手もなくはねえけど、正直賭けだな。せめて、こっちにもっと戦力がいれば勝率は上がるんだが。
戦力、か……。
「ベル、オレがおとりになるから、その間にここから逃げろ」
「そんな! ミスミを置いていけないよ!」
ベルは悲壮な声を上げた。
丸い頭を裏手で小突く。
「馬鹿、誰がそんなこと言った。助けを呼んで来いって意味だよ」
「あっ、そういうことかあ」
やっとベルの顔に理解と笑みが広がった。
「そういうこと。それじゃ、ミーちゃん、頼んだぜ」
「なんで、ミーちゃんに頼むの?」
「そっちの方が安心だから」
もう、とベルは頬を膨らませた。面白くなって、オレはそのもちもちした頬をつついた。
「はいはい、ミーちゃんもベルも頼んだ」
真剣な顔をして、ベルとミーちゃんは頷いた。
それを認め、オレは辺りを見回した。前にはミネズミとプラズマ団の男。別の場所を探しているのか、女と飛び回っていたコロモリの姿は見えない。とりあえず、男とミネズミを引き付ければ、ベルは外に出られるな。
ジャンプして壁のふちに手をかける。力を入れてよじ登るオレの横で、悠々とタージャが蔓で上に登った。
向かいの天井だったところに飛び移り、オレは声を上げた。
「おい、そこのてるてる坊主!」
「お前、それは私のことか!?」
プラズマ団の男は顔を真っ赤にしてオレを見上げた。
よし、注意を引くことには成功したな。
「お前らが探してるムンナはオレがゲットしてやったから、探したって無駄だぜ!」
「なんだと!? お前、そこを動くなよ! ムンナとともに、力ずくでお前のポケモンも奪ってやる!」
プラズマ団の男はミネズミとともに駆け出した。それを見下ろしながら、オレたちも天井を走る。
力ずくで奪うって、あいつらの目的はポケモンを解放することじゃなかったのかよ。
まっすぐ進んでいくと、途中で道が崩れ落ちていた。身体を乗り出して見下ろす。男がすぐそこまできていた。
しかもここから降りたら、袋小路に入ってしまう。
ま、いっか。1対1ならなんとかなるだろ。
わざと男の前に飛び降りる。目の前の男はにやりと口角を上げた。
「追い詰めたぞ」
「タージャ、“グラスミキサー”」
タージャが尻尾を振り、草葉の旋風を巻き上げた。草葉の旋風はプラズマ団とミネズミに襲い掛かり、男とミネズミは身体を引き裂く葉にうずくまる。その間に、オレはそのわきを通り抜けた。
「これでしばらくは大丈夫だな。あとは、女とコロモリか」
そう呟いた瞬間、向こうの方から甲高い悲鳴が聞こえた。
この声は、ベル!
オレは足を速め、悲鳴が聞こえた方へ走った。
崩れた灰の壁を何枚も抜けていく。その先に待っていたものは、できればあまり見たくない光景だった。
「ミスミ……」
「あら、お友達の方もきたのね」
怯えた顔のベルを後ろ手に捕えたプラズマ団の女は、底意地悪そうに口角を上げる。
その足元には、傷ついたミーちゃんが転がっていた。
「お前、ベルを離せ!」
「いいわよ。あなたのポケモンを私たちにくれたらね」
なにを言ってんだ、こいつは!
そんな取り引き、成立するわけねえだろ!
「タージャ、“つるのムチ”!」
「コロモリ、“エアカッター”」
タージャの蔓がプラズマ団の女に向かって伸びる。それを阻むようにコロモリが前に出て、翼をはばたかせた。それによって生じた鋭い風がタージャの蔓を弾き飛ばす。その余波がコンクリートの地面を切り裂いた。
「次はこの子の身体を切り裂くわよ」
見せしめのように、コロモリの翼がベルの喉にあてられる。
ベルの顔がひきつり、歯が鳴った。
こいつら、どこまで性根が腐ってんだ!
今にも跳びかかってしまいそうな自分を必死で抑え込む。
はったりでもなんでもいい。今は、全員無事に逃げ切ることを考えねえと。
「ポケモンを渡すっていったって、お前らが欲しがってるムンナはいないぜ」
「知ってるわよ。だって、ムンナはここにいるもの」
「なっ!?」
目を見張るオレの前に、コロモリがエスパーの力で投げ出したのは、
「リク! チーちゃん! ムンナ!」
なんで、この3体がここに……。
ずっと地面の下を通っていたら、見つかるはずはねえのに……。
「ふふ、どうしてって、顔をしてるわね。特別に教えてあげるわ。コロモリの力のおかげよ」
「コロモリの力?」
「コロモリは暗い森や洞窟で暮らしているから、目ではなく、超音波であたりの様子を探っているのよ。知ってるかしら? 超音波って、地面の下まで届くのよ」
それで、リクたちを探し当てたってわけか。
くそ、完全に油断した。
「いい気味だな、小賢しいがきが」
背後から聞こえたあざけりに振り返る。
そこには、倒したはずのプラズマ団の男とミネズミがいた。
もう追いついてきたのか。しかも、この最悪の状況下で。
「おい、ムンナはまだ夢の煙を出さないのか」
「ええ、まだよ」
「では、早急に手に入れなければならないな」
そう冷たく言い放ち、男はミネズミに無抵抗のムンナを攻撃させた。
「やめたげてよお!」
「ええい、うるさい」
必死に拘束をとこうとあがくベルを、女はさらに強く押さえつけた。
どうする。どうしたらいい。
前後にはプラズマ団。左右には背より高い壁。動けるポケモンはタージャのみ。しかも、ベルは人質にとられてる。
どうすれば、この状況をひっくり返すことができる。
その時、どこからか高く澄んだ音が聞こえた。
そして、
「……お前たち、何を遊んでいるのだ?」
頭上から、重苦しい、腹に響く声が降ってきた。
見上げると、右の壁の上に立つ幾何学的な模様のローブを着たいかついおっさんが、冷たい目でオレたちを見下ろしていた。
あれは確か、カラクサで演説してた、ゲーチスって野郎じゃ。
呆然としていると、今度は逆の方向から声がした。
「我々プラズマ団は、愚かな人間とポケモンを切り離すのだぞ!」
右の壁にいるはずのゲーチスが、何故か左の壁の上にも現れる。
なんなんだ、これ。
訳が分からず目を白黒させていると、ふっと煙のように2人のゲーチスの姿がかき消えた。
と、今度は女と男の背後に1人づつゲーチスが姿を現す。その顔は、不気味に歪んでいた。
「その役目、果たせないというのなら……!」
ステレオのように、2つのゲーチスの声が重なる。
プラズマ団の男女は目を見開き、身体を震わせた。
「こ、これは……! 仲間を集める時、演説で人を騙して操ろうとする時のゲーチス様じゃないわ!」
「ああ。作戦に失敗した時、そして処罰を下される時のゲーチス様……」
拘束の力が弱まったのか、ベルは隙をついて女の手を抜けだした。そして、ミーちゃんとチーちゃんとムンナを守るように抱き締める。
だが、プラズマ団は気付いていないのか、幻のように現れたゲーチスを怯えた目で見ているだけだった。
オレもそっと移動し、気絶したリクを抱き上げた。
「とにかく、今すぐ謝って許してもらいましょう!」
慌ててプラズマ団たちは散り散りに去っていく。やつらの姿が見えなくなると同時にゲーチスの姿が揺らめいて消えた。
そのことに、ひとまず胸を撫で下ろす。
「よくわかんねえけど、助かった」
張りつめていた糸が切れ、オレはその場に座り込んでしまった。
ベルも同じなのか、ぼんやりと口を開けてポケモンたちを抱き締めていた。
「今のってなあに? あのゲーチスってひと、あちこちにいたし、本物じゃあないよね? もしかして、夢?」
「むにゃあ」
ベルの疑問に答えるように、壁の後ろからムンナよりくすんだ色の、大きな楕円形のポケモンが出てきた。
図鑑で確かめたところ、ムシャーナというポケモンらしい。確か、ムンナの進化系だったな。
「こいつが助けてくれたのか?」
「この子の家族かなあ?」
正解はわからないが、仲間なのは確からしく、ムシャーナは宙に浮いたままベルが抱きかかえているムンナを心配そうに覗き込んだ。
「あっ、ちょっとまってね。今、治してあげるから」
そう言うと、ベルはポケモンたちを地面に下ろし、鞄からキズぐすりをとりだした。ムシャーナはなにもせず、ポケモンの治療をするベルを見守っている。
オレも鞄からキズぐすりを取り出し、リクに吹きかけてやった。長い毛に隠れた皮膚は切り裂かれ、赤い血が滲んでいる。あまりにも痛々しい様子に、あいつらに対する怒りがふつふつと戻ってきた。
タージャも同じ気持ちなのか、いつもより緋色の目を鋭くさせていた。
ベルと一緒に、傷ついたポケモンたちの手当てをしていく。素人だから応急処置くらいしかできないが、なにもしないよりはましだろう。
しばらくして全員の治療が終わり、手持ちのポケモンたちは休ませるためにモンスターボールに戻した。
あとは、ムンナだけだ。
「大丈夫かなあ……?」
「そう心配すんな。前にリクが拾ってきた“げんきのかけら”をやったから、すぐに目を覚ますだろ」
言うやいなや、ベルの腕の中でムンナはゆっくりと目を開けた。
2人と1匹でほっと息を吐く。
ムンナはぐるりとオレ達を見回した。その顔は少し怯えていたが、安心させるようにムシャーナが額を合わせると、徐々に緊張が消えていった。
「ムンナ、大丈夫? どこか痛いところはない?」
ベルの心配する声に、ムンナは鼻先をこすり合わせることで返した。ベルは最初面食らった顔をしたが、しだいに笑みを浮かべ、たどたどしい仕草でこすり返した。
ベルとムンナはそっと顔を離して笑い合う。
思ったよりも元気そうで、オレも口元が緩んだ。
「さてと、ムンナも目を覚ましたし、あとはムシャーナに任せてオレたちは帰ろうぜ」
「うーん、どうしようかなあ?」
ベルは立ち渋り、ムンナを抱き締めたまま唸った。
「どうした?」
「あたし、ムンナとお別れしたくないなあ」
独り言のようにそう言って、ベルは意を決したように頷いた。
それから、真剣な顔でムンナに向かい合う。
「ねえ、ムンナ。あたしと旅をしようよ」
「むう?」
ムンナは首を傾げ、ベルのエメラルドの瞳を見つめた。
「あのね、旅っていうのはね、色んなところにいって、色んな人やポケモンに出会ったり、色んなすごいものを見つけたりすることだよ。あたしもまだはじめたばかりだけど、すごく面白いんだよお」
ベルは興奮を隠しきれない声色でたどたどしく説明する。
その説明でムンナにどこまで伝わったかはわからない。けれど、ベルが楽しいと思っていることは確かに伝わったのか、ムンナの顔色は紅潮していった。
「それでね、あなたと一緒に旅ができたら、もっと楽しいだろうなあって思うの。ねえ、だめ?」
「むにゅ」
きらきらとした顔で、ムンナはベルの話を聞いていた。
そして、懇願するようにムシャーナを見上げる。ムシャーナはムンナとベルを交互に見やり、ゆっくりと首肯した。
ぱっとベルの顔に喜びが広がる。
「やったあ。これからよろしくね、ムンナ」
「むにぃ」
ベルはムンナを強く抱きしめた。ムンナはのんびりした声で返事をする。
その頭の辺りから、柔らかな紫色の煙が立ち昇った。ゆらゆらと揺れるそれはベルたちの周りを包んでいく。
感動的だが、オレ完全に蚊帳の外だな。
なにもできなかったとはいえ、オレも頑張ったのに。
「よし、それじゃあ、いこっか。……て、どうしたの? なんだか、遠い目をしてるよ」
「いや、なんかちょっとだけ虚しくなっただけだ」
乾いた笑いをこぼすオレに、ベルだけでなく、ムンナとムシャーナも首を傾げた。が、その理由について詳しく説明する気になれない。
オレは気にするなと首を振った。
と、
「やっほー。待ちきれなくてきちゃった」
後ろからテンションの高い声が聞こえた。
振り向くと、マコモさんがこっちに歩いてきていた。
「って、ムンナ!? それにムシャーナも!?」
マコモさんは目の色を変え、驚くほどの俊足で距離を詰めた。眼鏡を光らせ、舐め回すようにムンナとムシャーナを観察する。
ムシャーナは居心地が悪そうに身を捩った。
マコモさんは右手で眼鏡を上げると、肩越しにオレたちに視線を寄越した。
「ねえ、ムンナが怪我してるみたいだけど、なにかあったの?」
「えっと、さっきプラズマ団が」
「あっ、ちょっと待って!」
自分から訊いてきておいて、遮るなよ!
マコモさんは白衣のポケットから試験管を取り出すと、ムンナの頭から出ていた煙を掬いとった。すぐに栓をして、大切なもののように握りしめる。
「夢の煙ゲットー」
「それが夢の煙だったんですかあ!?」
「そうなの! これでアタシの研究が完成するわ!」
比喩ではなく本当に跳び上がって喜ぶマコモさんと一緒になって、ベルもぴょこぴょこと跳ねる。
さっきのが夢の煙ねえ。
どういう原理で出してるかは知らねえが、プラズマ団の野郎がムンナを殴る必要はまったくなかったんじゃねえか?
ほんと、どうしようもねえやつらだな。
「あれ? ミスミ君、怖い顔してるけど、どうしたの?」
「ああ、さっきのことを思い出して」
「さっきのこと? ……ああ、そうだった。それで、なにがあったの?」
オレはプラズマ団のことを掻い摘んで説明した。ベルも相槌をうちながら、どれだけプラズマ団が酷いことをしていたか語った。
ベルの話では、オレが男の方を引きつけている間に女の方がムンナたちを見つけ、再び暴行をくわえていたところを止めようとして返り討ちにされたらしい。
すべて話し終えると、マコモさんはなるほどねと神妙に呟いた。
「ムシャーナは仲間のムンナのピンチを知って、夢を現実にする力でムンナを助け出したのね。それにしても、プラズマ団か。極端な考えはともかくとして、やってることは許せないわね。ジムリーダーと警察に連絡した方がよさそうだわ」
「それじゃ、お願いします」
頭を下げると、ベルも慌ててオレに倣う。
マコモさんは任せて、と胸を叩いた。
「それじゃ、アタシは先に帰るね。またね」
マコモさんは踵を返して元来た道を帰っていった。
子供みたいな人だと思ったけど、こういうときはやっぱり大人なんだな。
「さてと、オレたちもはやくポケセンにいくか」
「そうだね。はやくこの子たちをちゃんと回復させてあげたいし」
オレとベルはムシャーナに向き直った。
ムシャーナはオレたちを静かに見下ろしている。
「さっきはありがとな。おかげで助かった」
「それから、ムンナと旅をすることを許してくれてありがとう」
ムンナは高く澄んだ声で鳴き、柔らかな紫の煙を頭の辺りから立ち昇らせた。
夢の煙は優しくオレたちを包み込んでいく。
「わあ!」
ベルは声を上げ、煙の行く先を目で追いかけた。
夢の煙、か。
きっと多分、これはムシャーナの祝意なんだろう。
オレも煙の先を追いかけ、空を見上げた。
紫の煙は果てしない空へ、どこまでもどこまでも昇っていく。