夢見る廃墟
「ここが、夢の跡地か」

サンヨウシティから小さな森を抜けた先に、夢の跡地と呼ばれる工場の跡地はあった。
タウンマップには「子供やポケモンの遊び場として使われている工場の跡地」と紹介されていて、実際オレと同い年か少し下くらいの子供が周りでバトルをしてたり、野生らしきミネズミたちが所々破れたカラーコーンを積み上げて遊んでいたりしているが、ベルの親父さんみたいな過保護な親なら近付くことすらやめさせそうな荒れっぷりだ。
工場を囲んでいたであろうフェンスは破れ放題で、好き勝手に蔓が絡みついている。その間から見える建物にかつても面影はなく、壁がほとんど崩れてかかっていた。
バトルを挑んできた短パン小僧やミニスカートを適当にかわしつつ、壁に開いた人1人くらいなら通れそうな大穴から中へ足を踏み入れる。

外から見ても酷かったが、中はもっと凄惨だった。
今にも倒れそうな柱が破れた天井を支え、亀裂が走るコンクリートの床を突き破った雑草が、歪に切り取られた青空に向かって伸びていた。
壊れたコンクリートから生える剥き出しの鉄筋に、どこからか飛んできた石が当たって無機質な音を立てる。野生のポケモンの仕業だろうか。
すうっとその音がやむと、壁の向こうでポケモンバトルを楽しむ賑やかな声しか聞こえてこなくなる。それがこの場の陰鬱な雰囲気を際立てていた。
ちょっとしたダンジョンみたいで、なかなか面白そうなとこだ。

ムンナを探して、首を巡らしながら歩を進める。
背の高い草にじゃれるマメパトや、ところどころ破れたカラーコーンを転がすミネズミの姿は見えるが、ムンナの姿は見当たらない。ピンクで花柄のボールみたいな外見だから、すぐに見つかると思ったんだけどな。

「どっかに隠れてるのか?」

「きゅうう」

オレの言葉に、リクは難しい顔をして鼻をひくつかせた。
オレのフードに入ったタージャは完全に人任せといった体でオレの肩にもたれかかる。いざという時じゃなくても、協力する姿勢をみせてくれと思うのは我が儘だろうか。

「きゃん」

なにかに気付いたのか、リクが顔を覆う毛を震わせた。
リクがさっき通った穴の方に顔を向ける。ならってオレもそっちに視線をやると、とんとんと跳ねるような足音が聞こえてきた。

人、だよな……?

「そこに誰かいるのか?」

声をかけると、面白いくらいに足音が乱れた。一瞬後に、なにかがぶつかる音や落ちる音、短い悲鳴なんかの騒々しい合奏が聞こえてくる。

その悲鳴に覚えがあり、オレはそっと穴から顔を覗かせた。視界に飛び込んできたのは、転んで破れたカラーコーンに埋もれたマイペースな幼馴染と、その下敷きになったミジュマルとチラーミィの姿だ。
普通の人なら驚くかもしれないが、生まれた時からずっと一緒にいるといっても過言ではないオレにとってはあまりにも見慣れた光景で、なによりもまずため息がでた。

「ベル、お前はなにをやってんだよ」

「ふええ、ミスミ助けてえ」

甲高い声を上げるベルをカラーコーンの山から助け起こす。その下からよちよちとミジュマルのミーちゃんとチラーミィのチーちゃんがでてきた。
はっとベルは視線を下にやる。

「ごめんねえ、巻き込んじゃって。けがしてない?」

ミーちゃんは静かに頷き、チーちゃんは無邪気な顔で笑った。
ベルは地面に座り込んで、ほっと小さく息を吐いた。

その様子を見ている間に、タージャがフードからオレの肩に移動した。ベルたちを見下ろして、タージャはため息まじりに短く鳴く。ミーちゃんがそれに甲高い声で答えた。
この2匹は幼馴染らしいから、タージャも一応心配したのだろうか。

そのやり取りを横目で見つつ、オレはオレで幼馴染の心配をした。

「お前は怪我してないのか?」

「大丈夫、ちょっと驚いて転んじゃっただけだよ」

照れたように頭に手をやったベルはあれ?と首を傾げた。

「どうした?」

「帽子がない」

どこか間の抜けた調子で言われて、はじめてベルがいつも被っている緑のベレー帽がないことに気付いた。

「転んだときに落としたのか?」

きょろきょろと足元を見下ろす。
と、チーちゃんが短く鳴いた。とてとてと歩き、転がるカラーコーンの中からベレー帽を引っ張り出す。尻尾で砂をはらい、チーちゃんはベルの丸い頭にそっとベレー帽を乗せた。

「チーちゃん、ありがとう」

「チーラ」

にこっとチーちゃんは目を細めた。
つられたようにベルも目元を緩めると、思い出したようにオレを見上げた。

「ミスミも助けてくれてありがとう」

「構わねえよ、いつものことだから」

「それもそうだねえ」

緩みきった顔でベルは頭に手をやった。
いつものことだけど、ほんとに皮肉が伝わらないやつだな。だから遠慮なく言えるんだけど。

ベルが立ち上がろうと足を立てる。それに気付いて手を差し出すと、ありがとうと言ってベルはオレの手をとった。

「ねえ、ミスミも不思議なポケモンを探してるの?」

「ああ、マコモさんに頼まれてな。ベルも頼まれたのか?」

「うん。夢を見せるなんて不思議だよねえ。どんな仕組みなんだろう?」

適当な答えを返そう口を開きかけた時、脚に暖かいものが触れた。
足元を見下ろすと、リクが耳を伏せてオレの脚にぴったりと寄り添っていた。触れたところから、震えが伝わってくる。
リクは周囲の様子には敏感だ。特に悪意のあるものに対しては、いつも以上に過敏になる。
なにかいるのか。

「どうしたの?」

「悪い、ちょっと静かにしててくれ」

ベルは首を傾げたが、素直に掌で口を押えた。その足元で、ミーちゃんとチーちゃんも同じように口を閉じた。

警戒しながら、辺りを見渡す。特になにかあるようには見えない。とすると、壁の向こう側か。
リクはいまだに震えている。
なにがいるかは知らないが、一端この場を離れた方がよさそうだな。

「ベル、かえ」

「ねえねえ!」

帰るぞ、と言い切る前に、ベルが口を押えていた手でオレの服を引っ張った。

「壁の向こうから物音が聞こえなかった!?」

「オレは聞こえなかったけど」

「もしかして、ムンナかな!」

エメラルドの瞳を期待で輝かせ、ベルは語気を弾ませる。
少しは空気読めよ。

「よーし! いってみよう!」

ベルが意気揚々と腕を振り上げたその時、

「むにゅうう!」

ベルの声に被さるように、甲高い悲鳴が聞こえた。
言葉を成すものではない。それでも、なにが起きているかは容易に想像できる悲痛な声だった。

「……ねえ、今の」

ベルが珍しく顔を曇らせる。
流石に、やばい空気は感じているようだ。

「ああ、オレにもばっちり聞こえたよ。どう考えても嫌な予感しかしねえから、はやくここから離れようぜ」

よく考えていきすぎたポケモンバトル。悪く考えて傷害事件だ。どっちにしろ、オレたちだけで首を突っ込むには危険すぎる。

けれど、ベルは首を横に振った。

「だめだよ! 誰かが傷ついてるかもしれないのに、放っておけないよ!」

「だったら、ジムリーダーとか、頼れそうな人を呼んできた方がいいだろ。オレたちだけでなにができるってんだ」

「あたしたちはポケモントレーナーだよ! もう、なにもできない子供じゃないもん! いいよ、ミスミがいかないなら、あたし1人でも助けにいく!」

オレの制止なんか振り切って、ベルは壁の向こうへ駆け抜けていった。心配そうな顔をして、ミーちゃんとチーちゃんがその後に続く。

だーもー、あいつはいつもそうだ。普段はぽわぽわしてるくせに、こういう時は頑固なんだ。

「リク、怯えてるとこ悪いけど、ベルの後を追うぞ。タージャもいいな?」

「きゃう!」

リクは緊張した面持ちで答えた。タージャもフードの中で、好きにしろ、とばかりに鼻を鳴らす。
ほんと、いざって時は頼りになる相棒たちだな。

オレも走り出し、ベルの横に並んだ。

「仕方ねえから、手伝ってやるよ。お前1人でいかせるより少しはましだ」

「ミスミ!」

ベルは不安そうな顔をぱっと明るくさせた。
その笑顔につい笑い返してしまう辺り、なんだかんだでオレもベルに甘いよなあ。


******


吹き抜けとなった建物の中を進んでいくと、大きな穴が開いている壁が見えた。
その先から、なににも遮られない、暴力的な音が響いてくる。

「ここだな」

物陰に隠れ、そっと向こうの様子を窺う。
予想通りの、いや、予想よりもっと非情なありさまに、オレは目を見張った。

「ほらほら、夢の煙をだせ!」

カラクサで演説をしていたプラズマ団とかいうやつと同じ格好をした2人組の男女と、そいつらの手持ちらしきミネズミとコロモリが、暴言を吐きながら宙に浮くピンクの丸いポケモンを――ムンナを袋叩きにしていた。すでに傷だらけの身体に、何度も何度も腕を振り下ろし、爪を立て、翼を打ちつける。ムンナはか細い悲鳴を上げるが、すぐにやつらの怒鳴り声にかき消されてしまった。

「ひどい!」

見るに見かねたのか、ベルは飛び出した。ベルを守るように、ベルのポケモンたちもくっついていく。
オレも後を追って飛び出しかけたが、思い直してその場に残り、チーちゃんを小声で呼び止めた。それから、リクに“あなをほる”を指示し、チーちゃんもついていってもらうように頼む。チーちゃんはちらと案じるような視線をベルに向けたが、1つ頷いてリクが堀った穴に潜っていった。

オレはタージャに耳打ちし、いつでも飛び出せる体勢で壁の向こうを覗き見た。

「ちょっと! あなたたち、だあれ? なにしてるの!?」

恐れなんて知らない毅然な態度で、ベルはプラズマ団に向かっていった。
ベルに気付いたプラズマ団たちが手を止める。ベルを睥睨し、男の方が高圧的に口を開いた。

「私たちのことか? 私たちプラズマ団は愚かな人々からポケモンを解放するため、日夜戦っているのだ」

「なにをしてるのか? ムンナやムシャーナというポケモン、夢の煙という不思議なガスを出して色んな夢を見せるそうじゃない。それを使い、人々がポケモンを手放したくなる……。そんな夢を見せて、人の心を操るのよ」

得意げに話すプラズマ団の女の背後で、ミネズミとコロモリはなおもムンナに攻撃を加える。むにゅという消え入りそうな声を最後に、ムンナはとうとう地面に倒れた。
だが、プラズマ団はそれでも攻撃をやめることはしなかった。ポケモンと一緒に男もムンナを蹴りあげる。

「おら! 夢の煙を出せ!」

なんなんだ、こいつらは。
カラクサの演説を聞いたときから胡散臭いとは思っていたが、言ってることとやってることが全然ちがうじゃねえか!

「夢の煙をださせるためにポケモンを蹴ってるの? ひどい! どうして? あなたたちもトレーナーなんでしょ?」

「そうよ、私たちもポケモントレーナー。だけど、戦う理由はあなたたちと違って、ポケモンを自由にするため!」

高らかに演説する女の声をバックに、男がムンナを踏みつける。と、突然にムンナの身体が地面に沈んだ。いや、正しくは突然開いた穴にムンナが落ちていった。穴に足をとられ、男がつんのめる。

「なっ!? なにが起こった!?」

「取り乱さないで! きっと、こいつがなにかしたのよ!」

女の方がベルに指を突きつける。プラズマ団と同じく事態を把握できていないベルは、おろおろするばかりだ。助けを求めるように、ちらちらとオレの方を見てくる。

今だ!

「ベル、ミーちゃん、目閉じてろ!」

忠告とともに、オレはタージャと飛び出した。同時にタージャの身体が強い光を発する。
目を焼く白い光の中、オレは目蓋を閉じてベルの手を取った。

「ベル、走るぞ! タージャはミーちゃんを連れてこい!」

「えっ、えっ」

ベルが戸惑う声が聞こえてきたが、オレは構わず走り出した。
背後からプラズマ団の悲鳴とともに、葉擦れが聞こえてくる。多分、タージャが“フラッシュ”のおまけに“グラスミキサー”も撃ったんだろう。
タジャ、と短い鳴き声が聞こえたかと思うと、すぐ後ろをタージャとミーちゃんがついてきていた。それを認め、オレはさらに足を速めた。
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