戦いはじめ
サンヨウシティに着いた頃には、空はすっかり夕焼けに染まっていた。柔らかな茜色の空に、鳥ポケモンの影が列になって飛んでいく。
街の入り口近くのアパートのベランダでは、母親らしき人がいそいそと洗濯物を取り込んでいた。
予定ではもっとはやくに着く予定だったが、あの短パン小僧以外のトレーナーにもバトルを挑まれたおかげで、こんな時間になってしまった。
全勝したし、楽しかったけど、疲れた。くたくたになるまで遊びまわってた頃を思い出す。

「タージャも連戦で疲れただろ?」

タージャは涼しい顔で鼻を鳴らした。
リクが戦えないから出ずっぱりだったというのに、よく平気そうにしてられるな。
オレはとにかく腹が減って仕方ないっていうのに。

レストランでもなんでもいいからとにかく飯を食えるところを探して歩く。
途中、脇を走り抜けていったちびっ子達が夕飯の献立の予想を言い合っていて、オレの空腹を刺激した。
今のオレに、シチューだのハンバーグだのうまそうな食べ物の名前を聞かせるな。想像するだろ。
さらに、世の母親達が夕飯の準備にいそしむこの時間、辺りの家々からは食欲をそそる匂いが立ちこめ、オレの腹に物欲しげな声を上げさせた。
なんだこれ。新手のテロか。

空腹を押さえながらアパートが立ち並ぶ通りを行くと、凝ったつくりの建物に突き当たった。
3階建てで、入り口のすぐ上に大きな銀のスプーンが飾られている。入り口につけられた階段の両脇には、モンスターボールの像が建っていた。
その建物から涎の垂れるようないい匂いが漂ってくる。
きっと、レストランだ。

「今日はここで食うか」

タージャとリクの了承を得、足早に階段を上った。その時、向こう側からドアが開かれた。
建物から出てきた人影を認め、オレは片手を上げた。

「よお、チェレンじゃねえか」

「ミスミ、久しぶりだね」

久しぶりと言っても数日ぶりなのだが、旅に出る前は毎日のように会っていたから、本当に長い間会ってなかった気分だ。
特に変わりはないようだが――数日では変わりようもないか――心なしか機嫌がよさそうに見える。

「ジムに挑戦するって言ってたけど、調子はどうだ?」

「さっき挑戦して、勝ったところだよ」

チェレンは誇らしげに微笑んで、細長いギザギザのバッジを見せた。
バッジケースの中で金に輝くそれには、青、赤、緑の石が上から順にはめ込まれている。

「これがジムバッジか?」

「そう。サンヨウジムのジムリーダーに勝った証、トライバッジさ」

オレにはただのバッジにしか見えないが、チェレンにとってはそうではないことは顔を見れば明らかだ。
チェレンにしてみれば、夢への第一歩だもんな。

「すげえな。順調じゃねえか」

「ポケモンリーグに挑戦するには8つのジムバッジが必要だから、まだまだ道のりは遠いけどね」

殊勝な顔をして、チェレンはバッジケースをしまった。
よく見たら口元が若干緩んでたから、ほんとは飛び上がるくらい嬉しいんだろう。

「ジムリーダーに勝つだけですげえって。普通、トレーナー初めて数日で挑戦しようって気にならねえよ」

「あれ? ミスミもジムに挑戦するんじゃないの?」

「いや、別にそんなつもりはねえけど」

なんで、そんな不思議そうな顔してんだ?
挑戦するなんて、一言も言った覚えないぞ。

「そうなの? ジムに来たから、てっきりそのつもりなのかと思ったんだけど」

ジム?
どこが?

「ここ、ジムじゃなくてレストランだよな?」

「確かにレストランも兼業しているけど、ここはサンヨウジムだよ」

「まじで?」

オレは改めてレストラン兼サンヨウジムを眺めた。
青い屋根の建物は、どこからどう見てもポケモンジムには見えなかった。ここでどう戦えっていうんだ。

「……まさか、ジム戦しないと飯が食えないとかはないよな?」

「それはないけど」

「よかった」

オレは胸を撫で下ろした。
ここまで来てお預けくらうかと思った。

「ところでさ、ミスミ。時間があるなら、僕と勝負してくれないか?」

このデコメガネは何を言ってるんだ。
平常時ならともかく、この空きっ腹で勝負だと?

「断る」

「どうして?」

「オレは腹へってるんだよ。勝負より飯が先だ」

チェレンは腕を組み、少し考える素振りをした。
何言われても、今は勝負なんてしねえぞ。
オレはチェレンの横を通りすぎようとした。だが、隣でチェレンがオレの足を止める一言を言い放った。

「なら、君が勝ったら夕飯を奢るよ」

「よし、その勝負受けた」

フードの中でタージャがため息を吐いた気がした。
prev * 2/5 * next
- ナノ -