理想的数式の集合
プラズマ団……? 王、様……?

すぐには、なにを言われたのかわからなかった。脳が理解を拒んでいるみたいだ。
灰青の瞳がこっちの反応を窺うように見上げてくる。その目は真剣そのもので、冗談の色なんかまったくなかった。

「お前が、プラズマ団の王……」

掠れた声で呟いた時、頭の中でようやくすべての点が繋がった。
そうか、つまりそういうことか。

「ごめんな、ユラ」

オレはそっとユラをモンスターボールに戻した。今からすることを、なんとなくユラには見せたくなかった。
ボールをバッグの奥に突っ込み、爪が食い込むほど拳を握りしめる。ふつふつと身体の奥底で怒りが煮えたぎっていた。

「全部、お前の命令だったんだな」

Nは悠然とした表情のまま、なにも応えない。
オレはこんなやつを、ほんの少しでも信じていたのか。

「みんなのポケモンを奪ったのも、博物館の骨を奪ったのも」

どちらも許せない。だが、なによりも許せないのは――。

「ムンナを襲ったのも、ビクティニを襲ったのも、全部お前の命令だったのか!」

どれだけ変人だろうが、人間に敵意を持っていようが、ポケモンにだけは優しいやつなんだと思っていたのに!

衝動的にオレはNの胸倉を掴んだ。椅子の背に押しつけ、睨み付けるために顔を覗き込む。たとえ、どんな顔をしていたとしても、手を緩めるつもりはなかった。
だが、

「どういうことだ……」

呆然とした顔で見上げられ、こっちまで一瞬呆気にとられた。
さっきまで自信満々に偉そうな態度をとってたくせに、なんで急に迷子みたいな顔になるんだよ。
そのとぼけた態度に余計に苛立つ。

「夢の煙とか無敵の力とか、そんなもののためにプラズマ団はポケモンを襲ってただろ! プラズマ団の王ってことは、全部お前が命令したんだろ!?」

「それは知らない。ボクはカレらに命令したことなどない」

「はあ!?」

ふざけんな! と怒鳴るが、ぶつぶつと早口でなにかを呟きながら真剣な顔で考え込むNを見たら、何故かすーっと怒りが冷めていった。
怒る気力もなくなって、倒れ込むように椅子に腰かける。いつの間にか観覧車は天辺を過ぎて、ゆっくりと下降していた。

「じゃあ、プラズマ団の王ってなんなんだよ」

「ゲーチスに請われ、一緒にポケモンを救うんだよ」

てことは、こいつを王にしたのはゲーチスなのか。なんで、わざわざそんなことしたんだ。
あー、くそっ。意味がわかんねえ。ゲーチスはなんなんだ。こいつはなにをしようとしてるんだ。

「この世界に、どれほどのポケモンがいるのだろうか……」

独り言のようにNが呟いた。
なんだかすべてが面倒くさくなって無視したら、ゴンドラの中に妙な沈黙が落ちた。重苦しくはないが、軽くもない。怒りも疑問も宙ぶらりんのまま手持無沙汰でいるうちに、ゴンドラの扉が開けられて、場違いなくらい明るい声が終わりを告げた。


******


「N様!」

黙りこくったまま観覧車を降りると、プラズマ団たちが息を切らせてやってきた。
そいつらを追いかけていたシーマとグリも駆け寄ってきて、ちゃんと連れてきたぞ褒めろ、とばかりにぐりぐりと鼻面を押しつけてくる。いつも通りの2匹に少しだけほっとして、オレはNを見据えたままシーマとグリを撫でた。

「ご無事ですか!」

「問題ない」

心配するプラズマ団にNは落ち着いた声で返した。観覧車の中では子供みたいな顔していたくせに、もう王とやらの威厳が戻っている。
本当に、こいつはプラズマ団の王なんだな。

「ポケモンを救うために集まった人々も、ボクが守るよ。ボクが戦う間にキミたちはこの場を離れたまえ」

プラズマ団たちを庇うようにNは前に出た。プラズマ団は躊躇いながらも、敬礼をして去っていく。
また追いかけようとするシーマとグリをオレは押しとどめた。

「さて、ミスミ。ボクの考え、理解できるかい?」

灰青の瞳に射抜かれる。
どう答えるのが正解か、そんなものはわからない。だから、オレは感情に従ってNを睨み返した。

「できるわけねえだろ」

「そうかい、それは残念」

Nは肩を竦めた。
仕草とセリフのわりに、声と顔は残念がっているように見えなかった。

「さて、ボクに見えた未来、ここではキミに勝てないが、逃げるプラズマ団のため相手してもらうよ」

シンボラー、とNが呼ぶと、観覧車の周りを飛んでいたシンボラーがNの前に降り立った。
べつにプラズマ団を追いかける気はねえよ勝手に逃げてろ、と言ったところで、こいつは聞いてくれないんだろうな。
仕方ねえ。シーマとグリがうずうずしてるし、相手してやるか。
相手がシンボラー1匹なら、

「シーマ、頼んだ。グリ、お前はボールに戻ってろ」

喜びいななくシーマの背で、グリがぶーぶー文句を言う。べつの機会に頼む、とあしらって、オレはグリをボールに戻した。
シーマは跳ねるように飛び出し、シンボラーを見据えた。ばちばちと鬣を青く光らせて、その場で何度も地面を蹴る。

「シーマ、“ワイルドボルト”!」

「“おいかぜ”を吹かせてから“サイコキネシス”!」

全身に電気を纏い、シーマが稲妻のように駆け出す。一気に距離を詰め、シンボラーにぶつかっていった。だが、シンボラーは大きく羽ばたいて作り出した風の渦に乗って紙一重のところで電撃をかわし、怪しく目を光らせて目に見えない念力でシーマを弾き飛ばした。

「シーマ!」

「ヒィン」

地面に倒れたシーマはすぐに起き上がり、爛々とした目でシンボラーを見上げた。鬣もより一層眩しく光る。

「キミのポケモンは、なんだか嬉しそうだね」

「こいつはポケモンバトルが大好きだからな」

同意するようにシーマも鼻を鳴らした。
その様子をNがなんとも言えない表情で見ていた。悲しんでいるようにも、単に不思議がっているようにも、どことなく微笑んでいるようにも見えて、なにを思っているのかよくわからない。

別の意味で表情の読めないシンボラーが、指示を仰ぐようにNを振り返る。Nが頷き、オレも同時に指示を出した。

「こっちも“ニトロチャージ”でスピードを上げてやれ!」

「“エアスラッシュ”」

シーマの身体が炎に包まれ、地を駆ける。ぐんぐんスピードを増しながら、シーマはシンボラーに向かっていった。
シンボラーがその場で鋭く羽ばたく。その羽ばたきによって起こされた風が刃となってシーマを襲う。シーマは怯んで足を止めてしまった。だが、でんきタイプのシーマにひこうタイプの技はあまり効かない。ダメージ自体は大したことなく、悔しそうに地面を蹴るだけだった。むしろ、何故かNの方が苦しげに顔を歪めている。なんでお前が一番痛そうな顔をするんだ。やりづらい。

「だったら、かわしながら“ほうでん”!」

再び“エアスラッシュ”が襲ってくるが、シーマは跳ねるように避けて眩い電気を辺り一帯に放出した。広範囲に渡る電撃を避けられる場所などなく、シンボラーは悲鳴を上げた。またNが痛ましげにシンボラーを呼ぶ。

それからは互いに距離をとった攻防が続いた。シンボラーの“サイコキネシス”や“エアスラッシュ”を時々“ニトロチャージ”でスピードを上げながらかわし、隙を見て“ほうでん”を浴びせる。
多分、シーマとシンボラーの間にレベル差はあまりない。タイプ相性ではこっちが圧倒的に有利だし、このまま攻撃をかわしながら“ほうでん”を撃っていれば確実に勝てる。

だが、時々うずうずとシーマが地面を蹴るのが気になった。バトルに集中すべきだが、その仕草が無言の訴えに思えて仕方ない。

(やっぱり、この戦い方が性に合わねえんだろうな)

シーマはとにかく激しい攻防を好む。相手の攻撃の中を突っ切っていくのも大好きだ。遠距離攻撃自体が嫌いなわけではないが、こんなふうにちまちまと電撃を放つだけでは戦っている気にならないのだろう。
確実に勝ちにいくなら、このままでいい。でも、シーマのやり方でも勝てるなら……。

「シーマ、お前の好きにやれ!」

「ヒィィン!」

シーマはよっしゃとばかりに高らかにいなないた。身体中に電気を纏い、勢いよく地を蹴る。シンボラーの“サイコキネシス”が放たれるが、シーマは嬉々としてその中を突っ切っていった。“サイコキネシス”をかき分けて、シーマがシンボラーに電撃の突進を食らわせる。シンボラーは一際大きな悲鳴を上げて地面に落ち、動かなくなった。

「ヒイィン!」

高々とシーマが勝鬨を上げる。やったなと拳を突き出すと、シーマも拳の代わりに鼻を合わせて歯を見せて笑った。
その時、

「負けるにしても、見えていた未来と違う……?」

シーマの声にかき消されそうなほど小さな声で、Nが愕然と呟いた。

「結果は一緒だった。だが、キミは何者だ……?」

ただのトレーナーとしか言いようがないし、こいつはなにを驚いてるんだ。

胡乱な目で眺めていると、Nは気をとり直すように首を横に振り、シンボラーのそばに膝をついた。そっとNの手がシンボラーを撫でていく。負けたポケモンを労わっているような仕草だが、なにかが違う。だが、その違和感がなにかわからずもやもやしているうちに、よろよろとだがシンボラーが起き上がった。

戦闘不能になってなかったのか……?
いや、それはない。確かにシンボラーは力尽きて倒れた。多分、よく見えなかっただけで、Nがげんきのかけらを使って回復させたんだろう。

まだ戦えるのか、とばかりにシーマがふんと力強く鼻を鳴らす。オレもまだバトルするつもりかと、Nを見据えて身構えた。
だが、Nはかすかな苦笑を浮かべただけだった。

「……キミは強いな」

ゆっくりとNが近付いてくる。なんとなく後退るのは負けた気がして、オレはその場でNを睨み上げた。

「だが、ボクには変えるべき未来がある。そのために……!」

眼前で立ち止まったNは挑むような目で見返してきた。仄暗い青の瞳には言い知れない光が宿っていた。

「ボクはチャンピオンを超える。誰にも負けることのない唯一無二の存在となり、すべてのトレーナーにポケモンを解放させる!」

それは確かな宣戦布告だった。鼻で笑いたくなるほどふざけた、けれど言ってる本人にとっては真剣な宣言。

「キミがポケモンといつまでも一緒……! そう望むなら、各地のジムバッジを集め、ポケモンリーグに向かえ! そこでボクをとめてみせるんだ。それほどの強い気持ちでなければ、ボクはとめられないよ」

「はあ?」

こんな素っ頓狂な声を上げてしまうのは今日で何度目だっけか。
意味がわからない。なんで、オレがお前をとめなきゃならないんだ。そういうことはチャンピオンに言え、チャンピオンに。
ポケモンとは一緒にいたいけど、変な事件に巻き込まれるのはこりごりなんだよ。

そんなことを言い返してやろうと口を開くが、Nはすでに背を向けていた。シンボラーをつれて、人混みの中に紛れていこうとする。
その背中に向かって、オレはたった一言に絞った文句をぶつけた。

「だから、お前はオレの話もちゃんと聞け!」


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