傍迷惑ハリケーン
ライモンシティから東に伸びる16番道路を自転車で駆ける。
この自転車は、昨日プラズマ団に襲われているところを助けた育て屋のじいさんから貰ったものだ。最新式の折り畳み自転車なだけあって、軽く漕ぐだけでぐんぐんと風を切って進んでいく。ジャノビーのタージャを後ろに乗せていても、いつもなら置いていかれそうなスピードで前を走るシママのシーマとハーデリアのリクにも簡単についていけた。

だが、そのせいでシーマの背に乗ったモグリューのグリは不満顔だった。一緒に乗った――グリに乗せられた――ヒトモシのユラに困ったような顔をさせているが、気付かず、もっとスピードを上げろとばかりにシーマの尻を叩く。当然シーマも怒るが、それで大人しくなるグリではない。甲高い鳴き声を返して口喧嘩がはじまった。
こうなるとシーマとグリはとまらない。それでも毎回いつの間にか仲直りするから、放っておくのが一番面倒が少ないが、今回は間に挟まれたユラが可哀想で、割って入ることにした。

「シーマ、グリ、その辺にしとけ。ユラが怯えてる」

足も口も止めて、シーマとグリはユラを見た。身を縮めていたユラは注目されていることに気付いて、慌てたように首を横に振る。
鼻白んだように顔を見合せてから、シーマは慰めるような鳴き声を上げ、グリはユラの頭をわしゃわしゃと撫でた。多少手つきが乱暴なのはご愛敬だろう。
戸惑ったようにユラは身を捩ったが、とくに抵抗はせず大人しくされるがままになっていた。こういうノリに慣れてないだけで、嫌ではないらしい。

背後でタージャが呆れたように鼻を鳴らす。反対に、いつの間にか足元にいたリクは嬉しそうに尻尾を振っていた。

「よし、じゃあ先に進むぞ」

またペダルを漕いでシーマたちを抜いていく。慌てたような足音に振り返ると、シーマとリクが追いかけてきた。

ライモンシティの観光の前に16番道路にやってきたのは、自転車の試し乗りのためだけじゃない。16番道路の途中にある迷いの森に行ってみたかったからだ。
迷いの森は、入り組んではないのにいつの間にか迷ってしまうと噂されるイッシュのオカルトスポットだ。
以前アマネにイッシュの名所を色々と教えてもらった時に、その森のミステリアスさに好奇心がくすぐられ、近くにきたら絶対に行こうと決めていた。やっぱり冒険にはオカルト要素も必要不可欠だろう。
ヒウンシティからずっとコンクリートジャングルと乾いた砂漠ばかり目にしてきて、ちょうど森の緑が恋しくなってきたところだったしな。

フェンスに囲まれたアスファルトの道路を進んでいくと、フェンスが途切れた場所があった。その向こうには草木の生い茂る森が広がっている。ここが迷いの森か。

「ぱっと見は普通の森だな」

ハンドルを切って森の中に入ってみる。
木洩れ陽がキラキラと差し込んでいて、ヤグルマの森ほど鬱蒼とした感じはしない。道もこの辺りは草葉に覆われているだけで、アスファルトほどでないにしろ、まだ走りやすかった。

その時、

「ばう!」

リクが声を上げ、タージャが自転車から飛び降りた。
瞬間、なにかにぶつかった。自転車ごと倒れそうになるのを、なんとか踏ん張って起き上がる。
目の前にはオレ1人では抱え込めないほど太い立派な大木が聳え立っていた。これにぶつかったのか。

周りを見ると、グリとシーマが目を見開き、ユラとリクが心配そうにオレを見つめていてくれていた。反対に、タージャは馬鹿にしたように鼻を鳴らしやがった。
この野郎。気付いてたんなら、注意してくれよ。よそ見運転してたオレが悪かったけどさ。

「大丈夫だ。怪我はない」

リクとユラに向けて言うと、2匹は安心したように表情を緩めた。

木も増えてきたから、自転車はここまでにしておくか。
自転車から降りて、小さく折り畳んでバッグにしまう。タージャとグリとシーマが不満そうな顔をするが、知るか。安全第一だ。

「ここからは、お前らもゆっくり歩いてくれよ」

「ブウゥ」

不服そうに鼻を鳴らしながらも、シーマは頷いた。暴走する時もあるが、ちゃんと言えば意外と聞いてくれるやつだから多分大丈夫だろう。強そうなポケモンが現れなければ、だけど。

草むらを踏み鳴らして、森の奥へと進む。草木を揺らす音やかすかな鳴き声は聞こえてくるから、野生のポケモンも近くにいるようだが、警戒しているのか姿を見せることはなかった。

少し歩くと、せせらぎが聞こえてきた。そのまま木々の間を抜けていくと、澄んだ川があった。崖の上から流れ落ち、飛沫を上げている。涼しくて心地いい。今日は夏めいた暑さだからなおさらだ。
川には木の橋が架かっていた。迷いの森とはいえ、この辺はまだ人の手が入っているようだ。もっと奥に行けば、迷いの森っぽくなるんだろうか。

橋を渡って、さらに先に進む。道らしい道を進んでいるからかもしれないが、噂通りとくに入り組んではなさそうな森だ。カノコの近くにあった森とたいして変わらない。これで本当に迷うんだろうか。

「正直、普通のピクニックって感じだな」

拍子抜けして呟くと、それでいいじゃん、とでも言いたげの笑顔でリクが鳴いた。オレとしては少しくらいなにか起きてほしかったが、こいつにとっては平和が一番らしい。

なんて呑気なことを考えていると、ふいにリクが空を見上げた。つられて顔を上げると、遠くの方に雨雲が見えた。風向きからして、そのうちこっちまで来そうだ。天気予報ではとくに雨が降るとは言ってなかったから、ただの通り雨だろうけど、降られると厄介だな。

「今のうちに帰るか?」

空を見上げたままポケモンたちに尋ねてみる。
と、急に風が強くなった。蠢くように森の木々が揺れ、鳥ポケモンの群れが逃げるように視界を横切っていく。それを追いかけるように、遠くにあったはずの雨雲が迫ってきた。
なんだ、これ。雲って、こんなにはやく流れるものだったか?

「ジャノ!」

タージャが雨雲とは逆方向を指さす。そっちにも黒々とした雲があった。そこから稲光が走り、遅れて雷鳴が轟く。その雷雲も吹き荒ぶ風に逆らって、まっすぐにこっちを目指していた。
風を吹き起こす雨雲も雷鳴を轟かせる黒雲も、意志を持っているかのようにこっちに近付いてくる。
それを認識した瞬間、肌が粟立った。リクも耳を伏せて震え、他のやつらも差はあれど落ち着かない面持ちで空を見上げている。
異常を感じているのは、オレたちだけじゃない。
警戒して姿を見せなかったはずのタブンネやハハコモリたちもあちこちで逃げ回っている。近くからも遠くからも、けたたましい鳴き声が上がる。混乱の渦に呑まれ、ざわざわと森全体が騒めいていた。

「逃げるぞ!」

ここにいたらまずい。
オレは来た道を引き返そうとした。だが、もう遅かった。
大粒の雨が全身を打ちつける。雷がすぐ近くに落ちて地面を焦がす。わずかにあった青空は、すでに2つの黒雲に覆われていた。

そして、筋骨隆々とした厳つい老人のようなポケモンが2体、黒雲を率いるようにして現れた。

風を吹き起こす雨雲を連れているポケモンは肌が緑色で、頭に2本の角が生えていた。下半身は雲のようなものに覆われていて、そこから紫色の尻尾が生えている。

雷鳴を轟かせる黒雲を連れているポケモンは肌が青色で、頭に1本の角が生えていた。下半身は同じように雲のようなものに覆われていて、そこから黒い棘のついた玉が連なったような尻尾が生えている。

同種のポケモンの色違いかフォルムチェンジのような2体は、空中で睨み合っていた。火花が散るなんて比喩を通り越して、本物の稲妻が走っている。
ぴりぴりとした空気が肌を刺し、オレは息を呑んだ。頭では逃げるべきだとわかっているのに、身体が縫い止められたように動かない。

雷鳴と雨風の音に混じって、低い唸り声が聞こえてくる。一際大きな雷が閃き、風が強さを増した瞬間、黒雲を連れたポケモンたちがが同時に動いた。
互いに腕を振りかぶって突進する。拳と拳がぶつかり、離れ、また突き出される。青のポケモンの拳が緑のポケモンの腹を抉り、緑のポケモンの拳が青のポケモンの顎を突き上げる。
2体とも相手の攻撃を避けようなんて考えはないらしい。ただ何度も相手の身体に拳を打ち込み続けた。その間も風は荒れ、雷が落ちる。
あのポケモンたちはオレたちやこの森のポケモンたちのことなんてお構い無しらしい。意図的に襲うことはなかったが、巻き込まれ逃げ惑うポケモンたちのことを気にする様子もなかった。お互いに相手のことしか目に入ってないようだ。

「ジャノ!」

「だっ!?」

べしっと後頭部を叩かれ、オレは我に返った。蔓で手を引っ張られ、険しい顔をしたタージャに睨み上げられる。

「そうだな……、逃げねえと」

ライモンシティのゲートまで戻れば、この嵐もやり過ごせるはずだ。

「いくぞ!」

固まっていた足がようやく動いて、オレは駆け出した。
リクとシーマたちがついてきていることを確認する。グリとシーマは嵐を呼ぶポケモンたちと戦ってみたいのか、ちらちらと後ろを振り返ってはいたが、ユラかリクが説得してくれたらしく、文句は言わずにオレの横に並んだ。リクもオレのすぐ後ろをついてきている。はぐれないようにするためか、タージャはリクとオレの腰に蔓を巻きつけて滑るように前を走った。
木々の間を抜け、段差を飛び降りてショートカットする。時折背後で轟音がして、衝撃波のような突風に飛ばされそうになったが、咄嗟に近くの木や岩に隠れて、なんとかやり過ごした。

くそっ、遠いな。途中の川すら見えてこない。思ったよりも森の奥深くまで入っていたみたいだ。ライモンシティまで辿り着けるか不安になってきた。
洞窟でもあれば、そこであいつらがいなくなるのを待てたが、道中にそんなものはなかったしな。

「ヒィン!」

ふいに、シーマがいなないた。かと思うと、急に曲がってぐんとスピードを速める。

「シーマ!」

追いかけるが、シーマの背はみるみるうちに小さくなっていった。気を抜くと、雨に紛れて見えなくなってしまいそうだ。

「なんなんだ、いったい!?」

「ジャ!」

タージャが蔓で上空を指し示した。薄暗いうえに激しい雨のせいで見にくいが、なにかが落ちてきている。
その真下でシーマは立ち止まった。
雨の中で、ユラの瞳が妖しく輝く。すると、なにかが落ちるスピードがゆるやかになった。この状況には不似合いなほどゆっくりと降りてきたそれをグリがキャッチする。

「ぐりゅ!」

「ヒィィン!」

短く声を交わして、シーマたちは戻ってきた。
グリの腕には、水色の羽毛に覆われた鳥ポケモンがいた。確か、コアルヒーだ。この辺りに棲息していて、進化系のスワンナとともに空を飛ぶ姿がライモンシティからでも見えた。
コアルヒーは気絶しているらしく、ぐったりとグリにもたれかかっていた。翼の付け根辺りには火傷のように爛れた傷がある。きっとあのポケモンたちの喧嘩に巻き込まれたんだろう。

「よくやった」

褒めてやると、グリとシーマは得意気な笑みを浮かべた。ユラは自分も褒められていることに気付いているのかいないのか、心配そうにコアルヒーを見つめたままだった。
パーカーを脱いで、ユラたちごとコアルヒーに被せてやる。すでにびしょ濡れだが、気休め程度でもないよりはましだろう。

水溜まりを蹴って、また走り出す。嵐はやむどころか、さらに激しさを増していた。
おかげで視界が悪く、この道であってるのかすらわからない。気力も体力も奪われて、状況は悪化するばかりだ。

「ばうばう!」

その時、リクが吠えながら前にでた。ついてきて、とばかりに一目散に駆けていく。なにか見つけたんだろうか。
細い糸に縋るような気持ちで追いかける。これで助けになるようかものがなかったら、心が折れそうだ。

しばらく――実際は30秒くらいだったかもしれないが、体感ではもっとかかった気がした――走ると、木々の間に大きなキャンピングカーが見えた。ライトはついてないが、オレには光って見える。嵐が過ぎ去るまで、中にいさせてもらおう。
なんとか辿り着いたドアに手を掛けて勢いよく引くと、意外にもあっさりと開いた。これ幸いと転がり込み、オレはなかば叫ぶように中にいるはずの人に声をかけた。

「悪い、嵐がやむまでここにいさせてくれ!」

返事はなかった。代わりに奥から若い女性が現れる。
その顔はあからさまに迷惑そうだ。まあ、こんなずぶ濡れで勝手に上がり込んだんだから仕方ないか。
だからといって、でてけと言われても今は無理だが。

「お願いします。やんだら、すぐにでていきますから」

今度はなるべく丁寧にお願いする。
女性はじとっとした目でオレたちを見下ろしたが、ため息をつくと、「やむまでなら」と諦めたような声色で許可してくれた。

「ありがとうございます」

礼を言った途端にほっとしてへたり込みそうになるが、なんとか気力を持ち直して、シーマの背から傷付いたコアルヒーを抱き上げる。

「すみません。こいつの治療をしたいんですが、そこのテーブル、借りてもいいですか?」

「それ、オマエがしたの?」

「そんなわけあるか!」

疑惑を通り越して完全に軽蔑しきった目を向けられ、オレは思わず素で返してしまった。慌てて「違います」と取り繕って、この嵐がポケモン同士の喧嘩によるものであること、このコアルヒーはその喧嘩に巻き込まれて怪我を負ったことを説明する。

女性は表情を変えずに聞いていたが、一応信じてくれたらしく、「ここ、使えば」とテーブルの上にタオルを敷いてくれた。
女性に礼を言ってコアルヒーを寝かせ、タオルで軽く包み込むように身を拭う。怪我は翼の付け根の火傷だけのようだ。
キズ薬を求めてバッグに手を伸ばす。だが、その前にタージャが手渡してくれた。ありがとな、と受け取って、火傷に吹きかける。かすかにコアルヒーの身体が跳ね、オレは落ち着かせるように「大丈夫だ」と繰り返し撫でた。同じようになんでもなおしも吹きかけ、ガーゼをあてて包帯を巻く。これで今できる処置は全部だ。
心配そうにユラとリクが覗き込んでくる。シーマとグリも流石に今は大人しく離れてコアルヒーを見つめていた。

「あとは、はやくポケモンセンターにつれてってやれるといいんだけどな」

窓の外を見やるが、天気は変わらず嵐のまま、遠くに見える厳つい2体のポケモンたちの勝負も終わりそうにない。
だが、キャンピングカーの隅に立つ女性は窓も見ずにオレの推量とは反対のことを口にした。

「もうすぐ終わる」

「えっ、なんで」

「アレがくる」

その言葉とともに地面が揺れた。
転びそうになって、慌ててコアルヒーを胸に抱え込んでしゃがみ込む。「大丈夫か!?」とポケモンたちを確認すると、みんな身を低くして――リクとユラは頭も抱えるようにして――じっと揺れに耐えていた。

長い揺れが収まり、タージャとグリとシーマがわずかに顔を上げる。3匹の視線を追って窓の外を見上げると、緑と青のポケモンの間に、これまたよく似たフォルムをした赤土色のポケモンが割って入っていた。赤土色のポケモンは青と緑の拳を押さえ込み、大地を揺るがす咆哮を上げる。

「あの2匹、いつもこの辺りを回って嵐を起こしては、アイツに怒られてる。懲りずにすぐにまた暴れ回るけど」

慣れたような口振りで女性が説明する。
緑と青のポケモンがよく問題を起こす兄弟で、赤土色のポケモンはそれを叱る親ってところか。実際の血縁関係の有無は知らないが。

緑のポケモンも青のポケモンも一喝された程度では大人しくならないらしく、今度は赤土色のポケモンに食ってかかった。だが、また簡単に押さえ込まれて投げられる。

「よく知ってますね。もしかして、旅の途中で何度もあいつらに遭遇したんですか?」

こんなキャンピングカーに乗ってるんだから、きっと旅をしてるんだろうと当たり前のように思っていた。
だが、

「旅なんてするわけない」

女性は苛立ったように否定した。

「外は嫌いだ。ヒトがうようよいる。トモダチもコドモもアイツらに奪われた」

灰青の瞳に激しい憎しみが浮かぶ。忌々しげに唇を噛み締め、女性はオレを睨みつけた。
過去になにがあったのかはわからない。酷く惨い目にあったことだけは容易に想像できるから、半端な覚悟で尋ねることもできない。下手なことを言ったら、きっと傷つけることになる。
それなのに、なにか言わなきゃいけない気がした。なにも言わない方がお互いのためだとわかっているのに、なにか言ってやらなきゃ気がすまない。
それはきっと、彼女の瞳がNに似ていたからだ。

「……でも、オレのことは助けてくれるんだな」

でてきたのは、そんな皮肉のような言葉だけだった。我ながらなにを言ってるのか。これなら黙っていた方が絶対にましだ。
だが、女性は鼻白んだように顔を背けた。その横顔は意外にも静かに凪いでいた。

「オマエから少しだけトモダチのにおいがしたから」

ぽつりと呟かれた言葉は嵐の音に紛れて消えてしまいそうなほど小さな囁きだった。
意味はわからなかったが、それ以上は答えてくれない気がして、オレはまた窓の外に目をやった。

緑のポケモンと青のポケモンは何度も一方的に赤土色のポケモンに殴られて、やがてすごすごと逃げるように背を向けた。振り返ることもなく、すーっと森から離れていく。黒雲も2体のポケモンについていき、やがて雲一つない青空が窓の外に広がった。大雨も暴風も雷も、もうどこにもない。唯一残った赤土色のポケモンも役目は終えたとばかりにどこかへ立ち去っていった。

それを確認すると、女性はキャンピングカーのドアを開けた。嵐は過ぎたんだから、さっさとでてけということらしい。
元々そういう約束だし、コアルヒーをはやくポケモンセンターに連れていきたいから異論はない。だが、問題が一つあった。

「あの、どうしたら森の出口に辿り着けますか?」

女性は軽く目を見張り、思い切り顔を顰めた。
仕方ないだろ。嵐の中を必死に走り回ったせいで、方向感覚なんかもう狂いに狂ってるんだから。

「ついてこい」

ため息を吐いて、女性は外にでた。礼を言って、オレたちもあとに続く。
はやく終わらせたいのか、女性はあえて遠回りして歩きやすい道を選ぶようなことはせず、どれだけ道が悪くてもまっすぐ最短距離を進んでいるようだった。
慣れているらしく、歩くのに苦労する道でも女性はすたすたと早足で進んでいく。こっちが藪やぬかるみに足をとられそうになっても止まってくれないから、追いかけるだけでも骨が折れた。呆れながらもタージャが手を貸してくれなければ、本気で置いていかれたかもしれない。

しばらく進むと、せせらぎが聞こえてきた。もしかして、と思うと同時に木々の間から来た時に渡った川と橋が見えてくる。

「ここまできたら大丈夫です。本当にありがとうございました」

「そう」

最後まで笑顔を見せることなく、女性はさっさと踵を返した。
オレたちも駆け足で川を渡る。はやくポケモンセンターに行きたいから、森をでたらまた自転車に乗るか。
そんなことを考えながら、ふと後ろを振り返る。
だが、そこに森はなかった。なにもない草原だけが広がっている。そして、赤黒い鬣を靡かせたポケモンが1匹、そこに立っていた。

「えっ……」

瞬きをすると、景色は元の森に戻っていた。赤黒い鬣を持ったポケモンも見当たらない。小さくなった女性の背中が見えるだけだ。
見間違い、だったんだろうか。

と、急かすようにシーマが軽く体当たりをしてきた。その背に乗ったグリも訴えるように何度も短い鳴き声を上げる。

「悪い。はやくいかないとな」

グリとユラを背に乗せて、シーマが駆け出す。
オレもコアルヒーを抱え直して、タージャとリクと一緒にあとを追いかけた。


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