Verweile doch | ナノ

Act.1 白い鴉 -04


話し合いは随分と難航した。結局折れたのは私だ。
彼らは妖力だか念力だかでお金を稼ごうというが、私はそれを頑なに否定する。しかし金がなければ始まらない。人の世話になる。これも私が否定する。野宿。これは彼らが否定する。その繰り返してある。まったく以って実のない会議だった。
野宿はさせないと言い張る彼らをどうにか言い宥め、私は譲歩として人通りの多い通りを途方もなく歩くことになった。闇雲に歩いて宿を見つける、など、どうにも抽象的な計画である。

「……ああ、花畑が見える…。」

「おいおいお嬢ちゃん、死ぬなよなあ。」

私の身体は数日水だけで生きて行けるレベルには生活水準が低い。そのかわり普段は座り仕事なため、一日どころかこの数時間で走る歩くを繰り返している私は、その足と身体に大きな負荷を与えすぎていたようだ。

「……すまない、もう、限界だ。
ここで…ここで休ませてくれ。私にはこれ以上数歩たりとも体を動かせるほどの体力は持ち合わせていないのだ。」

『だめよ、もう少し頑張って、文乃。
その荷物はここで置いていきましょう、そうすればいくらか軽くなるわ。』

「それこそ……だめ…だ。
私の聖書を置き去りにするなど、神が赦しても、私が許せな……」

もう、ここで少し休んでしまおう。
私は高級なお屋敷の間の路地に入り込み、その壁に体を預けた。
しゃがみこむと、いよいよ腰が上がらなくなる。少しくらい寝ても罰は当たらないだろう。幸いこの界隈には野良犬が少ない。治安も悪くなさそうだ。今良い口実を思いついた。いずれにせよ私はこのまま歩けば路頭で意識を失っているであろう。つまり結果としてこのまま歩き続ければ警察の世話になるだろうが、それもまた成りゆく未来の一つだ。しかしそんなものはごめんだ、荷物もすべて没収されるだろうから。私はこの鞄に大切にしまいこんだこいつと共に朝を迎えたいのだ。ここで眠ろう。さあ、眠りに落ちようぞ。


*


『ああ、眠ってしまった。
どうか起きて、文乃。私はあなたに安全な所で過ごして欲しいの。』

少女――エリスは、壁に擡(もた)げて眠りに落ちた少女の肩を揺する。起きる気配はない。直ぐ傍では同様に肉球を彼女の腹に押し当てる黒猫が鳴いていた。

『おやおや…ついに眠られてしまったか、お嬢さんは。
仕方がない、私が運ぼう。』

紳士の言葉は、その場にいる誰もが理解できはしなかったが、どうやら彼には人間に模せる力があるようだった。彼は推定150にも満たないその小柄な体躯を軽々と横抱きにすると、裏路地を通ってしばらく歩いた。

『それにしても、行先がないというのは本当に困ったものだ。
そして今の私には通訳人が居らない。彼らとの意思の疎通をどうしようか。』

紳士の後ろではドイツ語と日本語と、猫の鳴き声が聞こえる。互いが互いの言語を理解できないが、目的は同じなのだ。酷く歪で奇妙な集団だ。
ふと、ドイツ人の少女は紳士の襟を引いた。紳士は歩みを止めて少女を振り向くと、彼女はたどたどしく、homeとつぶやき暗闇の向こうを指差した。紳士にはその正確な意図は伝わらない。しかし、そこに目的地があるというのであれば喜んでついていこうというものだ。

小柄な少女を抱いた紳士を始めとする一行が向かった先は、先ほどエリスと文乃が書生に出会った洋館だった。紳士はエリスの顔を再び見やるが、エリスは困ったように右往左往していた。彼女自体も、この後の行動は及びもつかなかったのだろう。

『ああ、どうしたら。今の時間にお父様は帰ってきているはず。家の前に置き去りにしては、いずれ文乃は体を壊してしまうわ。』

忙しなく庭を行き来したりしているエリスを見て、ドイツ語のわからない武人も紳士も彼女の状況は把握できた。

『生憎私は祖国の英語と仏語しか嗜んでおらない為に、彼女の言っていることを理解することはできないが、ここが彼女のお父上…もしくはお母上の家だということは漠然と理解した。となればどうにかしてこの館の主に彼女を泊めていただく他はない。』

「お、おい南蛮人、お前さん、何をする気だ?
まさか他所の家にそいつを預けるなんてこと…」

武人が引き止める前に、紳士は洋館の扉を叩いた。
エリスは驚いた顔で紳士と文乃の下へ向かう。少しして、その屋敷の住人が出迎えた。

「はい、どちら様かな。」

『夜分遅くに申し訳ない。
貴君はこの館の主人だろうか。』

紳士を出迎えたのは、茜色の頭髪を自由に遊ばせたようなヘアスタイルに、ゴールデンイエローの双眸。整った顔立ちの、歳にして二十半ばに見える青年だ。彼は口元に朗らかな笑みをたたえ、その顔は自信に満ちていた。紳士の両腕に収まる少女を見ると、一つ眉を潜めて彼の言葉に対して英語で返事を返す。

『いかにも。私がこの館の主ではあるが…うちに何か用だろうか。』

紳士は言語の通じる相手に安堵を覚え、さらに会話を重ねた。

『実はこのお嬢さんが、路頭に迷っていたのを見て、少しの間一緒に帰り道を探していたのだ。彼女は疲れ果てて眠ってしまったが、生憎私はこれから船に乗って行かねばならぬ処が在る。偶然近くで見つけたこの洋館で、彼女を一晩泊めてやってはくれぬだろうかと馳せ参じたまで。』

赤髪の青年は事態を聞くと、飲み込みきる前に目を見張った。

『何と!それは誠に難儀な境遇じゃないか。
良かろう、私が責任をもって後任を努めよう。』

『うむ、貴君のその寛大な美心に感謝致す。』

紳士は文乃を、その青年に受け渡した。深く睡眠を摂っている少女は一連の動作にも軽く身じろぐだけで、起きる気配はない。青年はその寝顔にくすりと笑むと、もう一度紳士に顔を向けた。

『そうだ、最後に貴殿の名を……――おや?」

聞きたいことはまだいくつか残されていたが、玄関の外に先ほどの紳士は存在しなかった。少し外に出て呼び止めようとするも、その姿は青年の瞳には映らない。
不思議なこともあるものだと、青年はその少女を抱いて二階へと上っていった。




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