安室さんと瞳の中の暗殺者01

刑事たちが毛利名前を姉のように毛利小五郎の娘としてではなく、子供たちと接するのと同じような扱いをするのは、国家権力を持する己が道を踏み外すことがないよう戒めの気持ちが込められているから。それに気がついたのは最近のこと。

「名前ちゃん、お父さんのそばにいなくていいのかい?」
「今日は母の付き添いなんです。父の同行人というのは嫌みたいで」
「あはは…それで別々に記帳を……」

化粧室へ向かった母を待つ間のエスコート役は高木という名の若い刑事。この男は一課の中でも害の少ない男であるという認識なので、パーティドレスを身にまとい、透き通るデコルテを存分に晒している名前を任せてもさほど問題はない。もちろん苛立ちはしたけれど。

「それにしても疲れるだろう?こんなに知らない人ばかりのパーティだなんて」
「結婚パーティに呼んでいただいたのなんて初めて。幸せを分けてもらっている様な気持ちになって楽しいです」
「幸せを分けるかぁ…いいよなぁ結婚って」
「次は高木刑事と佐藤刑事の式かなぁ?楽しみにしていますね」
「き、気が早いよ名前ちゃん!」

くすくすと可愛い吐息がノイズのひとつも感じさせずに透き通って耳へ届く。BGM用にと録音ボタンに指を伸ばしかけた頃には母が戻ってきて、家族は結局ひとつの場所に集まった。娘は久しぶりの家族の再会にいつもより心なしか声が高くて、それもまた愛しくて堪らない。

「まったく…刑事ってどうしてこうも目つきの悪い人ばっかりなのかしら」
「お、お母さん、声が…」

風見に頼んだ急拵えの出席者リストを確認しながら苦笑する。確かに愛想の良い集団ではないし、見ようには反社会的勢力にすら見えてくる。自分もその中の1人であることに変わりはない。

「でも、鳩が豆鉄砲を食らうってああいう顔のこと言うのね。ちょっと怖かったもん」
「安室さんでしょ?私もびっくりしちゃった。名前ってば本当に愛されてるんだから」
「あーあ。あのままおじさまがこなかったら公開プロポーズ見れたのにい」

名前は黙りこくっているし羞恥で今にも泣き出しそうだ。

店前の掃き掃除中に階段を降りてきた天使と目があったとき、視界に入れただけで人を殺すことができる様な格好でパーティなんかに行くのかとほとんど泣き叫ぶところだった。毛利小五郎の登場があと少しでも遅かったら土下座でもなんでもして外出を阻止していた。

「この地球上の何より美しい。名前さん、貴方を心の底から愛しています」
「ああああむろさん、こんなところでそんなおおきなこえ…」
「この姿が他の男の目に触れるだなんて虫唾が走る」

確かに女子高生が怯むくらいには表向きの顔を忘れて犯罪組織の組員の表情だったし、そのあと矢継ぎ早に紡いだ歯の浮く様なセリフに名前は首まで真っ赤に染めていた。

それにしても身内や友人が背中を押してくれているのは心強い。少年には最後まで誘拐犯を見る様な視線を向けられていたけれど。

「本当、はやくくっついちゃいなさいよ。もどかしい」
「でも探偵はダメよ。もっとしっかりとした職についた男じゃないと幸せにしてもらえないわ」
「ちょっとお母さん!娘の恋愛に首突っ込まないでよね!」
「あら、私は誤った道に進んでほしくないだけよ。それから警察官もダメ。いつどんな恨みを買うかもわからないし、女は待っている生き物だと勘違いしている時代遅れの男ばっかりだもの」

出席者の半分以上がその警察官なので妃英里の声があと少しでも大きかったらこの場で名前に色目を使う男たちを消沈させることができただろう。
自分は彼女が待ってくれているだなんて思ったことはないから時代遅れという点はさておき、職業に関しては何を取ってもお眼鏡にかないそうもないので、母親の懐に入り込む術を最優先で考える必要がありそうだ。おそらく一筋縄ではいかない。





「それで間違って高木くんを背負い投げしちゃったってわけ。だって、犯人みたいにおどおどしてたんだもの」
「高木刑事可哀想…でも、やっぱり佐藤刑事って強くて憧れちゃいます」
「何言ってるの、蘭ちゃんだって強いじゃない。ねぇ?名前ちゃん」
「お姉ちゃんも佐藤刑事も、強くて綺麗で憧れます」
「やだもう!本当に褒め上手なんだからっ」

女子トークに花を咲かせながら、双子と女刑事は化粧室へ向かう途中。

名前のスマートフォンはポロンと可愛い音を鳴らしてメッセージを受信した。いつになったら公認の中にしてくれますか。すぐに既読となり、返事はその3分後、心の準備ができていないんですと可愛らしい謝罪のスタンプと共に送られてきた。知らない間に口説かれたりでもしたら怒りますよと返事を打って、イヤホンを耳から引っこ抜く。
ここまできたのは取り越し苦労だったのかもしれない。彼女の近くには優秀なボディガードが何名も存在している。

名残惜しい少女の笑い声を手放して地下の駐車場でエンジンを掛けたその時、少し遠くで携帯電話の着信音、それに続いて小規模な爆発音が耳に届いた。

『ちょっと様子を見てくるわ』
『わたしもいっしょにいきます』

助手席に放り投げたばかりのイヤホンを再び耳に突っ込んで、階段を駆け上がる。名前は普段通りの落ち着いた声色だったが、頼むから危険なことに首を突っ込むな。

『あれ?こんなところに懐中電灯…』
『っ、だめッ、蘭ちゃん!』
『おねえちゃ…、っ!』

ドサッと何かが倒れる音と、銃声が4回。水道管が破裂して、水が流れる音の奥に誰かの呻き声が聞こえる。それから姉の叫び声が割れたのを最後に、嫌な砂嵐の音だけが耳に届いた。

「クソ…ッ!」

一向に出る気配のない電話を鳴らしながら無我夢中で駆け上がっても、目的の階が遠くて一生辿り着けない様な気にすら陥る。
刑事たちが目的地へ揃って駆けて行くのが見えて、遂に自分の出る幕は消えてしまった。潜り込んだ部屋の壁を思いっきり殴りつける。

また、間に合わなかった。




△ ▽ △ ▽





部下に名前の命に別条はないと訊いても、その姿を見るまでは信じることができなかった。病院にたどり着いた頃、姉は目を真っ赤に染めていたので尚更。

「名前なら無事だよ。外傷も少ないし、蘭を庇ったところを佐藤刑事が更に庇って撃たれた。佐藤刑事は今もICUにいる」

音もなく目の前に現れた少年の顔に覇気はないし、口調が違っていることすら気付いていない。
目の前で仲の良い刑事が撃たれたのだから、きっと酷く心を傷めて自分を責めている。意識もあるらしい今の状況に複雑な気持ちを抱いた。

「これ、入れたの安室さんでしょ。刑事さんたちに訊かれたから博士の発明品だって言っておいた。これがなかったら名前に当たっていたかもしれないから」
「……ありがとう、助かるよ」

差し出された白い箱には銃槍が1つ。蘇る屋上での忌まわしい記憶をどうにか消し去って意識を名前に集中させた。
ポアロの前で彼女を送り出した時に忍ばせた件の盗聴機が、こんな結果になって手元に戻ってくるとは思わなかった。しかしあと少しでもあたりどころがズレていたらと思うと全身から血の気が引いてゆく。

「怖かっただろうね。暗闇の中で、何が起きているか分からない状況だった」
「犯人の情報は全くないんだ。安室さんが知ってることを僕にも教えて」
「僕がわかるのは蘭さんが知っていることと同じだよ」

もう次期家族以外の面会も許されるというから病室までの長い廊下を並んで歩くが、少年のやるせ無い気持ちは痛いほどわかる。盗聴器から得た情報は繋げるにもピースが全く足りていない。

「失礼します」

声が震えるのをどうにか堪えながら視線を上げれば、天使は家族に囲まれて、窓から差しこむ陽の光を浴びながらベッドに鎮座していた。
優しくて、それでも少し困った様な表情がこちらを振り向いて、漸く肩の力が抜ける。

「無事でよかった…」
「……こんにちは」

初めて見る気の抜けたような笑顔。思い詰める様な顔をしているわけではなくて拍子抜けしたし、周囲の表情が入ってこないほど自分も張り詰めていた。

「初めまして妃先生。安室透と申します」
「…よろしく。蘭から聞いているわ」

この数時間は生きた心地がしなかったから、母への挨拶もそこそこに麗しいその身体に躊躇なく近づいた。いつもの照れる様な素振りは返ってこない。

「無茶をするなといつも言っているでしょう」
「…ごめんな、さい……」
「怪我をしているなんて初耳です」

額のガーゼを優しく撫でると、条件反射の様に下手くそなウインクをして、きょとんと首を傾げる。目を合わせる時に躊躇し、羞恥で視線を泳がすいつもの癖は見当たらない。

「……僕をご存知ですか」
「…っ、」

語尾はもう震えて萎んでいたし、名前の大きな瞳はそのたった一言でぐらりと揺れた。1番返ってきて欲しくない反応に、喉の奥が焼ける様に熱い。

「名前…そんな……なんで…」

少年も目を見開いて信じられないとでも言う様に奥歯を噛み締めた。

「何も覚えていないのよ。自分の名前すら」

大きな瞳は安室透の奥に降谷零を見ていない。
絶望の波が心を襲って、姉の充血の理由に漸く辿り着いた。

「脳に異常は見当たらないから、外傷性の逆向健忘症らしい。名前は現場に連れて行けって言ってきかねえんだ」
「そんな、反対です!思い出せば自分を責めてしまう」

守りたいと願うものはいつだっで守ることができない。この子だけは何に変えても守り抜くと決めたのに、神は己から大切なものを奪ってゆくのが使命なのか。

「私はきっと犯人を見ています。思い出したら、役に立てるかも、」
「名前…」
「この子、さっきからずっとこの調子なんです…」

毛利蘭は両手で顔を覆って母に凭れた。
記憶をなくしても自分のことは顧みず、人のために自分を犠牲にするところは変わらない。それが家族の良心を正面から切りにかかっている。

「犯人は捕まっていません。ご家族のためにも熱りが冷めるまで下手な行動は辞めて下さい」

無事を喜んだ数分前の自分を今すぐにでも殺してしまいたい。
目の前で悲しみと不安に打ちひしがれる名前の身体を抱きしめることは、遂に叶わなかった。







頭を冷やそうと一緒に病室を出た小学生は29歳の自分よりも思い詰めた表情を浮かべていた。立ち向かう敵が人間ではなく彼女の脳内、記憶となればこちらもなす術が見当たらないので仕方がない。
自分も少し落ち着きたかった。

「もっと早く気づくべきだった。名前が暗闇の中を1人で歩いていたって」
「人の気持ちを読むのに長けた子だからね。君にも心配をかけたくなかったんだよ」
「記憶をなくしてもそういうところは変わらないんだから、もっと困るよ」

いつもごめんなさいが二言目にくる娘だから、きっと家族も最初は疑問に思わなかった。それはこの少年もそれから自分だって同じ。だから寄り添うことを許されない様な今のこの状態は半殺しにも程がある。

「僕たちにできることは犯人を探すことだよ、コナンくん。彼女が狙われるのは間違いない」
「でも、安室さんは僕にゼロの情報をおろしてくれないでしょう?」
「手厳しいなぁ。一課が手詰まりにならない限りこっちにも情報はこないんだ。でも協力はするし、君にお願いしたいことはいくつもある」

不服そうな表情ながらもこちらに分があると理解したのか、初めて江戸川コナンは同じ方角を向いて首を縦に動かした。




「入ってもよろしいでしょうか」
「はい、どうぞ」

鈴の鳴る様な声に、全身に力をこめて扉を開ける必要があった。そうでもしなければ声も身体も情けなく震えていた。

「お加減はいかがですか?」
「きっと、あ…むろさん、よりは眠っています。私が言えたことではありませんが…どうか、お休みになってください」

ぎこちなく名前を呼ばれて他人行儀にされると、喉の奥がどうしようもなくジンと痛む。今までだって何度もそうして身体を心配されてきたから、淡い期待が頭をよぎった。

「蘭さんから聞きました。とても良くしていただいていたと」

伏せられた頬に影が落ちて、静かな病室には己の心音が五月蝿く響く。彼女にまで聴こえてるような気がしてならない。向けられた瞳に映る自分は酷く情けない顔をしていた。

「こんなことになってしまってごめんなさい」
「っ、名前…」

白い布団に顔がつきそうなほど頭を下げられて、目の前が真っ暗になった。孤独の波にさらわれてしまったのはこの少女の方だというのに、自分がこんな顔をしていてどうする。

「あむろ、さん…?」

見上げられた表情は初めて出会ったあの日とよく似ている。不安と恐怖が相まった、守るべき大切な命。

「初めまして名前さん、安室透と申します。先ほどは取り乱してしまい申し訳ありません」
「…え?」

取り戻せなくたっていい、また1からやり直せば。どんなに記憶をなくしても彼女は彼女のまま。愛する気持ちは何一つ変わらない。

シーツを握る小さな手をすくう。あたたかいのは彼女が苦しいほど生きている証拠。

「何度だってやり直しましょう。これからのあなたの記憶の一部に僕を残してくれるととても嬉しい」

下がった眉と一緒に溢れたダイヤモンドを拭って瞼に口付ける。頬にようやく赤みがさして、それがまた希望の光の様に感じた。

もう絶対に奪わせない。
守るべきものは、まだこの世に存在している。

2021.02.25
瞳の中の暗殺者01

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