安室さんとミステリートレイン

「あれ…?あなたも乗ってたんですね、安室さん!」
「えぇ、運良くチケットを手に入れたので。今日は名前さんも一緒なんですね」

頭に描いていた完璧なシナリオが一瞬にして崩壊した。昨日見かけた制服姿の彼女は息苦しそうにマスクをつけていたから、いつも通り留守番だと踏んでいたのに。

「園子ちゃんがとっても良いチケットを取ってくれたんです」
「ガキンチョ達は普通の部屋だけどね」

あのじゃじゃ馬娘はなんてことをしてくれた。きょとんと首を傾げるこの少女を中心に自分の行動が左右されている。

「嬉しくないのぉ?せっかく名前に会えたっていうのに」
「それはもちろん嬉しいですよ。名前さんは中々ポアロにも足を運んでくださらないですから…この機にどう距離を縮めようか思案していたところです」

女子高生の黄色い悲鳴が廊下中に響く。意中の少女は顔を赤らめて絹のような髪の毛をはらりと揺らした。それがこちらの欲を駆り立てているということに、いい加減気がついた方がいい。

小さな白い手を取り唇を寄せれば、少女のビー玉のような瞳が大きく開く。耐性が無いことはこの可愛らしい反応から充分すぎるほど理解できた。

「誰にでもそんなことをなさるんですかっ」
「おや、嫉妬ですか?可愛いですね」

震える細い声が脳髄を支配する。恥ずかしさから逃れるために体を捩る少女を渋々解放すれば、ぴょこぴょこ走って片割れの後ろへと身を隠した。あの少年がいたら間違いなく自分はサッカーボールの餌食になっている。

愛しい彼女よりも顔を真っ赤に染めた2人も、できれば空気を読んでもらいたい。ここにいられてはいろんな面で困ることがある。


彼女より小さな影が、奥で動いたような気がした。




△ ▽ △ ▽





五感よりも脳が先に覚醒して、巨大な機関車の腹の中にいることを思い出す。

額を掠めた柔らかい感触は知っている、匂いだって忘れるはずがない。微かに開いた視界の端でミルクティーブラウンが揺れた。こちらを振り向きもせず扉に手を掛ける彼が知らない人に見えて不安が押し寄せる。声を出したくても出せなくて酷い頭痛が襲いかかった。そのまま意識を手放した私は再び深い微睡みの中へと潜ってしまう。


どのくらい時間が経過したのかわからない。肩を乱暴に揺さぶられて覚醒した意識の中、1番最初に瞳に映ったのは見知った顔だった。

「起きろ。今すぐここを脱出するぞ」

どうして貴方が、薬の作用なのか口は愚か身体さえも上手く動かすことができない。見兼ねた連邦捜査官が素早い動きでひょいと抱き上げた。寝ている間にそうやって移動させてくれればよかったのに、最初から一緒に行動をするつもりはなかったらしい。
近頃は工藤邸で平穏な余暇を愉しんでいるはずなのに、相変わらず隈の酷い顔。

「コナン君は……コナン君は、無事ですか」
「ボウヤなら既に前の車両だ。ここもすぐに火が回る」

危険なのは知っていた。
少年が妙に周囲へ気を払っていたことも、灰原哀がビクビクと怯えて私の服を掴んでいたことも。そして大学院生を脱ぎ捨てた貴方がここにいることも、何か大変なことが起きると言っている。

「この先に君のお姉さんが待っている。きっと君を探して不安がっているだろう」
「赤井さんも一緒に、」
「この格好では人前に出ることができないからな。すぐに着替えて君達に合流するさ。心配はいらない」

この男はいつだって私を子ども扱いする。貴方がその格好でここにいることを私が疑問に思っていないと腑に落ちていることが何よりの証拠。もとより私に合流するつもりなんてさらさら無い癖に。
頭を撫でた大きな手がそのまま私の背中をポンと押す。このドアを抜ければ6号車。振り返ると煙に巻かれた亡霊は姿を消していた。

安室さんは無事だろうか。薬を飲まされたことを少年に言えば、きっと彼は父に言う。しかし、あの人を悪い人だとはどうしても思えなかった。だって、部屋を出る前に耳に届いた彼のテノールは、確かにごめんと言っていたから。


霞む視界は先ほど吸い込んでしまった白煙の所為だと身体に言い聞かせる。額に滲む汗はこの季節に適した量ではないことは把握済み。唇から血の気が引いて行く感覚はもう慣れっこで、霧の中を音も立てずに進んでゆく。男女の声が僅かに聞こえてきたと思ったら、ガシッと肩を掴まれて後ろに大きく体が傾いた。

「っ」
「いつから日本語がわからなくなった、前に行けと言っただろう」

豆だらけの指に触れられて全身が強張る。声をあげない私が怖がっていると思ったのか、FBIの彼はわたしの頭を撫でてからハンカチを口に当てた。この人だって前の車両に行くと言っていたくせに。

「あのボウヤも君がここにいることは望んでいないぞ。何故戻ってきた」

分かっている。自分が非力だということも、ここに来たって誰かの足手纏いになることも。しかし足を踏み込んでしまった以上、みんなに護られているだけではいけない気がする。安室透に薬を飲まされてしまった事がいい例だ。
かと言って、目の前の捜査官に最近知り合った男性の末路が気になってとも言い出せなかった。この人は私を危険に晒すことをゆるさない。

「…まあちょうどいい。名前、少し力を貸してくれないか」
「一緒に居てもいいのですか?」

こくりと頷いた赤井さんはそっと私の腕を取って口端をあげる。次はいつ見る事ができるかもわからないその亡霊のような存在を確かめるように、彼の手を目一杯握って、たしかに足を踏み出した。


8号車で息を潜めている時間は非常に長く感じる。いつ誰が来るかも分からないのに赤井さんはいつも通りで、わたしの手を握る力さえもずっと強いまま。まるで大丈夫だとあやされている気分になって、彼がついに人の心を読む術さえも習得してしまったのではないかと不安に思った。

「武器になるようなものは何も持ってません。探偵バッジは博士に預けてしまっていて」
「何を言っている。君は俺の隣に居るだけでいいんだ。離れるなよ」

何故とそれ以上詮索しない賢い少女はそのまま静かに頷いた。身分を明かす前は自分のような不審者に心を許す少女の未来が不安で仕方なかったが、近くに置いて守ればいいということに漸く気がついた。
自分の危機を感じ取る機能が壊滅的に欠落して居るところが本当に残念な娘。だから放っておく事ができない。

「だれだ…ッ!」

殺気を隠しきれなかった男が声を荒げる。この男が少女に接触があるということは把握済み。彼がその気なら、こちらもそろそろ全力でいかせてもらう。絶対に逃しはしない。

「……っ、何故貴方がここに…!」

またも彼に恨まれる対象が増えてしまった。少女は脚を晒しただけだと言うのに、それだけで彼女だと認識することができる頭脳は褒めてやる。しかし肝心の少女は普段とは全くの別人の安室透を目の当たりにして酷く混乱している。震える手を握って廊下を走った。追いかけてくる人間は誰もいない。耳をつんざくような爆発音が電車中に響き渡った。



7号車の一部屋へ逃げ込んだと同時に、紙切れのような軽さの熱が自分の胸へと倒れこんだ。随分顔色が悪かったし、相当無理をさせてしまった自覚はある。

「……手放し難いな…」

怒鳴られることは百も承知だが、さすがにそろそろクールキッドに連絡を入れたほうがよさそうだ。

2017.07.27

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