安室さんとはじめまして

天真爛漫な姉とはまるで違い、病弱でインドアな少女だと言うことは耳にしていた。
その少女を認識していなかったわけではない。事件にかかわるのは決まって姉の方で、番犬さながら留守を任されがちの片割れとは滅多に関わる機会がなかった。

何処か作り物のような細いシルエットに、栗色の柔らかな髪が肩を滑るのが扇情的。透き通る清らかな白い肌は今にも消え入ってしまいそうで、震える身体を抱く両手がなんとも頼りなくて庇護欲を誘う。あの小さな少年がずっと手を握っていたくなる気持ちがよく分かった、背中に羽が生えていないのが可笑しいくらいだ。

「名前姉ちゃん、奥で座ってよう?」
「無理しなくていいのよ。名前が事件に逢うのは久し振りだもんね」

腕っ節のいい家族全員が、このか弱い娘を本気で大切にしている。たしかに命を掛けてでも守ってやりたくなる天使のような見た目だ。

「ごめんね気を遣わせてしまって。私は大丈夫だから、お姉ちゃんとコナン君は、お父さんのお手伝いしてあげて?」

震える両手をどうにか隠そうとしているのがいじらしくて堪らない。出会ったのが明日の地域新聞の一面を飾るような現場だなんて探偵の性なのか。安室は透かさず3人の元へ歩みを進めた。

「あの、蘭さん。失礼ですが、彼女は…」
「すみません安室さん。妹の名前です。名前、彼は安室さん。前に言ったお父さんのお弟子さんよ」

ゆらゆらと空中を彷徨っていた大きな瞳が自分を捕らえたその瞬間、29年間生きてきた中で心臓が1番大きな音を立てた。

端正だなんて文字では言い表せないほどの顔立ちは男であれば生唾を呑み込まずにはいられない。こんなに小さな少年すらも虜にしてしまう理由は今なら完全に理解できる。喉の奥が焼けるように熱くて、漏れ出た声は確かに震えた。

「っ、よろしくお願いします名前さん、安室透です。お父さんの毛利先生にはいつもお世話になっています」
「こちらこそ、父がいつもお世話になっています。とても優秀な探偵さんだと、姉から…」

彼女の大きな2つの瞳が此方を見上げる。下がった眉は身体ごと抱きしめていいという合図であったらどれだけよかっただろうか。
足元から鋭い視線が飛んでくるまで随分長い間彼女の顔を観察していたらしい。この少年は敵に回したくないという認識はもちろんある。


昔から病気がちで体力がないこの少女は、怪力な姉や好奇心旺盛な少年とは行動をあまり共にしないと喫茶店の同僚からも聞いていた。
留守番ばかりだからこの子はこういう現場に全然慣れていなくて。ただの女子高生がそんな言葉を口にするくらいには、この家族は不幸に遭遇し過ぎている。

「名前ちゃん、大丈夫かい?君が事件に巻き込まれるのは珍しいね」
「あっ…千葉刑事、こんばんは」

無論、少女を前に庇護欲を駆られるのは自分だけではない。ふらふらと覚束ない足取りで、彼女は膨よかな刑事に事件現場から離れた場所へと連れて行かれた。確かに自分が彼女をここから連れ出すにはまだまだきっかけがなさすぎる。
一部始終を確認した少年は、一瞬安堵の表情を浮かべて駆け足で事件の捜査へと向かったし、片割れの方は父の暴走を止めに行った。周囲が静かになった途端、遠目だが彼女の肩がぶるりと震える。

「ご自分を責める必要はありませんよ」
「、安室さん…?」

クリーニングに出したばかりでよかった。肩に乗った革の感覚を確認した顔が再び自分を認識する。初めて少女に呼ばれたニセモノの名前は、その鈴のなるような声で鮮やかな色に塗ら変えられたような気がした。もちろんついた嘘や犯した罪は消えない。

「ここは日本。優秀な警察も探偵もたくさんいる。心配には及びません」

特にこの子の周りには自分の誠意を示したい男がたくさんいる。きっと今まで色んな男に助けられてきたのだろう。

「心配なら僕がこの事件を解決するとお約束しましょう。貴方の不安も必ず取り除きます」

もちろん自身もその一人ではあるが、自分のためだけに向けられた陽だまりのような笑顔を見たら、今度こそ大人として正しい選択をすることができなくなる。泥沼に足を突っ込んだ自覚はこの時には未だなかった。

「なんだか警察の方みたいですね。安室さん、よろしくお願いします」

否、きっとあったのだ。相手がこの娘でなかったら、跪いて小さな手の甲に唇を寄せ、仰せのままになんて気障な言葉を並べることができたのに、今日は何度も生唾を飲む事しかできていない。





△ ▽ △ ▽





29歳にもなってまさかこんな小娘に熱を注ぐとは思わなかった。安室は僅かに眉を下げて自嘲した。

喫茶ポアロには3人の女子高生が集まっている。ボブカットの御令嬢に意中のあの子を連れてきてはと促したのは2日前のこと。仕事が早くて本当に助かる。

「こんにちは、名前さん。今日はお顔の色も優れているみたいですね」
「安室さんこんにちは。その節は気にかけてくださって有難うございました」

向けられた大きなビー玉が自分だけの為に小さく弧を描く。潜入捜査官という身分の自分にもこんなに幸せな時間が訪れるのならもっと早く出逢いたかった。その笑顔を見ることができただけで近々赤井を永久に社会から抹消できる予感がする。

「なあに名前。いつの間に安室さんと仲良くなってんの」
「この間の事件の時にお会いしたんだよ」
「あれってアンタもいたんだ。ここまできたらやっぱり死神説が濃厚ね」
「…それってコナンくんのこと……?」

1週間ぶりに会った彼女は相変わらず可憐で、周囲の視線を独り占めしている。老若男女問わず人間の好意を引寄せる達人だが、下衆な視線を察知できないのは致命的だ。こちらが冷や冷やして仕事に集中できやしない。

「まさか安室さんとできてたりして」
「ちょっ、そのこちゃ…」
「僕は大歓迎ですよ、名前さん」
「あっ、あ、安室さんまで…!」

耳元でそう囁いてわざとらしく息を吹き掛ければ、意中の少女の体が面白いくらいびくりと跳ねた。
すっかり君に夢中になってしまった責任をできれば早いうちにとって欲しい。心の声が漏れたのか、名前の顔がみるみるうちに赤みを帯びて行く。はくはく震える唇を今すぐ塞いでしまいたい衝動を必死に堪えて小さな頭をそっと撫でるに抑えた。少年には完全に敵と見做されている。
嫌悪か羞恥からか、少女は薄っすらその目に涙を浮かべているし、それがまた此方の恋心を擽ることに気づいた方がいい。

いまにも顔から湯気を吹き出しそうな傍観者2人にはこの少女に悪い虫がつかないよう、しっかりボディガードを果たしてほしいと心底願う。もちろん依頼料はきっちりお支払いしましょう。

20170722

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